はてなキーワード: 囚人のジレンマとは
問題: プレイヤーがn人おり、それぞれM₁, M₂, ..., Mₙ円持っている。彼らは自分以外の誰かの意思決定を見ることは出来ない。プレイヤーiは箱にXᵢ円入れる。すべてのプレイヤーがプレイしたあと、箱の金額がa倍になって、1/n分割されて戻ってくる。このゲームを分析しなさい。
利得ᵢ = Mᵢ - Xᵢ + (a × (X₁ + X₂ + ... + Xₙ)) / n
各プレイヤーは他のプレイヤーの戦略が固定されていると仮定して、自分の利得を最大化するように行動します。プレイヤー i は次の問題を解きます:
max Xᵢ (Mᵢ - Xᵢ + (a × (X₁ + X₂ + ... + Xₙ)) / n)
これを簡略化すると、プレイヤー i の利得は次のように書けます:
利得ᵢ = Mᵢ - Xᵢ + (a × (Xᵢ + Σ Xⱼ)) / n, ただし j ≠ i
= Mᵢ + ((a / n) - 1) × Xᵢ + (a / n) × Σ Xⱼ, ただし j ≠ i
この場合、(a / n) = 1 となり、プレイヤーの利得は投入額に依存しなくなります。したがって、プレイヤーはどのような金額を投入しても利得は変わらないため、無数のナッシュ均衡が存在します。
このゲームは、協力が全員にとって最善であるにもかかわらず、個々の合理的な選択が協力を阻む可能性がある典型的な囚人のジレンマに似た構造を持っています。
特に、a > n の場合は無条件で全額投資が最適ですが、それ以外のケースではプレイヤー間の信頼関係やコミュニケーションの有無によって結果が大きく変わる可能性があります。
孤独とinternal dialogueについては興味深い洞察だと思う。
『サイコ』のノーマン・ベイツもヘンリー・ダーガーも確かに自分自身で一人二役して会話していた。
それが孤独という苦痛ヘの慰めのために行ってるというのはあまりに一面的すぎる。
それは『さかしま』、『オブローモフ』が提示するように社交的関係によって発生する苦痛からの逃避としての孤独も存在する。『ツァラトゥストラ…』でも最終的には孤独が称賛されている。これらは文化的批評の領域であり、現実とは無関係だと思うかもしれない。
だけれども、文化とは文化圏の象徴的秩序を内包しているためフィクションと隣合わせに語られることは常に避ける事ができない。現代でも『ジョーカー』とかその元ネタと言われる『タクシードライバー』がこれら議論に対して抱き合わせのように引き合いに出される。
これら文化批評を取り除けば、他者に対しては振る舞い以上のものを我々は知る事ができない。
仮に合意形成の結果から相手の心理状態が類推可能なら囚人のジレンマは発生し得ないことになる。
復讐の意図を弱者男性が持ってるかは動機の主観的決定とその不可知性のため客観的な振る舞いからは推し量ることはできない。
これはデイヴィッド・ベネターが統計を引用して例を挙げてるが人というのは身体障害、知的障害を抱えていても幸福を感じる人々の割合は健常者と変わらない。そして、自己の幸福度の位置づけは相対的に決まる傾向がある。
どの立場であれ心理的抑制や環境によって与えられる不自由さの裏に悪意を見いだせばそれが防衛として他者に対して闘争行動をする動機付けになる。
━━正当防衛、一般に正当防衛が道徳として是認されるならば、いわゆる非道徳的な利己主義のほとんどあらゆる発現もまた是認されなくてはならない、人は、自己を保存するためにまたは自己を守ったり個人的な禍いを予防するために、害を加え、奪い、殺すのである(中略)意図的に害を加えることは、われわれの実在または安全が問題となる場合には道徳として許容される『人間的、あまりに人間的』
そこに合意形成が介入する余地はなく、個々の主観的評価で正当防衛の基準が決定する。法が予防効果を維持する事を放棄した時、法は犯罪を事後的にしか処理できなくなる。
一方で社会システムに着目すれば、反対者あるいは敵対者は結局のところ対象としている前駆的社会構造に寄与している。よって社会的機能を一部担っていると言える。《弱者》や《敵》無くして強者の価値付けの基礎となる社会の進歩・前進はありえない。
社会的弱者はその機能故に巨視的観点では無くならないだろうし、目に見える弱者としての存在は搾取する主体である強者が必要としてるからこそ残り続ける。
つまり、救っても救っても《弱者》は存続しそれを識別する指標であるスティグマも流行を規定するモードが存在する限り形を変えて生産され続ける。これは共同体幻想において神に等しい絶対者である。絶対者の在り方は超時代的ではない。問題は疎外化された周縁に位置する人間たちがサイコパス/ソシオパスのような生得的悪というレッテルを貼られて尚、否、初めて絶対者が剥奪し得ない自由意志による行動決定権が与えられる所にある。(シェリング)
万人は万人を殺す事ができる。野蛮な闘争状態を規制しているのは社会的報酬である。それが除かれた場合、上記の行為が当事者にとって合理的行動である。ただし、万人が合理的決定を行うわけではない。
しかし何も対処しようがない訳ではない。社会上の功利性の総和を考える時殺人が社会的に避けられないものならそれに方向性を与える事は決して無益ではない。これが畜群の智慧である。
満員電車から降りるとエスカレーターが混雑するが、俺はいつも右側に立っている。わざわざ後ろに回って左に並ぶよりも時間の短縮になるからだ。
エスカレーターに乗ることは最後通牒ゲームに参加することだ。同じタイミングでエスカレーターに乗ってる相手とは今後何の関わりもないので、自分の利益を最優先するのが最適解だ。
あるいは囚人のジレンマだ、相手が反撃してこないなら真っ先に裏切るのが利得を最大にする。
そもそもエスカレーターは両側に立って使う前提で作られている。右側を開けることはエチケットでもマナーでもない、単なる勇気の欠如だ。たくさんのアホを追い抜いてスマホを眺めて突っ立っていよう。ズルいと思ったらみんなも同じ行動をとってほしい。
あくまで勝手な想像という前提で読んで欲しいのと、法知識も素人で間違っている箇所はあると思うのでご了承下さい。
昨今の離婚ニュースの中で、プラスマイナス岩橋さん・ネルソンズ和田さんの気落ちが印象的だった。
岩橋さんは「二度と法の元の関係性は作らない」と述べ、和田さんは「芸人を辞めようか迷った」と述べていた。
お二人とも詳細は語っていないが、おそらく以下3つの理由により苦しんだのではないかと想像した。
「母親が面倒を見ていたから母親が親権を持つ」という理論が現状の日本では認められてしまっており、為すすべもなく子供を取られてしまった可能性が高い。
(世界的に見て非常に時代遅れな考え方であり、諸外国では大抵共同親権となる。
大黒柱で働いていた間に実家に戻りそのまま離婚されるといったケースでも、
「連れ去り」とならずに「現状維持すべき」という判断で連れ去った側が親権を持つと認められてしまう。
子供2人で元妻が収入0・年収を1000万とすると、養育費算定表から月20万ほどの支払いとなる。
https://www.courts.go.jp/vc-files/courts/file5/youiku-3.pdf
この支払いは法的拘束力を持つものであり、子が成人するまで支払う必要がある(なお成人が18歳になった現在でも20歳までと判定されることが多い)
また、金額が育児に必要な金額で決まるのではなく、夫と妻の収入差で決まることも大きい。
子供の為と頭で理解してはいても、おそらく月1回程度しか会うこともできない状況で、十数年支払いが強制される未来が確定することの絶望は計り知れないだろう。
この法律を離婚時に知ることで、専業主婦としてしまったこと、法律婚としたことを後悔して苦しむことになったのではないだろうか。
一度は愛した元妻から、法の元①②の要求をされたら誰だって絶望するだろう。
念の為、今の日本で①②の要求をすることは全くの合法であり、法的に何も間違っていないことは言及しておく。
囚人のジレンマでいうところの「協調ー裏切りモデル」があるが、今の日本の制度だと一馬力-専業主婦家庭の場合、裏切りのリスク(親権・婚姻費用・養育費)が非常に高く、裏切られた場合に働き盛りの男性が絶望して鬱になったり、自殺したり、無敵の人となるのは想像に難くないと思う。
専業主婦側の行動が「裏切り」で定まる以上(専門的にはナッシュ均衡の状態)、ルールが変わらないとどうしようもない。
リスクを恐れて結婚・出産を避ける人が増えるのも当たり前だと思う。
本内容に対して、個人で出来ることは少ない。
養育費を払っている人を肯定し励ますことや、共同親権運動・親子連れ去り反対運動を支援することくらいだろうか。
司法や政治に関わる方は是非、諸外国と同様にな共同親権制度の発足、夫婦の差額ではなく必要な金額としての養育費算定表の作成、女性の収入向上などにより、バツイチ男性の自殺を減らせるように進めて欲しい。
家庭を持つこと自体は幸せなことだし、日本人が増えることは社会全体としてパレート最適になることなので、徐々に法律・文化が変わっていくと嬉しい。
少子化対策、私はした方がいいと思うけど、多くの人が「そんなことするな」もしくは無関心なのも納得はできる。
少子化対策しないことで起きる問題を直撃するのはこの後30年も40年も生きる予定の人だけ。
半数以上(6割近く)の有権者は人口減の悪影響を大きく受けることはない。
少子化の影響を受ける世代でも「何とかしないと30年後に苦労することになりますよ!」と言われたところでピンと来る人はいないだろう。今は困ってないんだから。
そんな来るかどうかわからない未来に気を使うより、今楽しく暮らす方が大事。
なので大半の国民が少子化対策に反対(もしくは完全に無関心)でも不思議なことではない。
それに対して本当に少子化を何とかするなら予算がいくらあっても足りないので、負担を増やすか何かの予算を削らなければならない。今生きているほどんどの人が恩恵を預からないのにそんなことは有権者が許さない。
少子化対策に限らないが、こういった問題は「この一つの施策を実行しただけで全部丸っと一気に解決!!」みたいなことにはならない。
あれもこれもどれもそれも、あらゆる角度から様々なことをやって、一つ一つは0.1%ぐらいしか好転させることができないことを大量に重ねていって、ようやく目に見える効果になってくる。
政治でできることもあるけど、政治だけじゃできないこともあるし、民間で一人ひとりがやらないと良くならないこともある。
そしてそれら一つ一つも簡単にできることじゃない。だから面倒くさいし成果も見えにくいからやる気も起きない。
全員で何とかしようとすれば、何とかなるかもしれないけど、大変だしそんなこと楽しくないから誰かに押し付けたい。
そんなことより今を楽しく幸せに生きることに力を注いだ方が賢い。
まあ一応「話だけは聞いてやったぞ。ところで所属と階級を教えてくれないか?お前の職場に「舐めたこと言ってくるカスがいたから締めといてくれよ」って告げ口するからさ(意訳」という返事は返ってくる。
完全に無視だ。
だから今度はCCにタップリと自民党だったり共産党だったり朝日新聞だったり大使館だったりをタップリと入れてお互いに「え~~~こんなメールが来たのに無視するとかカスすぎ~~~」と言える状態を作ってやろうかなと思ってる。
でも組み合わせを間違えると「そもそも皆で無視すればなかったことに出来ね?」という囚人のジレンマが始まってしまう。
そうならないようにする組み合わせを一緒に考えて欲しい。
だって普通に身内だけでやっててもこの組織は変われる感じがしないんだよ。
こないだ防衛大臣からハラスメント防止の指示が来て、それについての指示が隅々までやってきた。
全く変わってない。
いつものようにギャーギャー騒いでいる幹部様の声は鳴り止まない。
一般的にはどう考えてもハラスメントの領域なのだが、わざわざ通報しても自分らの仕事まで止められて痛み分けになるだけだと知っているからもう皆ダンマリだ。
告知が来て、「もうこういうことするなよ」と言われた直後でこの有様だ。
むしろ「告知が来ても誰も何も言わないってことは、やっぱこれぐらいはセーフなんじゃん」と開き直られてしまった状態だ。
偉くなるほどその傾向は強くなる。
防衛大臣のハラスメント告知は「告知が来たのにセーフなんだから、もう完全にセーフじゃん」という大義名分を与えるだけに終わったらしい。
辛い。
流石にもう窓口に相談しようと思う。
告発したい内容は
・ハラスメントにならないギリギリを攻めるチキンレースが前よりヒートアップしてるよ。
・装備品の予算が増えたけど偉い人がご満悦になる玩具ばっかり買ってるよ。
・玩具を貰った部隊が増長して「僕たちは他と違うからさ、僕たちを優先するのは当然じゃね?」みたいになってて相手してられないよ。
・施設や備品は相変わらずボロボロだよ。パソコンは未だに4GBのままでグルグルフリーズしまくるよ。
・効率の悪い仕事まだまだ沢山してるよ。無駄に周回したり国の金でパーティー開いたりして偉い人がいっぱいお喋りしたいらしいけど仕事させてほしいよ。
あたりかなあ。
このうち「これは食い合わせが悪いからやるにしても次回にまわしたほうがいい」みたいなのあったらそれも知りたい。
とにかくこの状況を何とかぶっ壊したいんだよね。
正直自分自身もいい加減もう辞めようと思ってるんだけど、自分が辞めた所で国防に携わる人間がこんな無駄なことしてる現状は変わらないじゃん。
無駄なことばっかりやって人件費も無駄遣いしちゃったから竹槍で戦うしかなくなられても困るし、こんな無駄な時間の使い方してる状態で増税とかされても納得できないんだよね。
自分がいるうちに変えるための種だけ撒いておきたい。
芽が出るまで耐えられる気はしないけど、いるうちにやれることはやっておきたい。
東中山の駅で各駅停車を横目に速度を上げて通過しているとき、運転席から「あー!」という声が聞こえて直後にゴンという音と軽い衝撃。電車は駅を通り過ぎて止まった。
自分は運転席のすぐ後ろにいたが、座っていたので事故は見えなかった。60代くらいの男性らしい。駅員と車掌で救助完了とのことだが、あの速度では助からなかっただろう。処理が早かったので、恐らく車輪には巻き込まれず線路脇に跳ね飛ばされたのだと思う。高砂で運転打ち切りになった列車の先頭を覗いてみたが、なんの痕跡も見えなかった。
この列車で人身事故がー、という自動音声があったこと、20分もせず運転再開になったことの日常茶飯感がやばかった。
なお、運転再開後、勝手に踏切を渡った人がいたせいで徐行や一時停止が頻発し、真面目に待っている人が更に待たされるという、囚人のジレンマが裏切られるこの都会は💩
温暖化は人間の活動とかあんまり関係なくて、地球自体の動きによるものみたいな情報を割と信じてる。おれは現状に甘んじられる情報を信じたいから。
それに今対策しても効果が現れるのは次世代以降だろうし、おれは次世代がどうなろうとどうでもいい。
薄皮の薄皮一枚の表面でウヨウヨしてる人間風情が地球様に影響を与えてるだなんて、傲慢なんじゃないかとすら思う。
でも夏になる度に、いやヒートアイランド現象は「真実」だわって思う。10年前はこんなに暑かったか?というのはあながち気のせいでとないかもしれない。
温暖化とヒートアイランドは一応別口の問題らしいけど。大気の組成とかよりも地面の舗装とかエアコン使いまくりとか、もっと直接的な要因らしいし。
要因が直接的だからこそ、もうちょっとなんとかならんかって思う。全員がエアコンを少し我慢するだけでも大分変わるんではないか。
暑さ我慢大会して結果迷惑をかけてる老人はぶっ叩かれてるけど、じゃあエアコンをガンガンにかけてもこれから先どんどん暑くなっていく一方じゃないか?って。
さりとて今更打ち水や朝顔で対策しようって気にもならんし。他の人らが我慢してるしおれひとり涼んでも問題ないやろってなるし。囚人のジレンマですねえ。
温暖化だって、固体になってた二酸化炭素を燃やせばそら爆発的に増えますわなとも思う。暑くなってるのも薄皮部分内での話なんだから、人間の活動も影響するだろとも思う。
でも都市部の局所的な気温上昇とかじゃなくて世界レベルのスケールになると、もう知らんわっつってエアコンガンガンにつけたくなる。
まあ暑いのはカスだけど、帰り道天然サウナに晒されて家着いた瞬間風呂に直行して水をぶっかぶる瞬間は格別だな。
打ち水より体に水かけた方が早いわ。