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紀淑光

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
紀淑光
時代 平安時代前期 - 中期
生誕 貞観11年(869年
死没 天慶2年9月11日939年10月26日
別名 紀三(
官位 従三位参議
主君 醍醐天皇朱雀天皇
氏族 紀氏
父母 父:紀長谷雄、母:文室氏
兄弟 淑望淑人、淑信、淑光、淑行、淑間、淑方、淑久、淑江
文煥、文利、文実、文幹、文慶、文相、文輔
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紀 淑光(き の よしみつ/よしてる)は、平安時代前期から中期にかけての公卿漢詩人中納言紀長谷雄の三男。官位従三位参議

経歴

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醍醐朝初頭の昌泰元年(898年文章生に補せられる。治部丞・兵部丞・式部丞や六位蔵人を経て、延喜9年(909年従五位下刑部少輔に叙任された。

中務少輔少納言を務め、延喜17年(918年)従五位上に昇叙される。延喜19年(919年)右少弁に遷ると、延喜21年(921年)左少弁、延喜22年(922年正五位下・右中弁、延喜23年(923年)左中弁、延長3年(925年従四位下、延長8年(930年)従四位上、承平3年(933年)右大弁と醍醐朝後半から朱雀朝にかけて長く弁官を務め昇進を果たした。

承平4年(934年参議に任ぜられて公卿に列す。議政官になったのちも左右大弁を兼ねて弁官在職は20年にも及び、この間の天慶元年(938年正四位下、翌天慶2年(939年)8月に従三位と昇叙されている。同年9月11日薨去享年71。最終官位は参議従三位行宮内卿。

官歴

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公卿補任』による。

系譜

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  • 父:紀長谷雄
  • 母:文室氏
  • 生母不詳の子女
    • 男子:紀文煥 - 紀奉世の養子となり、紀伊国造家を継承。
    • 男子:紀文利(?-?)
    • 男子:紀文実
    • 男子:紀文幹(?-944)
    • 男子:紀文慶
    • 男子:紀文相
    • 男子:紀文輔

脚注

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  1. ^ 或いは21日
  2. ^ 『弁官補任』

参考文献

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