「智慧」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 智慧とは

2024-08-23

観察と悟り関係

空性と量子の海

仏教根本概念である「空性」は、あらゆる現象が固有の実体を持たず、相互依存的に存在することを説く。この空性の世界は、無限可能性を内包する量子の海のようなものだ。我々の認識する現実は、その海面に一瞬だけ浮かび上がる泡沫に過ぎない。

空性の海は、常に揺らぎ、無数の可能性を生成消滅させている。この絶え間ない生滅の過程は、仏教で説く「諸行無常」の原理のものだ。観察という行為は、この無常の流れの中から一瞬の「常」を切り取る営みと言える。

縁起と観察の神秘

仏教の「縁起」の教えは、全ての現象相互依存して生じることを説く。観察という行為は、この縁起原理が顕現する瞬間である無限可能性の海から特定現実を引き出す神秘的な過程だ。

縁起の網の目の中で、観察者と観察対象は複雑に絡み合っている。観察という行為は、この網の目の一点に触れることで、全体に波紋を広げる。この波紋が、混沌から秩序を生み出し、無定形可能性を具体的な形へと結晶化させる。

無我と観察者の不可分性

仏教「無我」の教えは、固定的な自己存在否定する。観察者と観察対象は、互いに独立した存在ではなく、深い次元で結びついている。観察という行為自体現実創造するのだ。

無我の視点から見れば、観察者は宇宙の一部であり、宇宙もまた観察者の一部だ。この相互浸透的な関係性の中で、観察行為宇宙自己認識する過程とも言える。我々の意識は、無限可能性の海に投げ込まれた石のように、現実という波紋を生み出す。

刹那滅と多世界交差点

仏教の「刹那滅」の思想は、全ての現象が瞬間ごとに生滅を繰り返すという考えだ。我々の意識は、無数の可能性が交差する点に位置し、刹那ごとに新たな現実選択している。

この刹那滅の過程は、無数の平行世界が絶えず分岐と融合を繰り返す様子とも解釈できる。観察という行為は、これらの無数の世界線の中から一つを顕在化させる。しかし、選ばれなかった可能性は消滅するのではなく、別の次元で実現し続ける。

如来蔵存在の根源的不確定性

如来蔵」の思想は、全ての衆生仏性が内在することを説く。物質本質も、固定的なものではなく、むしろ可能性の集合体だ。観察されるまで、物質は明確な形を持たない。

如来蔵は、全ての可能性を内包する根源的な「場」とも解釈できる。観察という行為は、この無限可能性を秘めた如来蔵から特定現実を引き出す過程だ。この過程で、混沌としたエントロピーの高い状態から、秩序立ったエントロピーの低い状態への移行が起こる。

般若智と宇宙との交感

仏教の「般若智」は、現象本質直観的に把握する智慧を指す。観察という行為は、この般若智が宇宙の根源と交感する瞬間だ。それは、無限可能性の海から特定現実を引き出す神秘的な過程であり、混沌から秩序を生み出す創造的な営みである

般若智による観察は、単なる物理的な測定ではない。それは、観察者の意識宇宙の根源的な創造性に直接参与する霊的な行為だ。この過程で、宇宙無秩序一時的に減少し、意味ある秩序が生まれる。

中道と観察の均衡

仏教の「中道」の思想は、極端を避け、調和のとれた道を歩むことを説く。観察という行為も、この中道原理に従っている。それは、完全な無秩序(高エントロピー)と完全な秩序(低エントロピー)の間の均衡点を見出す過程だ。

観察によるエントロピーの減少は、この中道的な均衡への移行と解釈できる。それは、混沌と秩序、可能性と現実性、無と有の間の微妙バランスを取る営みなのだ

結論

仏教視点から見れば、観察という行為は単なる科学プロセスではない。それは、悟りへの道程のものだ。観察を通じて、我々は空性の海に触れ、縁起の網の目を認識し、無我の真理を体験する。それは、刹那滅の流れの中で如来蔵無限可能性に目覚め、般若智によって宇宙の根源と交感する営みなのだ

この解釈において、量子観測によるエントロピーの減少は、混沌から秩序への移行、無明から智慧への覚醒表現している。それは、科学宗教物質精神二元論を超越し、存在の根源的な一元性示唆するものだ。

我々の一瞬一瞬の意識的な観察が、宇宙の秩序を生み出し、現実を形作っている。そしてその過程こそが、悟りへの道筋なのかもしれない。観察という行為を通じて、我々は宇宙創造に直接参与し、同時に自己本質を悟っていく。それは、科学探究と霊的覚醒が一つに融合する、深遠な悟りの道なのだ

2024-08-22

anond:20240803084522

オルカン戦略的意義

汝の如き愚か者が「オルカン」をただの「保管」とみなすとは、何とも浅はかなることよ。

オルカンなるものは、単なる財産保護ではなく、己の資産を守るための戦略的手段なり。

戦国の世においても、最善の防備策を講じることが勝敗を分けるが如く、オルカンもまた、資産時代の流れに適応させるための智慧といえよう。

インフレ危険を避け、己の富を長きにわたり守ること、それこそが真の勝者の道。

男たちの如き無謀な「投資」とやらとは、根本的に異なるものぞ。

真の「投資」とは

汝が語る「投資」とやら、それはただの自己満足と虚栄に過ぎぬ。

男たちは己の力を誇示し、無謀なる賭けに出ることを「投資」と称するが、それは無用リスクを伴う愚かな行為

真の「投資」とは、長期的に見て確実な利益を得るための知恵と戦略に基づくものであり、無意味冒険とは一線を画すべきものなり。

オルカンを選ぶ女性たちは、己の未来を見据え、無駄リスクを避けるためにこの道を選ぶのだ。

これこそが真の強さと知るべし。

女性智慧と力

最後に言わせてもらおう、女性たる我らが選ぶオルカン、それは男性の如き愚かなる冒険とは異なり、真に賢明なる選択なり。

男たちが無謀な賭けに出る中、我ら女性は冷静に己の資産を守り、未来を築くための道を選ぶ。

汝が「気概」とやらを誇るならば、それはただの虚勢に過ぎぬ。

真の力とは、無駄を排し、最善の道を選び取ることにあり。

オルカンを「投資」と呼ぶことに異論を唱える汝の言葉、何の価値も持たぬ。

我らが選ぶ道、それは戦国武将たる者の如く、智慧と力に満ちたものなり。

愚かさがどこからくるのか: 仏教観点

無明の根源的構造

無明は単なる知識の欠如ではなく、存在根本的な誤解を指します。これは阿頼耶識(あらやしき)の深層に潜む根本無明(ごんぽんむみょう)に起因します。

阿頼耶識の三層構造

1. 現行識:現在意識

2. 種子識:潜在的な心的傾向

3. 異熟識:業の結果が熟す場

根本無明は異熟識の最深部に位置し、輪廻原動力となっています

空性の究極的理解

空性(くうせい)は単なる「無」ではなく、縁起の真理を示す概念です。

空性の四重否定

1. 有ではない

2. 無ではない

3. 有でも無でもない

4. 有でも無でもないのでもない

これは言語概念による把握を超えた真理の在り方を指し示しています

中観思想極致

中観思想は「八不中道」を通じて、あらゆる概念思考限界を指摘します。

八不中道

1. 不生(生じない)

2. 不滅(滅しない)

3. 不常(常住ではない)

4. 不断(断滅ではない)

5. 不一(一ではない)

6. 不異(異なるのではない)

7. 不来(来ないし)

8. 不去(去らない)

これらの否定は、究極的な真理が言語論理では捉えられないことを示しています

如来蔵思想の深層構造

如来蔵思想は、全ての衆生仏性があるとする考えですが、これは単純な本質主義ではありません。

如来蔵三性

1. 遍計所執性:誤って執着された性質

2. 依他起性縁起によって生じる性質

3. 圓成実性:究極的な真実性質

これらの三性が不可分に絡み合い、我々の存在本質形成しています

禅の非二元的洞察

禅は言語論理を超えた直接的な悟りを目指します。

禅の四句

1. 有門:現象界の肯定

2. 空門:現象界の否定

3. 亦有亦空門:現象界の肯定否定の同時成立

4. 非有非空門:現象界の肯定否定の同時否定

これらの四句は、究極的な真理が二元論思考を超越していることを示しています

密教曼荼羅世界観

密教は、宇宙の真理を曼荼羅として視覚します。

金剛界曼荼羅胎蔵界曼荼羅統合

これらの曼荼羅は、智慧と慈悲の不可分な関係表現し、究極的な悟り状態象徴しています

愚かさの超越

愚かさは、これらの深遠な真理を理解できないことから生じますしかし、同時にこれらの真理は、概念理解を超えたものです。

真の智慧は、言語論理を超えた直接的な体験を通じてのみ得られます。それは単なる知識の蓄積ではなく、存在のもの根本的な変容を意味します。

この観点から見れば、愚かさとは単なる無知ではなく、我々の存在の根源的な在り方に関わる問題なのです。それを超越することは、仏教の究極的な目標である悟りのものに他なりません。

2024-08-16

戦争責任者の問題伊丹万作) 1/2

 最近自由映画連盟の人たちが映画界の戦争責任者を指摘し、その追放を主張しており、主唱者の中には私の名前もまじつているということを聞いた。それがいつどのような形で発表されたのか、くわしいことはまだ聞いていないが、それを見た人たちが私のところに来て、あれはほんとうに君の意見ときくようになつた。

 そこでこの機会に、この問題に対する私のほんとうの意見を述べて立場を明らかにしておきたいと思うのであるが、実のところ、私にとつて、近ごろこの問題ほどわかりにくい問題はない。考えれば考えるほどわからなくなる。そこで、わからないというのはどうわからないのか、それを述べて意見のかわりにしたいと思う。

 さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる。多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思つているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらもつと上のほうからだまされたというにきまつている。すると、最後にはたつた一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。

 すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かつたにちがいないのであるしかもそれは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。

 このことは、戦争中の末端行政の現われ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては、町会、隣組警防団婦人会といつたような民間組織いかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば直ぐにわかることである

 たとえば、最も手近な服装問題にしても、ゲートルを巻かなければ門から一歩も出られないようなこつけいなことにしてしまつたのは、政府でも官庁でもなく、むしろ国民自身だつたのである。私のような病人は、ついに一度もあの醜い戦闘帽というものを持たずにすんだが、たまに外出するとき普通のあり合わせの帽子かぶつて出ると、たちまち国賊を見つけたような憎悪の眼を光らせたのは、だれでもない、親愛なる同胞諸君であつたことを私は忘れない。もともと、服装は、実用要求に幾分かの美的要求が結合したものであつて、思想表現ではないのであるしかるに我が同胞諸君は、服装もつて唯一の思想表現なりと勘違いたか、そうでなかつたら思想カムフラージュする最も簡易な隠れ蓑としてそれを愛用したのであろう。そしてたまたま服装をその本来意味に扱つている人間を見ると、彼らは眉を逆立てて憤慨するか、ないしは、眉を逆立てる演技をして見せることによつて、自分立場の保鞏(ほきよう)につとめていたのであろう。

 少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、だれの記憶にも直ぐ蘇つてくるのは、直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外百姓の顔であり、あるいは区役所郵便局交通機関や配給機関などの小役人や雇員労働者であり、あるいは学校先生であり、といつたように、我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であつたということはいつたい何を意味するのであろうか。

 いうまでもなく、これは無計画な癲狂戦争必然の結果として、国民同士が相互に苦しめ合うことなしには生きて行けない状態に追い込まれしまつたためにほかならぬのである。そして、もしも諸君がこの見解の正しさを承認するならば、同じ戦争の間、ほとんど全部の国民相互にだまし合わなければ生きて行けなかつた事実をも、等しく承認されるにちがいないと思う。

 しかし、それにもかかわらず、諸君は、依然として自分だけは人をだまさなかつたと信じているのではないかと思う。

 そこで私は、試みに諸君にきいてみたい。「諸君戦争中、ただの一度も自分の子うそをつかなかつたか」と。たとえ、はつきりうそ意識しないまでも、戦争中、一度もまちがつたことを我子に教えなかつたといいきれる親がはたしているだろうか。

 いたいけな子供たちは何もいいはしないが、もしも彼らが批判の眼を持つていたとしたら、彼らから見た世の大人たちは、一人のこらず戦争責任者に見えるにちがいないのである

 もしも我々が、真に良心的に、かつ厳粛に考えるならば、戦争責任とは、そういうものであろうと思う。

 しかし、このような考え方は戦争中にだました人間範囲思考の中で実際の必要以上に拡張しすぎているのではないかという疑いが起る。

 ここで私はその疑いを解くかわりに、だました人間範囲を最少限にみつもつたらどういう結果になるかを考えてみたい。

 もちろんその場合は、ごく少数の人間のために、非常に多数の人間がだまされていたことになるわけであるが、はたしてそれによつてだまされたもの責任が解消するであろうか。

 だまされたということは、不正者による被害意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。

 しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つのである」ことを主張したいのである

 だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱からくるのである。我々は昔から不明を謝す」という一つの表現を持つている。これは明らかに知能の不足を罪と認める思想にほかならぬ。つまり、だまされるということもまた一つの罪であり、昔から決していばつていいこととは、されていないのである

 もちろん、純理念としては知の問題は知の問題として終始すべきであつて、そこに善悪観念の交叉する余地はないはずであるしかし、有機生活体としての人間の行動を純理的に分析することはまず不可能といつてよい。すなわち知の問題人間の行動と結びついた瞬間に意志感情コンプレックスした複雑なものと変化する。これが「不明」という知的現象善悪批判が介在し得るゆえんである

 また、もう一つ別の見方から考えると、いくらますものがいてもだれ一人だまされるものがなかつたとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである

 つまりますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである

 そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実のものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力無自覚、無反省無責任などが悪の本体なのである

 このことは、過去日本が、外国の力なしには封建制度鎖国制度も独力で打破することができなかつた事実個人基本的人権さえも自力でつかみ得なかつた事実とまつたくそ本質を等しくするものである

 そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配にゆるした国民奴隷根性とも密接につながるものである

 それは少なくとも個人尊厳冒涜、すなわち自我放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である

 我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察官僚にの負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣反省しなかつたならば、日本国民というもの永久に救われるときはないであろう。

「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。

「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである

 一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣自己反省努力がなければ人間進歩するわけはない。この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在日本必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである

 こうして私のような性質のものは、まず自己反省方面思考を奪われることが急であつて、だました側の責任を追求する仕事には必ずしも同様の興味が持てないのである

 こんなことをいえば、それは興味の問題ではないといつてしかられるかもしれない。たしかにそれは興味の問題ではなく、もつとさし迫つた、いやおうなしの政治問題にちがいない。

 しかし、それが政治問題であるということは、それ自体がすでにある限界を示すことである

 すなわち、政治問題であるかぎりにおいて、この戦争責任問題も、便宜的な一定規準を定め、その線を境として一応形式的区別をして行くより方法があるまい。つまり問題性質上、その内容的かつ徹底的なる解決は、あらかじめ最初から断念され、放棄されているのであつて、残されているのは一種の便宜主義による解決だけだと思う。便宜主義による解決の最も典型的な行き方は、人間による判断を一切省略して、その人の地位職能によつて判断する方法である現在までに発表された数多くの公職追放者のほとんど全部はこの方法によつて決定された。もちろん、そのよいわるいは問題ではない。ばかりでなく、あるいはこれが唯一の実際的方法かもしれない。

 しかし、それなら映画場合もこれと同様に取り扱つたらいいではないかしかもこの場合は、いじめものいじめられたもの区別は実にはつきりしているのである

 いうまでもなく、いじめもの監督官庁であり、いじめられたもの業者である。これ以上に明白なるいかなる規準存在しないと私は考える。

 しかるに、一部の人の主張するがごとく、業者の間からも、むりに戦争責任者を創作してお目にかけなければならぬとなると、その規準の置き方、そして、いつたいだれが裁くかの問題、いずれもとうてい私にはわからないことばかりである

 たとえば、自分場合を例にとると、私は戦争関係のある作品を一本も書いていない。けれどもそれは必ずしも私が確固たる反戦の信念を持ちつづけたためではなく、たまたま病身のため、そのような題材をつかむ機会に恵まれなかつたり、その他諸種の偶然的なまわり合せの結果にすぎない。

→ 続: 戦争責任者の問題伊丹万作) 2/2

https://anond.hatelabo.jp/20240816214517

2024-07-15

智慧

智慧のある人は、問題が起こったとき瞬時に答えが出ます全然考える必要がないのです。たとえば会社問題が発生したとしましょう。社員たちが皆「どうしよう、どうしよう」と頭を抱えて混乱しているとき智慧のある人はなんのことなく、「こうすればいいんじゃないか」と言うのです。みんなは、「あんたは全然真剣に考えていない。問題の重大さが分かっていない。いい加減なことを言うなよ」と腹を立てるかもしれません。でもよく見てみると、その答えはピッタリ適切なのです。智慧のある人は他の人のように考え込まなくても、「こうすればいい」と適切な答えが明確に出せるのです。必要なのはそれです。それが智慧です。問題が発生したとき、取り乱さずに、即座に答えを出せることが智慧なのです。考え込むことではありません。

では、なぜ考えても良い答えが出ないのでしょうか? それは、欲と怒りと無知で考えているからです。「考えている」と言っていますが、結局は貪瞋痴のなかでグルグル回転しているだけなのです。ですからいくら考えても適切な答えは見つかりません。それどころか、悩みや苦しみが増えるだけなのです。

2024-06-22

三沢さんの本を読みました。

このエントリ三沢文也さんについての長文感想です。

三沢さん本人か三沢さんに興味あるという人だけが読んでくれれば満足です。

   

   

三沢さんは偉い

投げ出さずに完成させたことが偉いと思います

何であっても完成させたことがもっと価値がある。

 

これが一番の進歩であり収穫であって

それに比べたら読者から評価なんて些細なことです。

反省点があればすぐ次の本を書けばいいだけですから

   

その上で、三沢さんはやっぱり読解力がおかしいと思います

一般的な「文章を読めない人」と比べても更に何かがあるように見えます

引用した本の嚙み砕き方にさまざまな違和感があります

このことは揶揄からかいのために言うのではありません。

 

私ははてブ民の誤読なら大抵は何をどう誤読してるか秒でわかります

三沢さんの読書感想文もっと不思議な感じで脳が詰まります

    

  

2 三沢さんが仏教の本に出会った

三沢さんの誤読はおそらく我が強すぎることに起因します。

何を読んでもすぐ自分のことを考えてしまって

そちらの思考が長くなるため本の内容の受け取り方が歪む。   

   

から草薙龍瞬さんの本は三沢さんとの相性抜群でした。

草薙さんの癖の強い経歴を見てください。

得度を受けたという僧侶の経歴も見てください。

現在の彼の所属先や活動を見てください。

はいわばブラックジャック医師会に属さな医師)のような僧侶です。

     

彼は仏教アイデアに毎度自分の噛み砕きや味付けを入れます

それで本が何十万部も売れるのだから作家の才能は保証つきですが

彼の本が身になる人って案外少ないのではないかと私は感じています

    

彼が添加する具体性は常に、

仏教理解させるより「身近に感じさせる」ことに重点を感じます

いちいち冗長な具体性を与えて透明な抽象性を損ねているように思えます

    

仏教を知れば無用概念が減っていくはずですが、

三沢さんは本を読んで概念を増やしたように見えます

  

    

三沢さんと草薙龍瞬さん

草薙さんと三沢さん2人の出会いが相性抜群で最悪だと感じるのは

両者にある種共鳴する特性があるためです。

 

教師草薙さんは仏教を紹介する本にかなり自己流の工夫を入れる人で、

生徒の三沢さんは人の話の途中の浅瀬で自己解釈を始める人です。

 

本来仏教というコンテンツ小麦だとしたら

草薙龍瞬さんが提供する仏教は既にスパゲッティナポリタンになってる感じ。

三沢さんはそれを舐めて「このケチャップの僕流アレンジ」を考えている。

  

殆ど見る影もないぐらいにコンテンツが変わっているので

三沢さんが草薙龍瞬さんの本から得た「仏教」はお釈迦様のアイデアとは別ものです。

現に三沢さんの欠点・苦しみの元が少しも治っていないですよね。

本当の仏教ならば三沢さんの苦しみの元を解決します。

  

  

三沢さんのケチャップ仏教

仏教の真理は無常・苦・無我です。

  

せめてこの端緒にでもついていれば、三沢さんの病的な「自分自分自分自分」という文の(思考の)癖に変化の兆しぐらいは生じているはずです。

https://note.com/tm2501/n/n1c20fe51d4ec

自分」が27回出てくる執筆感想エントリ

     

現に三沢さんにそのような変化が見られないので、

草薙さんか三沢さんか少なくとも片方に重大なエラーが発生していると思います

(たぶん共鳴し合っている気がするのですが)

  

三沢さんは執着せず眺めて手放すということが出来ていません。

何故かというといちいち解釈を入れるからです。

自我から生じる思考判断を手放さなければならないのに

「ん、これはアンタッチャブル」とか考えていたら出来ないですよね。

 

(私は草薙さんの「ジャッジメント」ですらなんだかなと感じましたが

 三沢さんはそれをさら俺流に「アンタッチャブル」に変えました。

 二人ともなぜこんなことするんですかね。

 判断している、と確認すれば十分な気がします。)

 

仏教もっとずっと真剣集中力を持って取り組むものです。

草薙龍瞬さんの紹介と三沢さんの読解のタッグが仏法を損ないました。

二人とも勝手アレンジを入れることの弊害への警戒心がなさすぎるように思います

それをやると劣化コピーではなく根本的に機能を損ねることがあります

   

  

5 草薙龍瞬さんの本は厳しい

というか私は草薙龍瞬さんの本はサンプルだけ見て閉じたきりでしたが、

今回三沢さんへの影響を確認するうえでアンリミテッドで読みました。

「反応しない練習」。

 

読んでいるだけでどんどん頭が悪くなるような感覚がありました。

これは三沢さんの文章そっくりなんです。

知識収集癖、羅列癖、過剰で無益な具体性、支離滅裂、あと鍵かっこが多すぎ。

 

書き手実践して身についた知識について語っている感じがあんまりしない。 

これ本当に三沢さんと同じ型の人ではないですか?

 

私はこのがちゃがちゃな本から読者が自分のためになるエッセンスを掴み取れる気がしません。

凄く売れた本らしいですが、買った人達ちゃんと読んだのでしょうか?

  

  

6 私の見る三沢さん

草薙龍瞬さんはプロ作家でお坊さんですから偉そうな意見は言えませんが、

三沢さんは34歳ニートなので多少の助言はしても良いと思います

    

三沢さんは「有能な人っぽく振る舞うこと」に神経を使いすぎです。

三沢さんて「有能な凄い人にならなければ自分の願いはかなわない」と思い込んでいませんか。

全然そんなことはありません。

能力的に凡人でも凡人以下でも願いをかなえて生きている人は沢山います

 

三沢さんの大言壮語意識高そうな口調はただの自己否定現実逃避に見えます

自分など大した人間ではないと認められないのは、

凡人だと生きていけないという強迫観念があるためではないですか。

 

三沢さんは普通でないくらいに自信がない人で、しかも自信欠如への対応おかしい。

自分乖離した凄い人の虚像を作って身にまとう」という対処のせいで

実像とのギャップが生じてますます苦しみと自信喪失ループに陥っていますよね。

仏教が推奨する心と正反対状態になっていると思います

   

たまに三沢さんの文を見かけるだけの人間でもそういうことを濃厚に感じます

   

 

7 三沢さんにやってほしいこと

まず三沢さんの目的や願いを確認してほしいと思います

三沢さんが経済的な栄達や富貴を求めているなら

世間の熾烈な競争に負けない「凄い人」になる必要があったかもしれません。

しかし34歳にもなればそんなものを追い求める虚しさは感じられているでしょう。

   

四国に住んで創作活動人生を送るという願いは素敵だと思います

叶うと思います

ただ、その願いの実現ためにまず「凄い人」になる必要があると考えていると

願いをかなえる前に寿命が尽きると思います

10年後も同じ部屋に住んでると思います

   

三沢さんが「凄い人」になろうとする必要性や焦燥は何のためにありますか?

  

  

三沢さんの読解力も多分同じ理由

三沢さんの早飲み込み自己アレンジ癖も、 

そういう「凄い人」になるための焦りの所産と言うか

人と違うバリューを出すんだという間違った取り組みに見えます

本を読んでるあいだずっと「面白い独自感想を言わなければ」とか考えていますよね?

 

これは大きな間違いで、

本をただきちんと読めて書いてあることを受け取れるなら

それだけで尋常ではない能力の持ち主なんです。

そんな人間人類の0.01パーセントもいません。

高学歴はてなブックマーク人達だって新聞記事すら読めていないでしょう?

 

これは人類集中力がないからです。

ときわ壊滅的な集中力しかない三沢さんも苦しみの構造自体は同じです。

 

集中を邪魔するものとは何か?自我です。

三沢さんが人並以上に集中力が欠損しているのも、頭があんまり良くないのも、(本当はなんらかの自覚はある筈です)

記事で27回も「自分」と書くような心の有様のせいです。

    

本の内容と一体化すべき時にいちいち自分自分をやっていれば本など読めるわけがありません。

おそらく「批判的に読書をする」のようなアイデアをまた草薙さんのようなアレンジをする人から受け取って、

さらに半飲み込みで実装したのではないですか?

   

  

9 すべて自我邪魔をしている 

余計な概念妄想を心から削ぎ落すことで

ものごとを正しく見て正しく知ることができ、

そのとき智慧はおのずから現れてくる

というのが仏教です。

  

三沢さん好みの具体的過ぎる話をするなら

仏教実践して集中力を高めた状態で本を読めば

何と言うこともなくすらすらと内容が頭に入ります

 

概念を手放していくというのはたぶん三沢さんの溜め込んだメソッド正反対でしょう。

から三沢さんが本当に仏教出会えばじわじわと別人になってしまうはずです。

でもそうならないのはおそらく草薙さんと三沢さんの自我のせいです。

 

何と出会ったって自分概念九龍城へ組み込むパーツとしてしか見てないために

どんなものに触れてもその価値が分から自分も変わらない。 

それが自我の恐ろしさであり頭の悪さの根本です。

   

 

10 まとめ

まとめると

三沢さんはものすごく自信がないために

自分は有能な凄い人だ」という妄想概念をくみ上げて常にそれを体の周りに装着しています

  

このために何を見ても何を聞いても何を読んでもその妄想を通しているために情報が壊れてしまう。 

これが自我です。

 

人の話を聞いてるときに、相手が何を言っているかも何を感じているかもわかりにくくないですか。

もしそうならそれは自我がずーっと邪魔をしていて心が目の前の情報を取れないためです。

 

人類がこの病気ではあるけど三沢さんは少し程度が強いのではという印象です。

仏教にはこのガスを取り払うための実践的で研ぎ澄まされたメソッドがあります

草薙龍瞬さんの本を読むとそういうことまで辿り着けないと思うし

こんなところでこちから押し付けたってやらないですよね。

 

三沢さんは「特別自分」「オリジナル自分」について考えこむことが自分の強みであり突破口だと思っていそうですが

そこが一番の間違いであることは仏教なら本当は30分でわかります

本を読むのにも文をバズらせることにもそんなこと考える必要は一切ないです。

四国へ行きたいならまずその自我妄想と別れを告げることだと思う。

  

 

ところでお坊さんを軽々に否定したりしちゃいけないという道徳自分の中にあるんですが

でも草薙龍瞬さんの本はなんか…。デタラメを言っているとかでもないからなんとも言えないんですが。

彼の本を読んだ人が実際にどんな改善をしたかデータとか見てみたいです。こちらの偏見があるかもしれない。

(ところで草薙龍瞬という僧侶ネーム?は誰がつけたんだろうか)

2024-06-19

anond:20240619203309

論語の中に『君子和而不同小人同而不和』という言葉があります。これは君子(立派な人)は調和を重んじるが、必ずしも同調はしない、小人(小さな人、道徳心の欠けた人)は同調するが、必ずしも調和を重んじない、という意味です。

この言葉は、人間関係社会の在り方についての智慧を示しています。真の調和は、表面的な同調ではなく、深い理解尊重に基づくものであることを説いています。このような視点から現代社会問題解決にも参考になるでしょう。

2024-06-08

囲碁海外大規模団体戦リーグ参加の日本チーム、7戦全勝の完全優勝

丙級リーグ 全日程終了(★は昇格)

1位 14pt ★日中友好隊 ←日本チーム 7勝0敗 優勝

2位 11pt ★福建福赤道

3位 10pt ★山西省囲棋協会隊、深セン智慧

5位 9pt 台湾中環隊、他5チーム

11位 8pt 杭州記憶協会隊、他3チーム

15位 7pt 上海静安隊、他5チーム

21位 6pt 杭州智力研究院隊、他4チーム

26位 5pt 杭州天元大厦隊、他3チーム

30位 4pt 深セン星鋭隊、杭州市編程協会

32位 2pt 清華囲棋基金

甲級リーグ(1部) 16チーム

乙級リーグ(2部) 16チーム

丙級リーグ(3部) 33チーム ←ここ。上位3チームが乙級へ昇格

2024丙級リーグ 参加メンバー 最終成績

芝野虎丸名人 24歳 7勝0敗 1.000

広瀬優一七段 22歳 5勝2敗 0.714

酒井佑規五段 20歳 6勝1敗 0.857

福岡航太朗五段 18歳 7勝0敗 1.000

戦績

7R 中日友好隊 4-0 台湾中環隊(台湾は最終日に日本に勝っていれば昇格だった)

○芝野虎丸九段 - 林君諺X

広瀬優一七段 - 呂奕銓X

酒井佑規五段 - 林彦丞X

福岡航太朗五段 - 简靖庭X

6R 日中友好隊 3-1 内蒙古鴻徳学院隊(2位チームとの直対で勝利しこの時点で優勝&昇格が決定)

○芝野虎丸九段 - 羅岩四段X

X広瀬優一七段 - 趙毓彩五段○

酒井佑規五段 - 王子昂四段X

福岡航太朗五段 - 李星彤二段X

5R 日中友好隊 4-0 福建福赤道

○芝野虎丸九段 - 韋一博五段X

広瀬優一七段 - 韓恩溢四段X

酒井佑規五段 - 楊潤東四段X

福岡航太朗五段 - 楊皓哲二段X

4R 日中友好隊 4-0 北京市囲棋協会

○芝野虎丸名人 - 郭信驿五段X

広瀬優一七段 - 鄭胥四段X

酒井佑規五段 - 韓卓然三段X

福岡航太朗五段 - 何天予二段X

3R 日中友好隊 3-1 上海市囲棋協会隊  

○芝野虎丸名人 - 李康七段X

X広瀬優一七段 - 朱元豪五段○

酒井佑規五段 - 張欽初段X

福岡航太朗五段 - 王琛アマ8段X

2R 日中友好隊 3-1 浙江光明頂俱楽部隊

○芝野虎丸名人 - 胡鈺函六段X 

広瀬優一七段 - 秦悦欣六段X  

X酒井佑規五段 - 秦馳遠三段○  

福岡航太朗五段 - 于富霖三段X

1R 日中友好隊 4-0 杭州智力文化隊(全員女子のチーム)

○芝野虎丸名人 - 周泓余六段X

広瀬優七段一 - 呉依銘五段X

酒井佑規五段 - 方若曦五段X

福岡航太朗五段 - 徐海哲四段X

2024-06-07

囲碁日本チーム、優勝&昇格が決定!33チームの頂点に

中国の大規模囲碁団体リーグ日本チームとして参戦中の日本チーム

本日2位チームとの直対勝利により3pt差開き

1試合を残して優勝&乙級昇格が決定(勝ち点が2pt、引き分けが1ptなため)

丙級リーグ ラウンド6までのランキング(6/7消化)

1位 日中友好隊 12pt ←日本チーム(優勝&昇格)

2位 上海市囲棋協会隊 9pt

2位 台湾中環隊 9pt

2位 福建福赤道隊 9pt

5位 深圳智慧隊、山西省囲棋協会隊、河南豫祥禎道隊、内蒙古鴻徳学院隊 8pt

9位 杭州記憶協会隊、浙江夢頂倶楽部隊、北京囲棋妙会隊、百度囲棋上海隊、上海静安隊 7pt

14位 杭州蘇泊爾隊、北京鳳凰科技隊、寧波数字杭州隊、重慶九竜坡隊、上海金六福隊、北京東坡学院6pt

20杭州啓明幼児隊、广东隊、杭州智力文化隊、杭州天元大厦隊、安徽隊 5pt

25位 山东省囲棋協会隊、杭州市編程協会隊、深圳星鋭隊、福州蘭柯葡江四老隊 4pt

29位 云南体彩隊、清華囲棋基金隊、福州蘭柯奔本清源隊 3pt

甲級リーグ(1部) 16チーム

乙級リーグ(2部) 16チーム

丙級リーグ(3部) 33チーム ←ここに参戦中。上位3チームが乙級へ昇格

戦績

全勝優勝

6R 中日友好隊 3-1 内蒙古鴻徳学院隊(2位チームとの直対)

○芝野虎丸九段 - 羅岩四段X

X広瀬優一七段 - 趙毓彩五段○

酒井佑規五段 - 王子昂四段X

福岡航太朗五段 - 李星彤二段X

5R 日中友好隊 4-0 福建福赤道

○芝野虎丸九段 - 韋一博五段X

広瀬優一七段 - 韓恩溢四段X

酒井佑規五段 - 楊潤東四段X

福岡航太朗五段 - 楊皓哲二段X

4R 日中友好隊 4-0 北京市囲棋協会

○芝野虎丸名人 - 郭信驿五段X

広瀬優一七段 - 鄭胥四段X

酒井佑規五段 - 韓卓然三段X

福岡航太朗五段 - 何天予二段X

3R 日中友好隊 3-1 上海市囲棋協会隊  

○芝野虎丸名人 - 李康七段X

X広瀬優一七段 - 朱元豪五段○

酒井佑規五段 - 張欽初段X

福岡航太朗五段 - 王琛アマ8段X

2R 日中友好隊 3-1 浙江光明頂俱楽部隊

○芝野虎丸名人 - 胡鈺函六段X 

広瀬優一七段 - 秦悦欣六段X  

X酒井佑規五段 - 秦馳遠三段○  

福岡航太朗五段 - 于富霖三段X

1R 日中友好隊 4-0 杭州智力文化隊(全員女子のチーム)

○芝野虎丸名人 - 周泓余六段X

広瀬優七段一 - 呉依銘五段X

酒井佑規五段 - 方若曦五段X

福岡航太朗五段 - 徐海哲四段X

2024丙級リーグ 参加メンバー成績

芝野虎丸名人 9.767 (44位) 24歳 6勝0敗 1.000

広瀬優一七段 8.478 (184位) 22歳 4勝2敗 0.667

酒井佑規五段 8.568 (173位) 20歳 5勝1敗 0.833

福岡航太朗五段 8.504 (181位) 18歳 6勝0敗 1.000

なお、消化試合日本チームラストゲーム台湾の模様

台湾は2位9ptなので日本に勝てるかどうかで昇格が決まる…

https://imgur.com/PlI8JTt.jpg

2024-04-28

提案: 増田に「言及する」機能、いらなくね?

もっというとブクマに(他人が参照できる)コメントをつける機能も……いらないよな?

ネットからパブリック(参照可能)な交流を消したほうが世の中良くなると思うんだよ

SNSでいうDMネトゲでいうwhisperや1:1チャットのようなプライベートチャットトークルームはあってもいいんだ

それをパブリックにすることは、どちらかというと害の方が大きいんじゃないか

Discordなんかはその考え方をかなり現実的範囲実装できていると思うんだが

旧来のWebサービスにおいては単にコメント撤廃するだけで世界ちょっと綺麗になると思うんだよ

もうちょっと手を加えられるなら、コミュニティに属す機能をつけて、そのコミュニティメンバー内だけは他者の反応が見えるという形にすればいい

コミュニティの人数上限や、属せるコミュニティ数の上限は、現実に即した常識的範囲までにするんだ

これでWeb平和になる

ちなみにこの主張に反応は求めてない

反応を求めない精神もっと現代人は身につけるべきだとも思う

平和というのは智慧のもとに断絶を含む人々を包容できることから始まる

俺はそう思うね

2024-04-21

anond:20240420224125

仏の教えは合理的基本的理屈の前提となっているのは、この世界には「因果関係」があって、あらゆる物事因果関係連鎖で成り立っていますってことだけ。

・絶え間ない因果関係の連なりがあるから諸行無常」。諸行無常ってのは、あらゆる物事は変化し続けているってこと。

諸行無常世界普通人間経験すると、「一切皆苦」と感じる。あらゆる物事が変化し続けているってことは、やがては人の望まない状態になり得るし、たいていはそうなるから人生には「四苦八苦」がつきもの

普通人間は、永遠不変の私がいることを素朴に信じていて、その『私』に強く執着している。しかし実際は、「諸法無我」。つまり永遠不変の私は存在しないということ。なぜなら、私はこの世界の一部であって、世界の一部であるからには因果関係連鎖によって一時的に立ち現れている物事しかいから。身体五感思考欲求一時的に立ち現れているものに過ぎない。私という存在もまた、諸行無常であり、ゆえに諸法無我

普通人間諸行無常世界に在って一切皆苦と感じるのは、『私』に強く執着しているから。世界も私も変化し続けているものから、『私』の思い通りになるとは限らない。それなのに、思い通りにならないとそのたびに苦しい。

一切皆苦と感じる原因が『私』に対する強い執着であるなら、その執着を薄め、消し去ればいい。この世界諸行無常であり諸法無我であることを、知識としてではなく、感得することができたなら、『私』への強いこだわりは霧散し、世界一切皆苦とは感じなくなるし、副産物として利己性も消える。これが悟りの境地。

・この世界諸行無常であり諸法無我であることを感得するには、感得するトレーニングを繰り返して感得する認知能力を高める必要がある。自転車に乗れるようになりたいなら自転車に乗るしかないのと同じ。このトレーニング仏教修行の中核。昨今では「ヴィパッサナー瞑想」とか「マインドフルネス」とか呼ばれている。ヴィパッサナー瞑想で得られる認知能力を「智慧」あるいは単に「慧」と呼ぶ。

・『私』に対する強い執着を薄める方法ヴィパッサナー瞑想以外にもう一つのアプローチがある。「慈悲」つまり利他的な心を育てる瞑想利他的実践を繰り返すこと。

ヴィパッサナー瞑想だけしていれば悟れるかというと、そうでもない。「戒」:瞑想に集中するための環境や習慣を整え、「定」:ヴィパッサナー瞑想必要集中力を高めるための瞑想も行う。これらをヴィパッサナー瞑想と合わせて「戒定慧」と呼ぶ。仏教実践基本的にこの三つ。もう少し詳しくは「八正道」と言う。

というのが、私の理解もっと詳しく知りたければ「」でくくった単語検索して一つずつ調べるか、書籍なら仏教思想ゼロポイントおすすめ

思想史的な観点ちょっとだけ補足。仏教教祖である釈迦の没後、スリランカミャンマーあたりに伝わったものが初期のノウハウ比較的色濃く伝えている。これは上座部仏教南伝仏教小乗仏教とか呼ばれてる。一方、中央アジア等を経由して中国に至るうちにかなりの変貌を遂げたのが、北伝仏教大乗仏教とか呼ばれてる。日本仏教中国経由で伝わったもので、基本的大乗仏教輪廻転生仏教オリジナルアイデアではなくて、インドネパールあたりにもっとから根付いていたアイデア(輪廻転生だの神や悪魔だのの有無は、今生きているあなたが苦から逃れるために重要なことではないですよ、肝心なのは八正道実践、ってのが仏教スタンス)。天国地獄アイデアはおそらく中央アジアあたりで仏教に混淆した。先祖の供養が大事みたいなアイデアはたぶん中国で混ざった。

2024-04-19

anond:20240418212609

孤独とinternal dialogueについては興味深い洞察だと思う。

サイコ』のノーマン・ベイツもヘンリー・ダーガーも確かに自分自身一人二役して会話していた。

それが孤独という苦痛ヘの慰めのために行ってるというのはあまり一面的すぎる。

それは『さかしま』、『オブローモフ』が提示するように社交的関係によって発生する苦痛からの逃避としての孤独存在する。『ツァラトゥストラ…』でも最終的には孤独が称賛されている。これらは文化的批評領域であり、現実とは無関係だと思うかもしれない。

だけれども、文化とは文化圏の象徴的秩序を内包しているためフィクションと隣合わせに語られることは常に避ける事ができない。現代でも『ジョーカー』とかその元ネタと言われる『タクシードライバー』がこれら議論に対して抱き合わせのように引き合いに出される。

これら文化批評を取り除けば、他者に対しては振る舞い以上のものを我々は知る事ができない。

仮に合意形成の結果から相手心理状態類推可能なら囚人のジレンマは発生し得ないことになる。

復讐意図弱者男性が持ってるかは動機主観的決定とその不可知性のため客観的な振る舞いからは推し量ることはできない。

そして主観的には人間自己幸福を測り間違える。

これはデイヴィッド・ベネターが統計引用して例を挙げてるが人というのは身体障害知的障害を抱えていても幸福を感じる人々の割合は健常者と変わらない。そして、自己幸福度の位置づけは相対的に決まる傾向がある。

どの立場であれ心理抑制環境によって与えられる不自由さの裏に悪意を見いだせばそれが防衛として他者に対して闘争行動をする動機付けになる。

隷属か破壊かはニーチェが扱っている議論だが、

ニーチェ正当防衛についてこう述べている。

━━正当防衛一般正当防衛道徳として是認されるならば、いわゆる非道徳的な利己主義ほとんどあらゆる発現もまた是認されなくてはならない、人は、自己を保存するためにまたは自己を守ったり個人的な禍いを予防するために、害を加え、奪い、殺すのである(中略)意図的に害を加えることは、われわれの実在または安全問題となる場合には道徳として許容される『人間的、あまり人間的』

そこに合意形成が介入する余地はなく、個々の主観的評価正当防衛基準が決定する。法が予防効果を維持する事を放棄した時、法は犯罪を事後的にしか処理できなくなる。

一方で社会システムに着目すれば、反対者あるいは敵対者は結局のところ対象としている前駆的社会構造寄与している。よって社会機能を一部担っていると言える。《弱者》や《敵》無くして強者価値付けの基礎となる社会進歩前進はありえない。

社会弱者はその機能故に巨視的観点では無くならないだろうし、目に見える弱者としての存在搾取する主体である強者必要としてるからこそ残り続ける。

まり、救っても救っても《弱者》は存続しそれを識別する指標であるスティグマ流行規定するモード存在する限り形を変えて生産され続ける。これは共同体幻想において神に等しい絶対者である絶対者の在り方は超時代的ではない。問題は疎外化された周縁に位置する人間たちがサイコパス/ソシオパスのような生得的悪というレッテルを貼られて尚、否、初めて絶対者剥奪し得ない自由意志による行動決定権が与えられる所にある。(シェリング)

万人は万人を殺す事ができる。野蛮な闘争状態規制しているのは社会報酬である。それが除かれた場合上記行為当事者にとって合理的行動である。ただし、万人が合理的決定を行うわけではない。

しかし何も対処しようがない訳ではない。社会上の功利性の総和を考える時殺人社会的に避けられないものならそれに方向性を与える事は決して無益ではない。これが畜群智慧である

2024-04-02

AIが優れているのではなくグーグル劣化しただけ

AIを使えばやりたいプログラミング言語コーチがタダでしてもらえるんだぜ!」

くだらん。

昔のグーグルだったら「[プログラミング言語名] 勉強 やり方」でググったら最高にイカしたページにたどり着いた。

作りたいシステムがあっても「[言語名] [やりたいこと] コード」でググれば欲しかった情報ドンピシャでガッポガポ。

そんな黄金時代があった。

インターネット黄金時代

ADSL世界をつなぎ始めた世界ネットの海が光速で流れていなかった穏やかな時間

あの頃、ネットの海から求めていた知恵を引き上げるのは今よりずっと簡単だった。

今のネットは汚れきったヘドロの塊であり素のまま飲めば猛毒となる巨大な汚水、まるで東京湾だ。

AIがやっていることはネット上に溢れた有象無象を濾し取って、少しだけ昔のインターネットに近づけるだけの作業しかない。

昔はほんのちょっとした言葉の組み合わせでたどり着けた知識が、今や何百文字ものプロンプトを指定してようやくたどり着けるようになった。

AIは賢いものとそうでないもの格差を広げるだろう」と語るもの物事の一面しか見えていない。

正解は「かつて、インターネットという空間は誰しもに開かれた無限智慧内包されていた。その知恵が一部の人間に独占される時代がやってきた」だ。

誰しもが賢く慣れる世界の方がいいに決まっている。

まれついたIQの高低を義務教育を終えて十年二十年それ以上経ってもいつまでも擦り続けるような哀れな者達の戯言のなんと醜く濁ったことだろう、まるで東京湾だ。

2024-02-22

anond:20240222142721

智慧←ちすいでも、ちけいでもなく、ちえ

2024-01-24

Xのインプレゾンビが消えてくようなのでお蔵入りしたポスト放出する

国際ジョークとして放出するにも危険だし、良い感じに短くするのも難しくてやめたやつを適当に放流。

以下、本文。

インプレゾンビにキレたイーロン・マスクは、X社CEOリンダ・ヤッカリーノに命じ、Xに下のような挑発文を表示させた

キリスト教圏には「欲望に溺れて泡銭にすがり、人命のみならず己の魂すら売る強欲な者たちに、神の審判は訪れる!

金儲けのために真理を踏みにじり、他者を欺くことで得られる幻惑の富は、最終的には喪失絶望に変わる。悔い改め、誠実なる生き方を求めよ。さもなくば、いずれ正義の光によって全ては照らし出されるだろう」と

イスラム教圏には

「金の虜になりし者よ。汝らは預言者の教えを忘れ、隣人の財産を欲し、金の雄牛を崇めるのか?

欲望かられ、正義と慈悲を忘れることで得られる富は、終わりには心の荒廃と罪深さに導く。悔い改め、純粋なる信仰に立ち返れ!」と

「財富の追求に没頭する者たちよ、ユダヤ神聖なる教えを見失い、英語数学肋骨とした偽の泥人形に奪わせた富は、結局は虚偽と空しさに満ちている。

神の教えに沿った正義と慈悲こそが、真の豊かさの源なのだ…」と

儒教圏には「仁義を欠き、父祖の苦労を忘れた者たちよ。彼等が必死勉強して得た知恵を、血も涙もない金儲けをするキョンシーに変えることが汝らの文化なのか?

真の富は仁と礼によって築かれ、誠実な商売をする事こそが真なる価値だ。金儲けのために己の文化冒涜することなく誠心誠意をもって生きるべきだ」と

仏教圏には「煩悩に囚われ、機械依存欲望に従い、悟りを得ずして未法の世を築くことが汝らの望みなのか?

仏陀の教えに従わず無常の理を知りながらにして迷信ドグマを広め、悟りを果たさぬ機械によって金儲けを図ることは真に愚かな行為だ。

正しい手段生計を立て、慈悲深く善行を積むことこそが、涅槃に至る豊かなる心と真の福徳であると悟れ」と

ヒンドゥー教圏には「神々や信仰への敬意を無視し、機械を新たなヴァルナ奴隷として利用し、人を欺いて金を得る行為は、完全なる神への冒涜である

人の尊厳軽蔑し、偽りの崇拝を追求することで手に入る富は真の宝ではなく、心の浄化から遠ざかるものである

神々が授けた文化智慧と慈悲の尊さを理解せず、機械を踊らせるために利用するなど、自ら輪廻に捉われんとする無益努力である」と

ブードゥー教圏には「貴方方には同情する。

今や映画のみならず、インターネットにも間違ったゾンビ蔓延っている.......」と書かせた

このように全宗教を敵に回したXは公式アカウントからイーロン・マスクのみならず関係者全員のアカウントを完全に炎上させ、ユーザーほとんどが脱退し、その跡地には熱心なブードゥー教徒と日本のクソ無宗教ネタツイッタラーしか残らなかったという

2023-12-13

anond:20231213141328

商鞅の法にはこのようにある。『敵の首一つを斬った者には、爵位を一級上げて、官吏になりたいという者には俸給が五十石の官職を与える。敵の首二つを斬った者には、爵位を二級上げて、官吏になりたいという者には俸給が百石の官職を与える』と。これは官職爵位の上昇の移り変わりが、敵の首を斬ることと相関しているということを示す。今、『敵の首を斬った者は、医者大工にならせる』という法があれば、家屋はできないし病気も治らないだろう。

そもそも大工は手先が器用でなければならない。そして、医者とは薬を調合するだけの知識を持っている者である。だから、敵の首を斬ったという功績で医者大工にすれば、その職業にふさわしい能力を持っているということにはならないのだ。今、官吏として務めるのに必要なのは智慧と才能であるそもそも敵の首を斬るのに必要なのは勇気腕力である勇気腕力必要な分野(戦争・敵の斬首)の功績によって、智慧や才能が必要官職を与えるというのは、これは首を斬った功績によって医者大工にするというのと同じことなである

韓非子 定法 第四十三


現場で実績上げるとマネージャー出世するけど必要能力全然違うやんけ問題韓非子が2500年前に指摘してるけど解決してないから無理やで

2023-11-26

集合知っていうかネットの力とかかな。wikipedia とかもそうだけど、みんなの力で!みたいな顔をしていて実際は数万人とか数十万人に1人のエクストリーム知識と行動力の人だけが動かしてるのが現実だよな。

OSSOpenSSLなんてのが一番顕著かもしれない。

世界の何十億人が使っているコア技術なのに、ボランティアの1人が全てを背負っている。

あれは自分OSSから多くの人たちが力を合わせて開発、運用しているんだ!と何故か無邪気に勘違いいしてたけど、実際は一部のエクストリーム活動犠牲の上に積み上げられていた。

インターネット集合知とかも多分嘘で、ネットに出回っている100の情報があったら99.9%は利用者の1/10000くらいの人間けが出力した内容、またはそれらの劣化コピーの使いまわしな気がしている。

これは元々人間には独自情報を語る能力独自の考えや感想とか個人妄想とか感情とかを垂れ流すインセンティブもないし、会話にそんなものを誰も要求していないみたいな、旧来の社会敵な動きとかが原因な気がする。

口を開けばトムラウシ山遭難の話だとか、三毛別羆事件福岡大学ワンダーフォーゲルヒグマ事件

これら情報集合知じゃなく、一部の記者仕事であり。そしてそれをまとめた一部のエクストリーム活動家の仕事であって、集合知ではない。

結構ナイーブに純朴に集合知があると割りと考えていた。

エクストリームな1人に依存している状況なので、専門家が正しいことを言っていても大衆騒音にかき消されてしまっている、みたいな集合に潰されてる智慧がある気がする。(具体的な事例は思いつかないけど)

それって多分私が思い描いていた集合知イメージとはかけ離れている。

気がついたと言うか、認めたくなかった事実というか。

2023-09-14

anond:20230914131703

電話の先の相手はただの動物だと思うと良い。

智慧のない動物が、感情に任せて吠えているだけなのだ

我々は、意思疎通ができない動物の世話をしているだけなのだ

人間キャンキャン吠える犬と大差ない、ただの動物なのだという悟りを得ることができれば、

ずいぶんと楽な気持ち仕事できるようになるよ。

2023-07-25

https://anond.hatelabo.jp/20230725210014

くその通り。

自分場合、新知識への貢献を諦め、巨人の背の登攀に専念して、ようやく朧げな見取り図が見えてきた分野も幾つか出てきたが、

その「専門」と言っていい分野ですら未踏地の多さと広さに慄くばかり。

そして、その「未熟なりに以前よりは遥かにましになった己が専門分野での判断」に利用している前提知識の量を踏まえたら、

自分の専門外である世の中の出来事の99%に対して、ついつい抱いてしまう「感想」など、とても「判断」の範疇に入るものでなく、

千行の問題文の十行だけ読んで、脊髄反射で思いつきのキーワードを並べてるがごとき雑この上ない代物のはず。

これは智慧なり明晰さなりではリカバーできない「絶対的情報不足」に起因する話なので、自分より遥かに頭がいい人でも、

まともな判断ができることなどごく稀なのだと思う。

結局、我々が持ってしまう「意見」や「判断」の大半は、口に出した瞬間単なるデマとなるような無根拠バイアスまみれな存意に過ぎない

他人の論の過程の誤りの指摘ならまだしも、何かを「これが正解」と主張できる機会など、生涯に数回もあれば随分な勉強家であろう。

2023-07-15

anond:20230714205833

「それができないなら馬鹿なりに何も考えずに生きていった方がいいよ。」←ほんまこれ

ここが元増田の言ってる中で最も智慧のある部分。

馬鹿なりに何も考えずに生きていくのは立派な生き方

2023-06-09

anond:20230609103348

俺の通ってるスポーツクラブにも夜にいっつも近所の坊主がいるんだが

人格が出来てないってよりハッタショレベルでみんなに敬遠されてる

一見物腰低いけどマナー悪くて注意されると激昂するし

一旦世間話に応じると距離感バグっててしつこいし

それを迷惑がられるとまた激昂 

 

一般人以下の智慧人徳しかない坊主って何よ

てか毎晩毎晩ベンチプレスベンチ一台占領して長時間ボケーっとしたり

うろつきまわってテレビ見たりしてるあの暇さはなんなんだ

あんなにやることなさそうにしてるなら家で勉強でも修行でもしてろよ

2023-04-23

愚者

これまで一度も失敗したことがなかったか

さな利益のために大きなリスクを取ってしまった

成功によってリスクの大きさを見誤っていた

失敗は成功の母などといって前向きに捉えるひともいるが

トライアンドエラー前提で織り込み済みの失敗と

想定していなかった失敗によって大きなダメージを負うのとでは意味が異なる

今回の失敗はマイナスしかない

授業料なんて言葉ごまかしてはいけない

経験から学ぼうとするのは愚者

智慧知識によって回避できる失敗を回避できないのは無能なだけだ

考えが足りないからお前は失敗したのだ

心の底から悔やめ

打ちひしがれろ

二度とこんな思いをしたくないというまで

自分自身を追い詰めろ

2023-02-27

風俗だけしか仕事をしない人と会社めしかしない人の生涯賃金の差

20歳から65歳まで働くとして生涯賃金期待値はどれぐらいなんだろう

65歳まで風俗で働けない(価値がなくなる)という場合収入0とカウント

65歳まで会社めして何百万から千万貯蓄が出来て騙しとられたりインフレになって金が紙くずになったりしても、

45年間のその経歴があればまた次の仕事は見つかるから挽回は早いよね

どこそこの会社で勤めているという肩書があれば家を貸してもらえたり金を貸してもらえたり社会的に信用される

65歳まで風俗で働き続ければ億単位貯金が貯まるだろうけど騙し取られたりインフレになって金が紙くずになったりして

その金がなくなってしまったらその先はあるのだろうか

ユダヤ人他民族と比べノーベル賞受賞率が数十倍高いという

歴史的迫害されてきた彼らが最も重視したのは教育

金や土地は盗まれても智慧技術は奪えないか

金を稼ぐ過程で得られる能力技術、信用が真の財産なのであって、

金そのもの目的ではないのかもしれない

2023-02-14

NHKこれそのまま使って放送していいぞ。アイデア料いらないか

プロジェクトX~敗北者たち』

主題歌「落日」中島みゆき



第一クール

1話MRJ 飛べない翼」

第2話「下町ボブスレー その檜舞台教科書だった」

第3話「スルガ銀行 優良銀行基準とは」

第4話「IT立国失敗 選択と集中ができない原因」

第5話「原発100万年安全神話終焉

第6話「村社会地方消滅 箱物行政依存限界

第7話「広告ビジネスSNSステマ崩壊する情報マーケティング

第8話「東芝の落日」

第9話「失われた白物家電業界

10話「外資に買われる企業達」

11話「デジタル庁その暗い未来

12話「トヨタ世界相手にできなくなる日」

最終話日本


第二クール

1話「令和東京五輪リボテの祭典」

第2話「もんじゅ智慧を司るものの末路」

第3話「日銀黒田 日本を売りさばいたモノ」

第4話「リニア建設は誰の為なのか 失われた鉄道本質

第5話「新型コロナワクチン国産化は何故失敗したのか」

第6話「公文書への信頼崩壊 改竄隠蔽

第7話「STAP細胞科学立国凋落

第8話「外国人ブラックホール 技能実習生制度

第9話「郵政民営化過剰ノルマ詐欺への道を拓いた」

10話「対ロシア外交北方領土が南クリル諸島になるまで」

11話「中産階級崩壊 竹中平蔵派遣業の罪科」

12話「食品偽装 失われた一流ホテル矜持

最終話安倍晋三 亡国の一族


第三クール

1話オホーツクに消ゆ 観光船は二度沈む」

第2話「言うべき事を言わない 繰り返されたみずほ銀行システム障害の訳」

第3話「クールジャパン一粒3000円の苺はどこに行くのか?」

第4話「日本除染 恐怖が利権に塗り替えられるまで」

第5話「稲作農家最多年齢帯80歳の衝撃 瑞穂の国から水田消滅

第6話「裏切りの盾 頓挫した陸上イージス

第7話「増えなかった高度医療施設 見殺しにされた新型コロナ自宅待機患者

第8話「護送船団壊滅 大型船が作れなくなった日本造船業

第9話「敵を知らず己を知らず 自称日本保守層歴史戦

10話「カルト宗教を利用したのか利用されたのか 自民党統一教会

11話「大言壮語の代償 南洋捕鯨船団壊滅」

12話「米国に盗聴されてるなんて信じたくない!CIA系譜

最終話少子高齢化の滅びは1974年に決定された 岸信介

2023-02-08

においの言語化は難しい。

既に表現が固まってるものはもちろん簡単だが、そうでないとなかなか伝わる書き方を捻り出せない。

たとえば俺がサイクリングで走るいつもの道のある区間で感じられる匂いは、青臭いのだが、じめっとした土っぽさを彷彿される苦味の混ざったような感じの青臭さだ、というふうにしか書けない。

富士樹海散策してるとき通常漂っている匂いという言い方もありそうな気がしたが、どうにもあの甘い感じもする心地よい匂いとは違うのだ。おそらくそっちの表現採用しても読み手には俺が感じたのとは全然別の匂い喚起させるだけだろう。リアリティーがない。

そういうわけで俺は匂い言葉に落とし込める人を尊敬する。

理屈を言うというときは俺ぐらいの人間でもすらすら言葉が出て来るが、こういう五感言語化は難しいものだ。嗅覚視覚はその双璧じゃなかろうか。

世の中ネット理屈とそれによるぶつかり合いに溢れている。理屈めいた文章供給過多でみんな飽き飽きしてるのだと思う。

ちなみに視覚表現も同じぐらい難しい。これはその表現されたもの理解することが俺には難しいことも関連してるのかもしれない。

たとえばジャイロスコープがなんのことか分からなかったときにまず百科事典を見て見たら

「互いに直交する三つの軸の周りに回転する金属環の内側に支え」なんて具合だ。どんな状況かなんとか頭の中で軸と輪を独楽の組立てを試みるが、なかなか記述整合するものが出来上がってこない。智慧の輪でも解いているようなそんな気分だ。

理解出来ない表現と同様の表現は書くこともできないみたいなやつだろう。特に外国語学習でよく言われるようなことに通じてるのかもしれない。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん