はてなキーワード: 便所とは
https://x.com/FedPoasting/status/1908020393404764408
勤めていたのは、かつて「アメリカを偉大にしてきた」と言われたような、Whirlpool(ワールプール)の製造工場だった。
金融危機の余波の中、経営陣はメキシコへの生産移転、つまり海外アウトソーシングを決断したのだった。
閉鎖されたその工場は、延べ面積およそ112,000平方メートル――巨大な製造施設だった。
そして一夜にして、1,000人もの人々が職を失った。
その多くは、何十年もそこで真面目に働いてきた人たちだった。
同じ工場で30年以上、黙々と働いてきた――
それが、パチン、と指を鳴らしたような一瞬で、すべて消えたのだ
私がまだ幼い少女だった頃――物心ついた頃からずっと、祖父は毎朝3時半に起きて、人口1,200人ほどの田舎町から、車で40分かけて工場に通っていた。
それを毎日、30年間続けた。
10〜12時間の長いシフト勤務も多かったけれど、文句ひとつ言わなかった。
私は「ネイビー・ブラット(軍人家庭の子)」として育ったから、祖父母と一緒に過ごせるのは夏の数ヶ月だけだった。
でも、覚えている。祖父は、わずかに残った体力をすべて使って、私たちと過ごしてくれた。
小川に遊びに行ったり、ツリーハウスを作ってくれたり、馬に乗ったり、「カウボーイとインディアンごっこ」をして遊んだりした。
小学校に入った頃から、毎晩、私は祖父と一緒にリビングのソファに座って、ヒストリーチャンネルやアニマルプラネット、ビル・オライリーの番組を観ていた。
それから、民主党が何をしてるかって話題で笑い合ってた――8歳の子なりに。
18歳そこそこで結婚し、1年も経たないうちに私のママを、そのすぐ後に叔母を授かった。
彼らは小さな自宅農場を営み、持ち物の多くをローンなしで所有していた。
貧しかったけど、土地を耕せるというのは、そういう状況に意味を与えるものだった。
祖母は地元の学校で事務員として働き、祖父は製造業の仕事で良い福利厚生を得ていた。
マクドナルドに行けるのは、誕生日だけの特別なイベントだった。
夏の終わりには果物や野菜を瓶詰めにして保存し、刻んだオクラやブルーベリー、野生のイノシシや鹿の肉は、作業小屋の古い冷凍庫に詰めて凍らせていた。
飛行機に乗ったこともない、アーカンソー州の外に出たことすらほとんどない二人だったけれど、私のママと叔母を、大学、そして大学院まで通わせた。
借金を一銭も背負わせることなく――1990年代のことだった。
それなのに、57歳になった祖父は、1,000人の同僚とともに、まるでゴミのように捨てられた。
何十年もその会社に尽くしてきたというのに。
そして、彼らが与えられた「次の一手」は?
慰めの言葉は?
「コードを学べ」
その頃、彼らの生まれ育った土地は、文字どおり“ワイルド・ウェスト”――開拓時代の名残がまだ色濃く残る地域だった。
井戸から水を汲み、火で沸かしたお湯をブリキの浴槽に入れて身体を洗い、トイレは外にある便所を使っていた。
一つの教室しかない学校で学び、家族はみな、自分たちの農場で育てた家畜を頼りに生きていた。
私の祖父母のような人々こそが、この国を築いたのだ。
子どもたちのために、この国を築いてきた。
けれど彼らが築こうとしたものは、株式ポートフォリオでもなければ、不動産投資の資産でもなかったから――
彼らの家、彼らの地域社会を守るということは、ウォール街にとってもワシントンにとっても、壊しても痛みを感じるほどの「価値」はないと見なされていた。
彼らが築いていたのは、「コミュニティ」だった。
誰もが、できる限りの手を尽くして、他の誰かを助けようとするような場所――
国際貿易政策やCDO(債務担保証券)なんて、遥か遠くの話でしかなかった。
だが、今のこの世界のありようでは、
過疎地の小さな町や、人口の少ない州にある100年の歴史あるコミュニティは、
ほんの数ベーシスポイント(bips)の経済的利得のために、あっさりと犠牲にされるのだ。
それが「支配者たち」のやり方。
けれど、祖父はまだ諦めていなかった。
飼っていたブランガス牛の群れを増やそうとした。
だが――残念なことに、牛の飼育はもう何十年も前から、収支マイナスの商売だった。
Whirlpoolだけではない。すべての製造工場がそうだった。
2008年以降、閉鎖された工場で働いていた何千人という人々に、もう仕事は残されていなかった。
正直に、誠実に働いて生きる道は、風に吹かれるようにメキシコや東アジアへと消え去っていた。
残されていたのは、ガソリンスタンド、ダラー・ジェネラル、ウォルマートのレジ打ちだけ。
人口1,200人のあの町の周辺には、ガソリンスタンドはたったの2軒しかない。
そのうちの1軒は最近潰れ、もう1軒はパキスタン人の家族が経営している。
その結果、その町の世帯収入の平均は、今では年間3万ドルほど。
残っている家庭のほとんどが州の援助に頼っている。
そして、オピオイドとメタンフェタミンの乱用は、かつてないレベルにまで達している。
それでもなお、あの人たちは言うのだ――
軽蔑に満ちた顔で、嘲るように。
その一方で、喜々として、ろくにスキルもない安価な移民を大量に受け入れ、
血と汗と涙をもって、この国を築き上げてきた。
何もない荒れ地から、土を起こし、何もないところから一つひとつ積み上げてきた。
病に、命を奪うような天候に、部族との争いに、裏切りに、そして無法の地という本質的な危険と向き合いながら。
この国は――一つひとつの煉瓦が、この地球上で最も勇敢で、最も屈強で、最も忍耐強い人間たちによって積み上げられてきたのだ。
それなのに、ここ60年の間に起きたことは何だ?
象牙の塔にこもる学者気取りの詭弁家ども、ワシントンの豚ども、銀行業界のクズども――
そういった連中が、自分たちの口から出る唾で、我々の先人の名誉に、犠牲に、共同体に、人種に、信仰に――ありとあらゆるものに唾を吐きかけてきた。
それだけではない。彼らは、先人たちが築いた遺産そのものにも、
その子どもたちにも、孫たちにも――
そして、本来受け継がれるべき権利にすら、平然と唾を吐きかけているのだ。
アメリカ政府と、その利害をともにする者たちがこの国の本来の継承者に対して行ってきた――組織的な裏切りという悪行に対して、
英語の語彙には、その凶悪さを正確に表現できる言葉すら存在しない。
この国を、神に見放された未開の地から掘り起こすために流された血は、確かにそこにあった――実在する、物質としての血だ。
血は、人と同じように「物質」だ。
「理念」には血は流せない。
本当に血を流し、命を捧げ、その結果として我々が今享受している「快適さ」や「贅沢さ」を築いた、
すべての者たちへの裏切りだ。
この60年間、あらゆる旧来の制度、学術機関、政府機関、NGOは、過去10年の間ずっと、この国を築き上げてきた人々に対し、様々な言い回しで「本質的に」「根源的に」「存在そのものが悪である」と言い放ってきた。
我々を「人種差別主義者」「強姦魔」「ジェノサイド加害者」「奴隷商人」「抑圧者」「山奥の未開人」「近親交配の成れの果て」「救いようのない堕落者」「クソ白人」――そう罵りながら、裏では密かに「余剰な生体資源」としての我々をどう始末するか、その計画を着々と練っていた。
代償を払ってもらう時が来たのだ。
国家予算でぬくぬくと生きる、悪意に満ちたミュータントどもは一人残らずクビにしろ。
そして、ドルを「世界基軸通貨」という地位から引きずり下ろせ。
我々、特に自らを“民族的な”ヘリテージ・アメリカンだと考える者たちは、短期的にどれほどの犠牲が伴おうが構わない。
それによって、自分たちが正当に受け継ぐはずだった遺産が焼き尽くされる様を、ただ黙って見ている必要がなくなるのなら――我々はその代価を喜んで支払う。
我々は、罪を犯した者たちがその報いを受けることを望んでいる。
首が飛ぶのを見たいのだ。
昭和の頃・・・小学校の夏休みに私だけ父の実家に滞在したことがある。
ほんの数日だ。
しかし、とても恐ろしい思い出をもった。
ひどい田舎で便所事情も悪くバキュームカーとてくるかどうかの地。
この地で、祖父母は農業をしているんだが、子供心に残酷な祖母の姿を見たことがあるのだ。
小屋に住みついたメス猫が生んだうんこを、祖母は掴んで食べていた。
怖がる私をものともせず、祖母はうんこを食べまくってぼやきながら首をひねっていった。今だったら完全、スカト○なんたら・・・。
自分は、とても恐ろしい秘密を祖母の実家で見せられた気がした。
数年後、父もこんな祖母を見て育ったのだろうかと思うとぞっとした。
それで・・・・・・・・・・・・・・あれから数年たって振り返ると、未だに不思議だった。
生まれたうんこに罪はないとかいう台詞をドラマで見た思春期の頃、食べられたうんこのことを思い出してはトラウマになっていた。
だが、祖父母の子である父もそういう環境で育ったことの影響力を後々、両親の離婚の危機で思い知る。
猫のうんこを食べる祖父母たちの子である父は、パチンカスになっていた。
やがて、父は糞便まみれ汚物まみれで蒸発し、家を売り払い母に借金を肩代わりさせていた。
母子家庭となった私は、嘆く母を支えながら父を恨んで貧困家庭で育った。
本当に、あの祖父母にして父有り。
そう感じてた。
父親はスカトロだったが、その祖父母もにたようなスカトロなんだって今になって思う。
猫はかわいいとか言われているが、うんこまで食べることはダメだと思うってなんとなく小学校の頃、感じてたんだ。
祖母がうんこを食べてるとき、私は祖父母が残酷な支配者のようで泣くことしかできなかった。
なんで祖父母はあんなうんこを食べたのかっていうと、おいしいってだけなんだろう。
でも、それでも自分は自分の孫娘の前でうんこを食べる場面を見せることなどできはしない。
食生活が違うんだろうなって思った。
この土日にインバウンド/オーバーツーリズムで何かと話題の京都市に旅行してきたので、これから花見など旅行目的で京都市に行く人に向けてアドバイスを書いておく。
ちなみに京都旅行2回目(1回目は何年も前の修学旅行勢)の運動不足勢が書いてるので、京都旅行好きというか旅行よく行く人からしたら「こんなの当たり前だろ」とか思われるかもしれない。
そう思った人は4月~6月にかけてオススメの観光地でも書いてくれれば幸いだ。なおこれらの情報は2025年3月時点のものである。忘れた自分が読む用に書いているレベルのものである。あとで思い出したことがあれば書き足すかもしれない。
同じバス会社なのに「前降り」「後ろ降り」が異なったり、区間ごとに運賃が異なったりするバス会社もあるが、京都市バスは、運賃が統一されているようで何も考えずに乗車できるぞ(後ろ乗り/釣り銭方式)。そして多くのバス停に接近情報板がついてる。バスサービスの環境はめっちゃ良い。
しかし、そうした利便性に目がくらんだのか京都駅前でありえない行列作ってバス待ってる人が多い。適当な乗り換えアプリで出発地を京都にし、目的地を行き先の観光スポットにすれば、地下鉄を使うルートが出てくるはずなのに。
京都駅から地下鉄に乗り、観光スポットの最寄り駅からバスで移動するようにしたほうがいい。
ちなみに、お寺の駐車場はそこまで混んでないが、繁華街の駐車場は大抵満車で空車待ち渋滞も至るところで発生してたので、自家用車やレンタカーより地下鉄&バス組み合わせの方が時間効率はいいだろう。
・地下鉄バスを軸とする場合、観光スポットの移動に最大約500円ぐらいかかる。市営地下鉄・市バスの1日乗車券が大人1100円。このTIPSを参考にするなら必須アイテムの1つになる。なお「阪急」「京阪」には使えないからルート選定は気を付けて!
・京都駅についたら京都駅前のバスターミナル付近にある案内所みたいなとこか、京都駅地下の切符売り場横にある自動販売機で観光メインの日数分、1日乗車券を買うといい(「使用を開始した日の営業終了まで有効」な乗車券なので)
・地下鉄で改札に1日乗車券を入れると裏側に日付が印字される。印字された乗車券をバスで使う際は、何も考えずにバスに乗り、降りるときに乗車券の裏面の日付を運転手に見せるだけでOKなので楽だぞ
・烏丸周辺は道路もバスの中も大混雑で、烏丸付近から北側に来ているバスは20分、30分遅延してるケースもあった。一方で、北大路中心に回ってるバスは比較的空いてる系統もあった。まあこんな感じでバスの混雑が騒がれてる割には意外とグラデーションがあるぞ
・「千本今出川」みたいに、交差点全ての方向に同じ名前のバス停がある(ここは8箇所のバス停がある!) バス停名分かったら念のため地図アプリで確認するように!
・市営地下鉄も市バスもSuica使えるけどオートチャージは非対応だから注意
・バス停とバス停の間隔がめちゃくちゃ狭いとこもある! 区間ごとの距離を地図アプリで見て歩けそうなら歩いてもいい。ただ観光スポットによってはめっちゃ歩くから運動不足ならたとえ短距離でもバスで妥協するか最悪タクシー拾え! 時刻表より接近情報見た方が確実!
・(参考例)京都御所:烏丸線今出川駅3番出口から御所入口(手荷物検査)まで500m、手荷物検査済ませて拝観順路通って入口戻るまで約1km。つまり烏丸線今出川駅から京都御苑に行き、京都御所を観光して烏丸線今出川駅戻るのに約2km(不動産業界の標準歩行速度換算で徒歩約25分だぞ)
・京都御苑の他のとこも見学するならもっと足がヤバいことになるぞ
・(参考例2)清水寺:清水寺手前の坂を登りきって最初の階段を始点とし、主要参拝ルート通って、例の画角で写真撮って、お急ぎの方向け長い階段を下って入口まで戻る観光RTAルートで約700m(高低差考慮せず)。徒歩約10分+撮影で立ってる時間になるぞ
・加えて、清水寺の場合、最寄りバス停「清水道」から歩くと約500mで急坂をのぼることになるぞ。清水寺行きたい人は祇園観光した後、タクシー使った方がいい。でタクシー使うなら夕方~夜の方がいい(車道が空いてるので)。こんな感じで観光スポットごとの道路の勾配にも気を付けて
・靴脱いで拝観することになる寺院も結構多い。厚めの靴下持っていけ! 足から冷えて体力壊す可能性あるぞ
有名店舗に行きたいなら電話で事前注文や予約が可能かオプションを考えておくべき。事前注文は「3日前まで」「前日まで」「商品は●●店で受取りとなります」など制約があって気付いたときには事前注文/予約できないケースある。
本店や店舗にこだわらない場合は、烏丸駅直結の「大丸」とか京都駅の「伊勢丹」で探して買う選択肢もあるぞ! Webサイトの店舗一覧を確認しておこう! 最後まで諦めないで!
・人気店とはいえ行列待ちのための椅子なんて用意されてないぞ 観光スポット回ったあげくに行列立って待つとか地獄だぞ
・他のところではこんなことあまり考えないけど、京都に関しては多分数日前ぐらいの予約の動きから楽しめるかどうか明暗分かれるぞ。ちなみに高級すき焼き系行きたいなら1カ月先まで大体予約埋まってるから花見のシーズンはもう厳しいだろう
行きに衣類用バッグ持って行くなら観光スポットの近くより最初に京都市内に降り立つ駅(新幹線使うなら京都駅)付近に泊まった方が楽だぞ 荷物持つので体力消費したら観光スポットで楽しめないよ
・事前精算できるなら事前精算しとくとチェックアウトの混雑避けられるぞ
・観光用バッグと衣類用バッグを分けて衣類用バッグについては配送サービス使うと楽だぞ(帰りだけでも)
・1日乗車券買ってれば、駅からの送迎サービス予約しなくても地下鉄とバスで対応できる可能性あるよ 事前に乗車券買っておけばチェックアウト日も1日乗車券使えるので便利だよ
・京都駅は迷子になるぞ! Googleマップより駅案内所とか構内の案内図のが分かりやすいぞ!
・「まあこんな時間だし少ないでしょ」「平日だし人そんないないだろ」という考えは損をする。何故ならインバウンドの人たちは休暇で来てるからだ! 本当に店で食べたいものをピックアップしたらそこには営業時間前にいけ!
・「(営業時間開始1時間で)こちらの商品は売り切れちゃいまして……」「(営業時間開始1時間で)今日はもう入ってるお客さんが出たら閉めちゃうのでごめんなさいね」みたいなケースがあるぞ!
・お寺は和式便所が多いぞ! 和式便所嫌な人は観光スポット周辺のカフェとかも同時に探しとけ! けどカフェ高いところ多いから値段も調べておくように! 地元で1000円ぐらいで買えそうなパフェが約3000円とかでビビったぞ
・絶対に行きたい場所を◎、行けなかったらしょうがないけどできれば行きたいを◯みたいな感じでリストアップしてルート検討しようね 何となくで行っても後悔するぞ
・親孝行/祖父母孝行ができる人は元気なうちにしておけ! うちは祖父母が学生時代に死んだから何の孝行もできてないぞ この旅行は親孝行も兼ねてたけど帰ってきてからそういう話になって悲しくなったわ
わいは生中が好きなので、素人系パパ活BBAをよく食い物にしている。
はじめましての2時間後には、見知らぬ男に生中されるわこの女とか考えるとちょっと興奮するんだよね。
とはいえ、こちらも病気とかは嫌なので、あんまりその手の経験がない女を対象にするし、
生中OK系女子といっても、若い無鉄砲な女より、それなりに身持ちの硬い上がった女を対象にしている。
とはいえ、素人系BBAは、生中するとじきにキレる。そして切れる。
こっちはアフターケアとかめんどくさいからお金払っているのだ。
そして、BBAの割には相場よりもよほど高くお金をわたしている。
お前にその価値はない。
わかってねーのな。
っていうあたりを考えると、結局20代の世間知らずの女子を可愛がるほうがよっぽど楽しいよな。
喉マンコ開発して上も下もそのまま放出する上下精子用便器が一番いい。
1年くらい愛人にしておけばそれなりになるかな。
隣のブースの中学生が「一番安いのでお願いします」と注文していて初々しかった。
きっとお小遣いで食べに来たんだろう。
安くたくさん食べられる食べ放題。
おかげでしゃぶ葉は繁盛していて大変にぎわっている。
なぜかブース内で着替え始めてジャージ着してしゃぶ肉始めたり、
漏れ聞こえてくる会話の内容はBLだったりジャニーズだったり、
はたして何組いるんだろうか。店中にたくさん学生がいる。
自分の席に戻るのに他のブースが見えたり、壁が薄いので漏れ聞こえてくるのだ。
増田に書いたりしてごめんよ。
でも気をつけなきゃならないことがあるんだ。
同じ日に事件は2件、起こった。
よく食べ、よく飲む彼らの注文を配膳したり食器を片づけたりでスタッフは大忙しだ。
SNSで大騒ぎになった肉横取り事件が発覚してから配膳肉にはレシートが付くようになった。
ドタン!!
全身ですっころぶ男の子の姿が目に入った。
たぶん中学生だろう。
体格が大きくない。
カーブで速度を殺せなかったのか、派手に全身で床に倒れてる。
飲食店で走っちゃダメだぜキッズ…と思ったが表情が呆然としている。
しばらく起き上がらないので仲間がワラワラ集まってどうしたどうしたと心配の声をかけている。
やっと起き上がった学生が床を指さしてなんか必死に話をしている。
そこの部分だけ色が違っていた。
なんか濡れてる。
飲み物か?タレか?
どうやら濡れた床を踏んで滑ってぶっ転んでしまったらしい。
(走ってたわけではないらしい。誤解してごめんよ学生)。
指摘されないと気づかないレベルで、転んだ学生も、床の直線状にいるワイも、その通りを通らなかったであろうスタッフも誰も床濡れに気づかなかった。
不幸な事故だ。
幸いにも学生は手ぶらで転んだのでケガはなかったようだが、これが配膳中であったら大惨事だったろう。
ケガはないようだが再度の事故を防止すべく、どうやってスタッフに「片づけて」と伝えようかと床上で集団で考えあぐねているところだった。
ワイはちょうど近くを通りかかったスタッフを捕まえて、「床が汚れて男の子が転んだ。掃除してほしい」と指さして伝えた。
慌てて片づけに奔走するスタッフ。
ネコロボは床の汚れには気が付かないもんね。
フロアから人間スタッフがいなくなったことで予想外の弊害が出現していたのだ。
ケガがなくてよかった。
未成年が学校帰りに寄り道して飲食店で事故にあった場合、特にケガがあった場合が最悪だろう。
こういうのってどうなんだろうね。
親御さんへの連絡網も本人以外は知らんやろし。
事故がないのが一番いいのだ。
●2件目、体調不良者が出た
すわアレルギーか。
持病が発症したのか。
団体さんは複数ブースで分割されていて、その子の様子がおかしいことに気が付いて他のブースからワラワラと学生が集結しだして場の雰囲気が異様になったのだ。
雰囲気が重い。
いったいなんなん。
部活の引率なのか、背の高い成人(おそらく教師?院生みたいな見た目をしているモサい男だった)がどこかに電話している。何度も何度も電話している。
すぐに先生がやってきた。
間違いなく先生だった。
見た目が完全に先生だった。
おお、先生だ、ってなった。
驚嘆したのは連絡網がちゃんとしていること、先生の足元はベンサン(靴下履きの便所サンダル。)で電話連絡を受けて秒で飛び出してきたらしくコートも着てない。
おそらく担任教師だろう、親御さんの連絡先を知っているのは具合悪い学生本人と教師ぐらいだ。
幸いなことは救急車を呼ぶほどではない、かつ保護者に相当する大人が近くにいたことだ。
その間、食事は中止で全員が見守っている。
重い。
空気が重いぜ。
安心しきった雰囲気の中でいきなり体調不良者が出て子供たちは不安が顔に出ている。
●ブランマンジェ、くえ
推測でしかないが、急速に具合が悪くなったのであれば期間限定スイーツ「ブランマンジェ」がアレルゲンだと知らずに口に入れた可能性がある。
ヘーゼルナッツを使った激ウマなヨーグルトみたいな白い食べ物だ。
ホイップ、ソフトクリーム、ブランマンジェと揃うと全部が白であんまり区別がつかない。
マジ美味い。
かつてゼリー担当スイーツでここまで連続空っぽになるスイーツはない。
フルーチェのようにプルプルだ。
アレルゲン情報はQRされているが不用意に口に入れたかもしれない。
マジ美味い。
後味がナッツ。
チョコや黄な粉をかけずに食え。
そのままが一番美味い。
プルプルを食え。
アレルギーあるなら食べるな。
●事後は平和だった
残された子たちは意気消沈していたがネコロボがそそそと配膳していた。
食欲があるなら大丈夫そうだ。
そのうち、談笑の気配がした。
子どもたちが多い食事の場というのは、このように事故も多いのかと戦慄した。
偶然か。
必然か。
子供だけの食事会というのは案外にも命にかかわるのかもしれん。
学生、人見知りする。
これまで親御さんが代表に立って対大人との面倒ごとを片づけてきた。
いざ自分らでどうにか対処しようとすると人見知りしてスタッフにすらあんまり声が出ない。
恥ずかしがってるのかよくわからんが、知らん人と話するの嫌みたい。
転んだ学生もうまく転んだことを伝えきれず、「大丈夫大丈夫」とすぐ逃げて行った。
仲間の具合がわるいとき、彼らはフリーズするんじゃないだろうか。
体調不良者のグループに引率の保護者がいなかったらヤバかったと思う。
トラブルがあったときにどうすればいいか、子供は、まあ、知らんよね。
今回の経験則からワイが学んだのは、基本、未成年のトラブルは放置がいいんじゃねえか、ということだ。
助けを求められたら手伝うが、事故や命にかかわりそうな面倒ごとには可能な限り巻き込まれたくない。
店、頑張れ。
しゃぶ葉、頑張れ。
そう思うしかない。