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金華信号場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
金華信号場
駅舎(2015年10月、金華駅時代)
かねはな
Kanehana
A53 生田原 (15.0 km)
(3.5 km) 西留辺蘂 A55
地図
所在地 北海道北見市留辺蘂町金華
北緯43度48分12.61秒 東経143度34分16.02秒 / 北緯43.8035028度 東経143.5711167度 / 43.8035028; 143.5711167座標: 北緯43度48分12.61秒 東経143度34分16.02秒 / 北緯43.8035028度 東経143.5711167度 / 43.8035028; 143.5711167
駅番号A54
所属事業者 北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 石北本線
キロ程 152.7 km(新旭川起点)
電報略号 カネ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1914年大正3年)10月5日[1]
備考 駅として開業。2016年平成28年)3月26日より信号場。
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駅舎内
ホームの様子
1977年の金華駅と周囲約500m範囲。右下が網走方面。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

金華信号場(かねはなしんごうじょう)は、北海道北見市留辺蘂町金華にある北海道旅客鉄道(JR北海道)石北本線信号場電報略号カネ事務管理コードは▲122524[2]。旅客営業時の駅番号A54

歴史

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かつてはであったが、2016年(平成28年)3月26日に旅客営業を廃止し、信号場となった[3]

信号場名の由来

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当初の駅名である「奔無加」は留辺蘂の西の外れで無加川(武華川、とも)に合流する支流の名称であり、アイヌ語の「ポンムカ(pon-muka)」(小さい・無加川)に由来する[12][13][14]。なお、無加川を表す「muka」については一説には「氷上を越す」の意ではないかと解釈されているが[12]、詳細な意味は不明である[13]

現在の名称は「武華」の「華」に付近に金鉱があることから「金」を組み合わせたものである[13]

構造

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2線を有する単線行き違い型信号場である。

列車の折り返しが可能であり、列車の折り返し機能がない西留辺蘂駅を終着とする列車は、一旦当信号場へ回送したのち、再度西留辺蘂駅へ回送して同駅始発列車となる[3]

また、構内には他に横取線が1線あり、工事用車両が留置されることがある。

旅客駅当時は単式ホーム2面2線で、ホーム間の線路は両方と接するが、駅舎と反対側のホームの駅舎側は崩されており乗降は行わなかった。両ホームは構内踏切で連絡していた。北見駅管理の無人駅であり、トイレはなかった。先述の西留辺蘂駅終着・始発列車は、当信号場が旅客駅だった頃は当駅を終着・始発駅としていた[15]

旅客駅当時ののりば

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のりば 路線 方向 行先 備考
1 石北本線 上り 生田原遠軽旭川方面  
2 下り 留辺蘂北見網走方面 当駅始発は1番線

利用状況

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乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。

年度 乗車人員 出典 備考
年間 1日平均
1964年(昭和39年) 54 [7] 乗降人員か乗車人員かは不明のため、乗車人員とみなす。
1968年(昭和44年) 33
1978年(昭和53年) 16 [16]
1981年(昭和56年) 11 [7] 乗降人員か乗車人員かは不明のため、乗車人員とみなす。
1992年(平成04年) (1.0) [17] 1日乗降客数は2人

駅周辺

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常紋トンネル工事殉職者追悼碑
  • 国道242号
  • 奔無加川
    • 国道242号より東方へ北見市道金華停車場線を入り、奔無加川を渡る金華橋をへて、金華の集落と信号場前に至る。
  • 常紋トンネル工事殉職者追悼碑 - 1980年(昭和55年)11月16日、留辺蘂町立金華小学校の跡地に建碑[18]。レリーフにはつるはしを手に瞑想する裸身の労働者が彫られている。当初はつるはしを振り上げた姿での制作が考えられていたが、作者の「死んでまで働かせることはない」との考えで現在の形でつくられた[18]
  • 金華小学校記念碑 - 常紋トンネル工事殉職者追悼碑の向かい側にある。金華小学校は1918年(大正7年)奔武華特別教授場として開校、1977年(昭和52年)に閉校し留辺蘂小学校に統合された。
  • 金華地区 - 金華地区は信号場前の集落であり、廃屋が多いが数軒は人が住んでいる。1980年代頃までは一定の住民がおり、商店や国鉄官舎などがあったものの、その後官舎は廃止。著しい過疎化が進行し、1990年代には廃屋ばかりの集落となっている。2015年(平成27年)の国勢調査によれば金華地区の人口は7世帯13人。
  • かつては金華地区西側から5キロ程金華峠方面に進んだ奔無加川上流沿いの山中に上金華(上奔武華)と称する集落もあった。上金華には1915年(大正4年)より愛媛県からの開拓団が入植したが、1969年(昭和44年)までに全戸離村。無人地区となっている。開拓地は植林され、野に還りつつある。1952年(昭和27年)に開校した上金華小学校は1963年(昭和38年)に閉校し金華小学校に統合された。上金華集落跡地入口や上金華小学校跡地には碑などが建っている。

隣の施設

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北海道旅客鉄道(JR北海道)
石北本線
生田原駅 (A53) - *常紋信号場 - 金華信号場 - 西留辺蘂駅 (A55)
*打消線は廃止信号場

脚注

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出典

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  1. ^ a b c d e f g 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、920頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、245頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362023年3月21日閲覧 
  3. ^ a b c 石北本線金華駅の営業終了”. railf.jp(鉄道ニュース). 交友社 (2016年3月26日). 2016年10月2日閲覧。
  4. ^ a b c d e 曽根悟(監修) 著、朝日新聞出版分冊百科編集部 編『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 28号・釧網本線/石北本線、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2010年1月31日、22-23頁。 
  5. ^ 大蔵省印刷局, ed (1951-07-14). “日本国有鉄道公示第176号”. 官報 (国立国会図書館デジタルコレクション) (7353): 9. https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2963904/9. 
  6. ^ a b 新留辺蘂町史留辺蘂町、1985年3月30日、264-265頁。doi:10.11501/9571498https://dl.ndl.go.jp/pid/9571498/1/150 
  7. ^ a b c “「通報」●石北本線桜岡駅ほか12駅の駅員無配置について(旅客局)”. 鉄道公報 (日本国有鉄道総裁室文書課): p. 2. (1983年1月10日) 
  8. ^ a b “JR金華駅廃止へ 北見の無人駅、来年3月”. 北海道新聞. (2015年7月17日06:30(JST)). オリジナルの2015年7月17日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20150717065108/http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/economy/economy/1-0157729.html 2015年8月11日閲覧。 
  9. ^ “廃止予定の無人駅で運賃表盗まれる 北海道”. NHK NEWSWEB (日本放送協会). (2016年3月23日). オリジナルの2016年3月24日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/lWQeD 2016年3月24日閲覧。 
  10. ^ 平成28年3月ダイヤ改正について』(PDF)(プレスリリース)北海道旅客鉄道、2015年12月18日。オリジナルの2015年12月18日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20151218154545/http://www.jrhokkaido.co.jp/press/2015/151218-3.pdf2015年12月18日閲覧 
  11. ^ 「存廃に揺れる北辺の本線」『鉄道ジャーナル』No.610、2017年8月、56頁。 
  12. ^ a b アイヌ語地名リスト ホロナ~モオ P121-130”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2019年2月5日閲覧。
  13. ^ a b c 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、212頁。ASIN B000J9RBUY 
  14. ^ 更科, 源蔵アイヌ語地名解 : 北海道地名の起源』北書房、1966年、314-315頁。doi:10.11501/2985550https://doi.org/10.11501/29855502022年6月13日閲覧 
  15. ^ 金華往復便に乗る。鉄道ホビダス「編集長敬白」 2016年2月4日
  16. ^ 藤田, 稔 編『国鉄全駅大事典』藤田書店、1980年4月30日、899頁。doi:10.11501/12065814https://dl.ndl.go.jp/pid/12065814 
  17. ^ 宮脇俊三原田勝正 著、二見康生 編『北海道630駅』小学館〈JR・私鉄各駅停車〉、1993年6月20日、148頁。ISBN 4-09-395401-1 
  18. ^ a b 新留辺蘂町史留辺蘂町、1985年3月30日、86頁。doi:10.11501/9571498https://dl.ndl.go.jp/pid/9571498/1/150 

参考文献

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  • 本久公洋 『北海道鉄道駅大図鑑』 北海道新聞社2008年
  • 新留辺蘂町史編纂委員会編『新留辺蘂町史』留辺蘂町(1985年
  • 留辺蘂町編『留辺蘂町史』留辺蘂町(1964年

関連項目

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外部リンク

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