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2024-10-10

朝ドラはそんな真面目な考察に値するものではないですよ

「虎に翼」が終わって「おむすび」になりましたが皆さん観てますか?

先日、増田に「虎に翼」のとてもよい考察がありましたが、朝ドラはそんな真面目な考察に値するものではないですよ。

https://anond.hatelabo.jp/20240928134122

そもそも朝ドラ対象年齢は60~70歳前後だと思いますが、あまり映画ドラマに親しまない人が家事とかしながら気軽に見られる様な作りで、1回見逃したらついて行けないなんてことがない様1回の内容は薄いうえ重要シーンは何度も流しますし、土曜のダイジェストを観ればストーリー的には十分、余計な演出カットされててむしろ出来がよいまであります

おむすび」では、ギャル文化ボリュームゾーンが50歳前後だと思うので、その世代向けの思い出とその肯定を入れたいんだろうなあ、少し若めの視聴者ターゲットにしたいんだろうなあ、というプロデューサーの狙いを想像します。最序盤ですが、あいかわらず薄い取材適当エピソード入れてる感じがしてさぶいぼが出ます。元ギャル取材して「パラパラ踊れる人が偉かったんですよ~」なんて聞いたのが、「一発で難しいパラパラ踊れたら認めてやる」と少年マンガみたいなことになってしまったのではと想像します。実話だったらすみません(知り合いに元ガチギャルがいるので聞いてみようかな)。

朝ドラは、大きく分けて実在人物をもとにした伝記系と、現代とある職業に生きる系の2種類があります。ましなのは前者が多いです。「虎に翼」とか、カップヌードルとかゲゲゲとかウィスキーとか。後者料理人とかパティシエとか気象予報士とか航空学校とか看護師とか海女とか、だいたい薄い取材でゲットした業界あるあるエピソードをつまらなくして盛り込んでてさぶいぼが出ます。せっかくスポットライトを当てたその職業の深みとかは表現しきれず、脚本家の書きたいドラマの設定に利用するのが精一杯です。

プロデューサーの主張なのか、するりと社会問題を入れてきます特に「強い女」は普遍テーマです。戦前でも戦後でも「今どき、女が〇〇する様な時代じゃない!」なんてセリフは毎回出てきます。余談ですが、大河ドラマでも平安から明治までどの時代でもこのセリフが出てきます。他、自閉症っぽい子供田舎で元気になったり、性的マイノリティとか。

尺が豊富にあるせいか、内容が冗長です。回想シーンでは映像を流した上で「あの時の!」ですし、下手すると同じ回の15分で同じ映像が流れます映画とか観て見て伏線がー回収がー演出がーという人が初めて朝ドラを観るとショック死すると思います

演出はほぼ古来からドラマありがちな紋切り型クリシェ)です。とてもわかりやすいです。落ち込むと暗い部屋でじっとしてるし、挫折すると雨に打たれながら外で倒れてます主人公はだいたいモテモテだけど恋愛に鈍くて、恋愛脳の友達に助けられ、カントリーロードです。早い展開でイケメン完璧な男と結婚交際すると、戦時中なら死にます現代なら相手側の理由で別れますお笑い担当コントみたいなBGMで登場し、肝っ玉母さんに怒られます。序盤で出てきた嫌なやつは、口が悪いだけのお友達キャラになるか、ラスト近くで「堪忍なあ」と泣きながら主人公に謝って禊を済ませます

また、セリフ抜きの演出表現する力量もないし、テロップ症候群視聴者も読み取ってくれないので、心情もその都度ナレーション解説が入ります主人公が眉をひそめて少し首をかしげながら、「どうも腑に落ちない〇〇でした」って感じです。余談ですが、変わり種のナレーションでは、亡くなっていつも見守ってる家族幽霊目線、飼ってる犬目線てのもありました。欽ちゃんが犬役で面白かったです。

脚本家群像劇を書きたそうな気配を感じることが多いですが、尺はあるのにうまくいってない事が多いです。だいたい各登場人物の設定を説明するのが精一杯です。

これだけ文句言いましたが、近年の朝ドラで私が好きだったのは、「カムカムエヴリバディ」でしょうか。それぞれの人生が少しずつ関わりながらすれ違っていって、ちゃん群像劇でした。登場人物が気づいていないことを、視聴者が神の目線で「あの人だ!」「あの人の子供がこんなところで!」って気づくことが多くて、そのまま登場人物同士は他人のままだったり。伏線回収もことさら強調せずさらさら流れていきます。たぶん視聴者主人公目線にセットしてると、久し振りに登場するキャラは、飲み屋に「よう」って入ってきて、「○○さん!?」「お前、よくここに顔を出せるな!」とかやるしかないよね。ラストで、子を置いて男とアメリカに行った母の言い訳回は要らなかったかなと思うけど(片付けが要るのはわかる)、朝ドラってのはこういうのでいいんだよ。こういうので。

2024-10-03

椎名林檎が追いかけてくる

この令和6年に椎名林檎(決して東京事変ではない)の歌詞をもじったネタが入った作品に数日ぶっ続けで出会ってしまい、私が知らないうちに椎名林檎(東京事変ではない)リバイバルが起こっているのかとソワソワしてぐぐったりした。

椎名林檎マーシャル匂いでとんじゃって大変だったのって約20年前…だよね?

大層売れたけど、その時の中高生って今はもう中年というくらいの大人だし、私が手に取ったゲームや本は対象年齢がおそらく、おそらくだけどF1層な気がしている。

私自最近の娯楽知らないしたまにはやるかーという気持ちで期待せず手に取ったら連続であの頃の椎名林檎出会ったというわけ。

えー!!?こんなところにいたの!?知らなかったー!全然変わんないね!!!懐かしいなぁ、それに比べて私はつまんない大人なっちゃったな笑

という痒痛いような嬉しい気持ちがぶわっと膨れ上がって止まらない。

ていうか今の中高生元ネタの歌知っているのか知りたい

(知らなかったら一度聴いて見てください)

全然違う媒体で、違う作者や脚本家で、あの時の椎名林檎が断片的に薫ってくることあるんだ

と、思ってたらまた見つけてしまった。

なんなんだこれ。

私は一生他人記憶の中にもある椎名林檎に追いかけられ続けるかもしれないしそうなって欲しいなと思う。

なので、インターネットの向こうにいるあの時中高生だったあなたに向けてこのダイアリーを書きました。

多感な時期に吸った椎名林檎後遺症だよ

2024-09-30

anond:20240928134122

モデルの女がザコすぎてツマらない

後夫が、会津家老の直系(戊辰戦争首謀者の子孫)

後夫の弟が、損保大手幹部ナチス親玉メルク・フィンク財閥

保険業界人だった後夫の父親が、戦後いきなり最高裁長官

  

新しい家裁保険会社に都合よく仕切るのに、適任の女が身内に雇われただけ

   

保険販促用の災害マッチポンプの出来上がり

事実上監査なしの会津原発絶対止めない裁判所の出来上がり

その経過を美談にしようと試みた保険代理店の脚本家

    

あはははは

ナチスの悪行三昧も極まったね

2024-09-29

anond:20240928134122

主人公をよねにして、周囲に寅子とかモデルのいる人物を配置する感じのオリジナルにして、轟とよねのバディが差別抗う物語をつくれば史実をなぞりながら脚本家のやりたいこともできたのではないかと思う。

そもそも三淵嘉子は共同親権に賛成するような人

anond:20240928134122

脚本家の描きたい/描きたくない事とモデル人生がかみ合ってない?

→実際三淵嘉子は共同親権に賛成するようなタイプの人なので現代フェミニストの主張とかみ合ってないんよ。

 だから合うわけないんだけど、それでも知名度とか歴史的権威だけ利用したかったんやろ。

 都合のいいところだけつまみ食いのようにして利用するって現代フェミニストあるあるでしょ。

 だからこの手のドラマに首尾一貫性なんか気にしてたらドラマみれませんよ。

 まぁその程度の作品と切って捨ててもいいのかもしれんけど。

anond:20240928134122

ちらっと見た感じ、「あさが来た」並みの「本人は超がんばっていろいろと達成したんだー」(まあ、その裏での周囲の人の多大な犠牲の上で)を感じたので、見なかったな。

キラキラした女性を描きたいから、そこにフォーカスを当てるのはわかるんだけれど。

脚本家どや顔インタビュー( ゚Д゚)ハァ??となりそうだったので見てない。

あー、ワイは母が今でいうところのワーキングマザーで、ワーキングマザードヤァみたいな家で育ったので、子供から見たワーキングマザー現実を知ってる。

でも、キラキラとしている世界の裏にそれなりに影があるってことも知ってるんだよな。

多分、この朝ドラも「私はこんなに苦労したんだ!」みたいなことを言うんだろうけれど、「それはすべて良い子の犠牲の上に成り立っていることを忘れないでね」って思う。

2024-09-28

anond:20240928220446

原作の序盤が見切り発車の下書きプロットレベルだったというのも「脚本家マジで凄い!」という勘違いを産んだ原因だよね。

紆余曲折を経て方向性が固まったあとの状態から脚本会議しつつ綺麗に再編成しただけなのを「原作を大幅にブラッシュアップした!天才だ!」みたいに持ち上げられてしまった。

乱暴な言い方をすれば初期の原作めっちゃ乱暴な作りをしていたことでハードルマイナスからスタートたか相対的に高評価になっただけなんだよね。

anond:20240928165755

脚本家としての注目を利用してインタビューを受け、その場を使って自分主義主張を垂れ流しているよこの人。

脚本家の実力不足が目立ったよね

書きたいもの・主張したいことはあるのに、実力が伴っていなくてうまく作品に落とし込めていない場面が多々あったな。その一部を増田が挙げているけど、別にこれだけにとどまらない。

自分の書きたい主義主張脚本という創作ストーリーにできないんだったら、エッセーかなにかで主張を垂れ流す形の方が良かったと思う。まあそれだと世間一般の人は読んでくれないから、影響力が持てずに不満なのかも知れないが。

anond:20240928134122

anond:20240928134122

追記

こんな長文読む人いるだろうかと思って投下したけど大勢読んでくれたみたいで感謝

これでも最初もっと長かったのを削ってたりする。

ブコメに少しだけ返事

穂高先生の一件で漏れてる視点としては、当時、女性弁護士なんて道がそもそもなかった時代に、子ども生んだあと弁護士に返り咲きなんて可能性は一切あり得なかった現実があるとも思うわ。今では想像もつかんと思うが

寅子の場合戻れるかどうかは雇用主の雲野が再雇用するかどうか次第だし、そこで寅子からまれたとして雲野が拒否するようなキャラには見えなかったけど。

結果的にその後事務所経営悪化して雇えない状態になったがそれは結果論に過ぎない)

この話に共感してた人たち、自分経験(恐らく一般会社員だった自分出産で辞めて再就職先が見つからなかったという経験

を寅子に重ね合わせてるんだろうけど前提が全然違うだろ。

久保田先輩が「仕事も家庭も満点を求められる」と言っていたけど、それもあくま久保田の話であって寅子は家庭が0点でも家族皆許容してたし

出産後も家事育児も何もしなくても多分誰も文句言わなかっただろうし、実際再就職後にそうしていても家族も「世間」も誰も何も言わなかったわけで。

新潟転勤の際にようやく花江がブチ切れたのだって家事育児をしないから」じゃなくて「何も出来てない自分自覚すらせず優未を連れて行こうとしたから」だし。

この辺は恐らく雲野を後に原爆裁判で再登場させるつもりだったから悪役に出来なくてブレたんだろうと思っている。

ここで雲野を使い捨てる予定で悪役にすれば、具体的には「産んだら戻ってくるからまた雇ってくれと頼む寅子に対して子供いる女が働くのは良くないと言う」とかにすれば

寅子の絶望がよく伝わったと思うんだけど。

実際は雲野は最後まで理解あるキャラのままだったし、資格があるんだから戻ればいい等の台詞(何でこれ入れた)もあるせいで

寅子が「戻ろうと思えば戻れる余地はあったのに勝手に切れて辞めて行った」ように見えた。

「女だから重用された」というのが増田にはラッキーに見えるのか。私には地獄に見えるぞ

寅子自身がそれに批判的ではなく、逆にノリノリで調子こいて天狗になってたからね。

これも最初はそういう構図を批判的に描いてたんだよ。「明律大は女子部や女子学生をただの客寄せパンダしか考えていない」とか

婦人弁護士様と祭り上げられてるのは男がどんどん徴兵で取られていく中で人手不足を女で補おうとしているだけ」とか。

当時はそこに主人公たちが気付いて不快感を示していた、でも女が上に行くにはそれも利用しなければならないので割り切ろうとしていた…という描写だと思っていたけど、

後で考えたら「気付いていたのは周りの人間だけで寅子は無自覚、んで自分はそれに乗っかって喜んでしまタイプ」だったんだなと。

或いは脚本家最初はその辺も丁寧に描いていたけど中盤から調子こいた寅子」を描く方を優先したので上手く描けなくなった、か。

あと雲野と同じく桂場多岐川ライアンのおじさん上司組も悪役にしたくない、ってのもありそう。

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切れたんで続き

脚本家の描きたい/描きたくない事とモデル人生がかみ合ってない?

インタビューを見るに、この脚本家はとにかく「母性」が描きたくなくて意図的に寅子を毒親にしたらしい。

あと恐らく「一般的な男女の恋愛」も嫌いだと思う(同性愛やその他セクマイは大好きみたいだけど)

そういう人が、「最初の夫と死に別れて一人で子供を育て、後に再婚した」

家庭裁判所で多数の非行少年少女を更生させた、少年たちに真摯に向き合い心を開かせるのが得意で三淵マジックと言われた」

人をモデルにした話を描く時点でそもそも相性が悪い。

夫が死んでいるから一人で子供を育てなければならないし、

二度も結婚してるからそれなりに恋愛も描かなきゃならない(恋愛感情なしの打算婚を二度もする、ってのはドラマ的に共感されないだろう)

家裁で働いているからには少年少女と向き合わせなければならない。

なのに脚本家はそういうのを描きたくない、と来た。

これが夫がずっと生存しているなら「本人は子供が苦手だけど夫がフォローする」設定に出来るし

子供に関わる仕事をしていなければ子供と向き合わせる必要もない。

結婚だって若い頃一度するだけならもっと描きやすかっただろう。

なのに何でこんな題材を選んだ。

NHK側が提示したモデル候補数人の中から選んだそうだけど、他にもっと適したモデルがいなかったのか。

三淵嘉子を提示する時点で、NHKとしては「主人公母性少年たちが更生していく」話を期待していたんじゃないのか。

そもそもここまで史実無視して自分が描きたいものをぶちこむ人だとオリジナルにするべきだったかもしれないが。

裁判官ってのがそもそもドラマでは難しいのか

弁護士ならひたすら依頼人の味方でいいが、裁判官はどちらかに肩入れも出来ないし

守秘義務あるから抱えてる案件に対して同じ案件に関わってる同僚以外と語る事もできない。

ドラマ的に「映える」場面が作りにくい。

終盤の大きな裁判も、原爆裁判は寅子は史実通りの判決文を読み上げる汐見の隣に座ってるだけ(せめて史実無視して寅子に判決文読ませては?)

尊属殺はそもそも直接的な関わりもなしで、どちらも「弁護士の」よねの方が明らかに活躍していた。

裁判官じゃドラマ的に盛り上げるの無理があるんだろうな。

同性愛設定についてはうまく(都合よく?)ストーリーに組み込んだと思う…が

花江と並んで「寅子とは対称的な生き方」をする女性として作られたというよね。

寅子、花江、よねがこのドラマ主人公なんだそうだ。

まり仕事結婚出産もする女」「結婚出産して家庭に生きる女」「結婚出産はせず仕事に生きる女」なわけだ。

更に「恵まれた育ちの寅子と花江」に対して「恵まれない育ちのよね」という対比もある。

でもこの時代に女が「仕事だけして生きる」「女の力だけで生きる」のは無理があるので、

何だかんだでよねもサポートする男がいる。

でも恵まれない育ちなので身内設定には出来ない(というか父親虐待親だし)

という事で若い頃はカフェ燈台マスター戦後は轟がよねサポートキャラとして設定されている。

でも彼らと恋愛関係にはしたくない。

となるとゲイ設定が都合が良い。

という事で(多分)轟はゲイになった。

ただ脚本家主義主張の為だけで実はゲイでしたとやってるわけではなく、物語上の必要性があってゲイである

マスターも裏設定でゲイじゃないかと思う。上野だし(上野戦前からゲイタウンでもある)

因みによねと涼子アセクシャルという設定もあるらしく、涼子離婚したのもそのためだとか。

(ってかキャラ全員に裏設定ありそう。最後まで結婚しなかったキャラもしかして…)

でもこういう構図って結局「同性愛者を都合よく利用している」ことでもあるんだよね。

自分性的に求めてこないが助けてはくれる、イマジナリー「女の理想の男」感というか。

NHK朝ドラという注目度が高い放送枠で同性愛者を取り上げる意義」はあると思うが、描かれ方が「ゲイ=女にとって都合が良い男」ってのはどうなんだろうか。

その辺がもやもやした。

まあこのドラマは他の男キャラ基本的に「女に・もしくは物語に都合が良いキャラ」揃いではあるんだが。

追記あり】虎に翼が終わったので全力で不満点疑問点突っ込みどころその他考えたことを書く

続きと追記こち

https://anond.hatelabo.jp/20240928135408

当初は面白く見ていたのに最後の方はもはや「ここまで来たからには最後まで見てやる」という義務感で見ていた。

何がそんなに引っかかったのか、という事をここでまとめて書いてみる。まとめと言いつつまとまりはない。

穂高の件

妊娠して倒れた寅子が穂高仕事やめろと言われ、勤め先の事務所妊娠バラされて辞めさせられた」件。

ネットでは未だ賛否両論のようだが、あれはそもそも穂高真意が分かりにくかった。

母親になるからには二度と仕事に戻らず育児に専念すべき」と考えていたのか、

「今は仕事を続けられる体調ではないから辞めるべきだが、産んで落ち着いた後に仕事に戻ればいい」と言う意味なのか?

どうやら脚本家は前者のつもりだったらしい?けれど、

(「資格があるのだから後で戻れるだろう」と言った台詞もあったので)後者意味にも取れるし

ネットの反応を見ていても後者意味に取った人が多かったと思う。

実際仕事を続けられる体調ではなかったのだから、一旦辞めろという穂高の言う事は普通に正論だ。

妊娠出産死ぬ事も珍しくない時代に寅子の態度はナメ過ぎている。死んでもいい覚悟だというのならともかくそんな認識もないようだったし。

なのに寅子が激怒して完全に辞めてしまい、よねに対しても二度と戻るつもりはないと啖呵を切ったのが当初意味が分からなかった。

(後でどうやら脚本家としては前者のつもりだったらしい?というのを知った)

でも前者ならもっと前者だと分かりやすく示すべきで、視聴者の大多数が勘違いしたのは脚本の荒さ故でしかない。

この時はその後の戦争激化→家族が続々死亡→日本国憲法、という怒涛の展開もあり何となく皆忘れていたのに

穂高の退官パーティーで寅子がこの話を蒸し返して場をぶち壊す暴挙に出た上

謝りもせず、結局穂高大人対応で納めて(というようにしか見えなかった)そのまま死んでしまった辺りから

寅子が理解できないという声やドラマ自体への批判も増えてきたように思う。

あれも脚本家が「親子喧嘩なんです」と言い訳してたが、そもそも親子じゃないし。

若者がやってるならともかく30半ばで他人を疑似の父親扱いしてあの態度、というのなら幼稚すぎ&甘えすぎだろう。

そもそも何で子供産んだのかも分からない

社会的地位を得るための契約結婚」だったはずなのに突然夫に「恋をして」セックスして妊娠

普段全く恋愛感情に疎い寅子が突然そうなったのでポカン発情期になった動物じゃないんだから

別に子供を産む事を誰かに強制されたわけでもなければ頼まれたわけでもないのに

そのせいで仕事を辞めて怒ってるからそもそも妊娠しなきゃ良かったじゃん自業自得だろともなる。

うるせえ史実で産んでるんだから産まなきゃならねえんだよ!ってのは分かってるけど

史実に合わせる為に強引な展開にしてるから自然さが目立つ。

どうせ「結婚してない女は信頼できない」の後には「子供がいない女は信頼できない」が来るんだから

いっそ「社会的地位を得るための出産」にしてしまえばまだ自然な展開になっただろうに。

それならその後子供に関心がなくてはると花江に丸投げする展開も納得がいく。

自分で望んで産んだ」割にその後子供に関心がなさすぎなんだよね。

そもそも全然地獄に見えない

最終回で「人が宣う地獄の先にこそ私は春を見る」と米津の歌が流れたが、どこが地獄なのか最後まで分からず。

裕福で理解ある両親の元に生まれ、勉学でも大した苦労もせず悩みは精々生理が重い程度、

社会的信用のために結婚しなきゃならんとなったら究極の「理解のある彼くん」たる優三が結婚してくれ、

家庭と仕事の両立や義実家との関係に苦しむ周りの女たちを尻目に

いつまでも実家住まい家事家族が全部やってくれて夫が天涯孤独故に義実家存在しない生活

生活費を稼ぐ必要もなく父親が養ってくれるので、仕事を辞めようと思えばすぐ辞められる生活

上記穂高の件も、妊娠して初めて「いくら金と理解ある家族がいようが妊娠出産だけは自分一人でやるしかなく思い通りにもならない」

事に直面してキレたんじゃないか?と思えるくらいの恵まれ人生

戦中戦後は苦労したもののそれはこの時代の人ほぼ全員がそうだし、

その後の再就職先では周囲から可愛がられチヤホヤされて家事育児はやはり他人任せで仕事だけしてればいい生活

子供と二人で新潟行ってもなぜか大した苦労もせず仕事家事育児を軽々両立し、

その後はイケメン金持ちエリート再婚して向こうの家族ともなんか知らんが上手く行き、

どんどん出世子供も最終的にお母さんのお陰で幸せと言う子に育って人生最高!で終了。

なんか地獄の要素あったか?そりゃこんだけ恵まれ人生なら最高だろうよ。

地獄だったのは周りの女たちだろうよ寅子じゃなくて。

仕事が出来るように見えないのにチヤホヤ

学生のうちは「成績が良い」「難しい試験に受かった」というだけで「優秀な子なんだな」と思えた。

でも就職後は仕事っぷりはろくに描かれず、周囲からただ優秀だと言われるだけ。

そしていい年こいても世間知らずで空気が読めないまま。

家裁非行少年や家庭の問題担当する仕事をしているのに自分の子の事すら理解してないし、

女性たちから「姑との関係が」「夫から離婚されたら生きていけない」などと言われてもピンと来ない、

これで仕事が出来るといわれても説得力がない。

終盤とってつけたかのように美佐江の娘を説得して救うという展開を入れていたが、

今までの積み重ねがないので突然そういうの入れられてもと思った。言ってる内容も薄っぺらかったし。

そもそも裁判所で雇われた理由は「女がいればGHQが喜ぶから」で、正規採用試験を得て選ばれたわけでもなく

その後芸能人ラジオで紹介されて有名人になったのも「女だから」。

上司のおじさん達(桂場や多岐川やライアン)に可愛がられるのも結局「女だから」。

なので段々「大して仕事も出来ないのに男ばっかの職場で可愛がられてる姫」に見えてくる。

その後「エリート男性結婚して更に出世」までやる。

女性差別と闘っている女」なのではなくむしろ「『女』を利用してのし上がる女」じゃないのかこれ。

専業主婦・花江の描き方が微妙

寅子の親友兼兄嫁であり、寅子とは対称的な生き方女学校を出てすぐ結婚して一生専業主婦)をする女性として

脚本家が「もう一人の主人公」くらいに力を入れて描いていたという花江。

脚本家曰く「働く女の裏には花江のようにそれを陰で支える女が不可欠だが、

そういう女が世の中で透明化されたりバカにされているのが腹が立つ」ので花江をメインの一人にした、

あくまで「望んでそういう生き方をしている女性」として描いたんだそうな。

でもその割に花江の人生の描き方が微妙すぎる。

女学校時代の花江は確かに結婚に憧れていて、自ら望んで卒業後すぐ結婚したが

別に家事育児をしたくて結婚に憧れていたのではなく

あくまで寅子の兄が好きで「好きな人結婚する」のが憧れという子だった。

なのにその結婚した主な理由たる夫は戦争でさっさと死んでしまい、後は未亡人として只管家事育児をするだけの生活

それで家事育児を楽しんでやっているのならまだしも、当初は上手く行かず姑(寅子の母)とモメたり寅子に嫉妬したり

私なんて女中みたいなものとか、(自立出来る寅子と違って)私の老後は誰かに世話にならなければいけないと自虐してみたりと

その立場を心底楽しんで納得しているように見えない。

そもそも育児は(自分の子だけではなく寅子の娘まで自分の子と同様に世話をし可愛がっていたくらい)好きだろうけど

家事が好きとは一度も言っていた記憶がない。

家事を終えた後居間休みながら家族幸せそうな姿を見るのが好き」とは言ってた気がしたが。

家族が好きで家族生活を成立させるために家事は行うけれど、家事のもの別に好きではないんじゃないかと思う。

寅子が法律勉強法律に関わる仕事のものが好き、というのとは対照的に。

子供たちの成人後も結婚相手が皆寅子のようなバリキャリだったため「自分と一緒に家事をしてくれる専業の嫁」もおらず、

年をとってもずっと一人で息子世帯家事孫育てまでやる状態になっていた(途中から寅子の娘が手伝うようにはなっていたが)。

他に趣味があるわけでもなければ、友人がいたり遊びに行くような描写もなくずっと家事育児だけ。

この生活幸せとか言っていたが、そうか?

そもそも「本人が幸せって言ってるから幸せなんだ、だから何でもかんでも頼ってやらせていいんだ」ってのが?

それをやりがい搾取と言うんじゃなかったっけ?

脚本家は「私は専業主婦の事もちゃん理解して尊重してます」とばかりに意識高い事を言っていたけども

結局のところこういう描き方しか出来ない。

いやまあ分かるんだよ、今時「家事のものが好き」な女性なんて視聴者の大多数が共感しないだろうし

幸せそうで人生に満足している専業主婦を描いたらヘイトを食らいかねないってのも。

そもそも演者の力で何とかなってるキャラだと思う、下手な俳優がやったら嫌われてたかもしれない)

それよりは働く女に嫉妬もすれば引け目も持っていて自虐もするリアル専業主婦を描いた方が共感されるってのも。

でも寅子を初め他の女キャラたちがエリートだったり自分が好きな事を好きなようにやってる人たちが多い中で

くすぶってリアルなありがち専業主婦像を描いて「私は彼女たちの事尊重してます彼女たちはあれで幸せなんです」と言われてもな。

意識高い脚本家インタビューさえなければ気にならない程度ではあるんだけどな。

そういや最終回では推定80代くらいでもまだ生きていて、何故か寅子の娘に介護されていたが

「お母さんが大好きだから自分がお母さんの世話をするんだ」と言っていた息子たちはどこへ行ったのだろうか。

母親が動けるうちは家事孫育てを散々やらせておいて年食って要介護になったら寅子の娘に丸投げしたのか?

そういや花江のひ孫も寅子の娘が世話していたが、これも花江の息子の子の子供だろうに丸投げ?

優未が分からん

寅子の娘、優未。

結局この子がどういう子だったのかが良くわからない。

「(母親にとって都合が)良い子」なのか、それとも「毒母のせいで歪んだ子」なのか。

脚本家がどういうつもりで描いていたのかが分からないまま、最終回では寅子と抱き合って幸せだと言って終わったが

とにかくハッピーエンドで終わらせなきゃならねえんだよ!とばかりに取り繕ってる感がした。

父親は早死にし母親放置され、義理の伯母である花江に・花江の息子たちと一緒に育てられた、という生育環境を考えると

大人男子に媚びて取り入るのは上手いが、同世代女子とは仲良くできない子」であるという設定は説得力があった。

「寅子の前では『いい子』を演じている子だったが、母子二人で生活していくうちに『いい子』の仮面が取れて寅子と何でも本音で話せる子になった」という事になっていたが

それもまた「いい子の演技」なんじゃねーの?「何でも本音で話しているという演技が上手い子」になっただけでは?という感じがした。

寅子の再婚時も再婚相手の男やその義母に取り入り可愛がられるようになる一方で、相手の子供(特に同性である娘)には嫌われるというのもリアリティがあった。

再婚時に相手の子から良く思われていないのを不安に思った寅子に対して「私は不安はないの。だってお義父さんはお母さんの事が大好きだから」と言っていたのも、

実際相手の子供の前で再婚相手やその義母ベタベタして可愛がられてるのを見せつけていたのも

要するに「相手の子から父親私たちが奪ってこちらの味方につければいい」って考えてるって意味だよね…優未、恐ろしい子…と思ったけれど

こういった描写の受け取り方が脚本家意図通りなのか、脚本家はそのつもりはないのにこちらがそう邪推しているだけのかが分からない。

そうやって「周りの大人にとって都合が良い子」をしながらかわいがられて生きていたのに、

大人になって突然院を辞めフリーターになったのは遅れてきた反抗期モラトリアムか何かか?と思ったら

最終的には色々な仕事を掛け持ちしながら花江の介護他人の子供の世話をしていたのもよく分からない。

それも全部好きでやってると言いつつ自分人生失敗だったかもと自虐し出すのは花江と同じパターンだが。

つーかモデル通り「研究者になりました」じゃだめだったんだろうか。

再婚相手の子たちも終盤は人生迷走してたので、「子供が親の望み通り順風満帆人生になった、じゃ面白くないから展開ひねらせた」だけかもしれないが。

新潟でどうやって生きてたの?

花江に家事育児丸投げ状態から新潟転勤になり、優未は置いていけと言われる中で連れて行って全て自分でやらなきゃいけない状態に。

なのに大して苦労せず。今と違って便利な家電サービスもろくにない時代に。

仕事内容はほぼ描かれなかったが、支部長というのはそんなに楽な仕事なんだろうか。

子供いるから定時で帰らなければならないのに仕事が終わらない」「大事な予定が入っていて絶対に休めない日に限って子供が熱を出す」

と言ったワーママあるあるも一切なし。

令和の子持ち様じゃあるまいし、支部長という立場から同僚に丸投げじゃ済まない仕事も多々あると思うんだが。

実際夜中に部下が令状貰いに来る描写があったが、でも毎日定時で帰れて家事時間も十分に取れるんです、ってか?

優未は3年間の赴任中一切体調を崩さないしケガもしない丈夫な子だったのか?腹は壊してたが。

昭和陰湿田舎という設定のはずなのに、東京から来てなんだか裕福そうで言葉も違う子供友達も作らず孤立してても

いじめターゲットにならない小学校治安も良すぎる。昭和小学校こんな平和じゃないだろ。

母子家庭の仕事育児の両立の苦労」がまるで描かれていない。せいぜい一日だけ飯作れなくて代わりに菓子食っただけ。

「優秀な寅子はその気になれば苦労せず仕事育児が両立できる。苦労してる現実母子家庭は母親無能から」とでも言いたいんだろうか。

当初は小学校低学年の優未を家に長時間一人で放置家事やらせるのも、この時代なら当たり前かもしれないが今の価値観だと虐待なのに

このドラマ普段は今の価値観で動いてるのでここだけ当時の価値観では違和感がある。

稲がいながら何故か毎日雇おうとしないのも意図がわからない。史実だと家政婦雇ってたのに。

花江がはるの死後一人で家事するのに苦労するという描写があった後にこれなので

「花江が専業主婦なのに家事に苦労していたのは無能から。優秀な寅子は楽々仕事家事を両立できる」とでも以下略

私は専業主婦の事理解尊重してますという脚本家ドヤ顔は何だったんだろうか。

夫婦別姓以前に再婚する理由が分からない

ネットが揉めに揉めた夫婦別姓展開。ろくにドラマを見てない人が絶賛し、ろくにドラマを見てない人が叩いていた。

お前らドラマ見てからもの言えや、という事で見ていた立場から書くが

寅子も自分で言っていたけど、そもそも「お互い経済的に自立していて子供もおり新たに子供を作る予定もない」のに結婚する意味ある?

いや現実のこの時代の人ならあっただろう。死別とは言え独身のままでは生きづらいとか、

未婚の男女が頻繁に会っているだけでふしだらだと言われるとか(特に裁判官なんて堅い仕事人間なら尚更)あっただろうし。

でもとらつば世界はずっと独身だろうが未婚の男女が同居してようが(よねと轟は周囲にどう思われてるんだか)誰も何も言わず平気なのに結婚する意味ある?

いやうるせえ史実結婚してるんだから結婚しなきゃならねえんだよ!ってのは分かるが。

結局恋愛脳的理由しかなかったのか、「寅子さんの夫を名乗りたいから」「私も航一さんの妻を名乗りたいわ」なんて言ってたけど

航一はともかく、寅子そんなキャラだったっけ?

まあ優三の時みたく新潟最後に突然発情したのでそこでキャラ変わったのかもしれない。

でもって同姓にしたくないから別姓にするために事実婚、という史実無視の超展開になったが

どうせ史実無視するならそもそも結婚させる必要が以下ループ

いやうるせえ脚本家夫婦別姓ネタねじ込みたかったんだよ!ってか?単にそれだけであんな不自然展開?

モデルの三淵嘉子は再婚時に相手の姓に変えた(から「三淵」嘉子)けど不満も葛藤もあったっぽいので

同じように「最終的に相手の姓に変えたが不満も葛藤もあった」と描けば十分問題提起になったと思うんだが…

そもそも作中では事実婚してその後何の問題も起きなかったので、これだと「じゃあ別姓にしたけりゃ事実婚でええやん」にならない?

折角同性婚と絡めて「結婚しなければ二人の関係は死んだ後残らない」とか言ってたのに、事実婚でええやんになったら同性婚必要なくなるような?

しかし親の突然の恋愛脳に振り回されて他人と同居するはめになった子供たちがかわいそうである

これも現実のこの時代価値観なら「子供の事なんかいちいち考えなくて当然、子供は親に黙って従って当然」だけど

とらつば世界は基本はそうじゃないのに子供の事一切考えてなかったよなこいつら。

当然子供と揉めたけど、それもなんかやはり超展開で解決してたし。

2024-09-27

ぼざろの脚本家ってのもそれがどれだけ作品の出来に影響を与えたかって怪しい話に思えてくるな

2024-09-26

海のはじまり-看護師としてみてみる-

ヤフコメとかTwitterとかで水季勝手すぎ!とか振り回されすぎ!こんな脚本ありえん!もうこの脚本家のドラマは見ない!!!っていう意見が沢山あった。

自分医療職でありまぁ歴はそれなりにあってドラマを見てるとあーそーそーこれこれ!って思える場面がかなりあり家族言葉かにはもうほんと納得していた。

人の死の場面に立ち会うとほんと綺麗な終わりなんて全くない。そもそも死ぬ人は自分死ぬなんて思ってないし最後の瞬間まで生きてる。

最後の瞬間まで生きて生きて止まるっていうのに近い感じ。

死に向かって生きているはずなのに誰もかれも死ぬって思っていない。水季だってそうだったはず。

からせっかく宿った命を自分が育てていきたい。でもこれからある大好きな彼氏の将来を決めてしまうようなことはしたくない。

水季と夏がその判断をしたのは大学生。そんなあと先のことまで考えてはいないだろうしこれからの将来なんてそんなまだまだ子供の2人に想像できるはずがない。

産みたいけど彼氏のこれからのこととを考えた時にもうあの判断しかなかったはずだ。

これから彼との人生は違っていくけど自分子供の2人であれば生きていける。

そしてようやく好きな人もできてこの長い長い先にもしかすると津野くんとの未来も見えた矢先に病気の判明。

ほんと告知を受けたら頭真っ白だったはず。そして真っ先に考えたことが子供のことだったろう。

死を宣告された人たちは子供がいると子供第一に考えてた。私が死んだら子供大丈夫かな。。。ってもう何度も何度も聞いた。その度に医療者としてとても辛かった。

あの手紙子供のことを思って書いたのだろう。

かに勝手に産んだ。でも死ぬなんて思ってなかった。残された子供がいつか父親のことを知ろうとするだろう。自分の死だってきっとどんな形であれ夏は知ることになるだろう。

なら知った時のために手形を残すというのは自然のことじゃないだろうか。血のつながった子が孤立しないようにしてあげたかったはずだ。

2024-09-23

Shogun全部観た感想(長文・ほぼネタバレなし)

原作は75年に出たアメリカベストセラー小説。作者のジェームズ・クラベル映画脚本家メインのとして有名だったたらしく、「蝿男」とか、見た事ないけど「大脱走」「いつも心に太陽を」の脚本家らしい。

ゲースロなど大河物好きとしては、「真田広之と一部以外の人間みんな頭良くなさすぎね?」とか、全体的に各登場人物の野望や思惑が深掘りされないのが気になったけど、

原作者がハラハラキドキの名手(多分)だし、「これはある種の冒険ものなんだ!」と思い直したら非常に納得できてすんなり入り込めた。

戦国時代架空日本舞台で、時代としては秀吉っぽい人が亡くなり、その部下の五大公(五大老)の覇権争いが勃発した時代。五大公の一人の家康っぽい人(真田広之)が「俺は天下なんてほしくねーのにやれやれ他の欲深い奴らには任せらんねーな」しながら様々なピンチを切り抜け天下を掌握するまでの話。

ハラハラキドキしながら見れたのだが、基本暗い。誰がいつ死ぬか分からない時代からか”宿命”という「無常感」に似た考えが全体を支配していて、死にたがり多いし大層暗い。

日本人らしい死生観から、「まあいいか」的な明るさや忘れっぽさを取り除いたような思想なので、「合ってるけどなんかちょっとだけ違う」感じもする。時代のせいかもしれない。

神道」「天皇」が出てこないせいか、「守ったり立てたりする相手がいないから五大公達も目的意識希薄なんじゃ?」と思ってしまったりしたが、その代わりにShogun征夷大将軍)がなんかド偉い「人類の最高地点」みたいにナレーションで言われてて、海賊王か何かみたいな言われようだった。そのわりに前Shogunだった大公殿下秀吉)も、大した奴っぽくない描写もあったけど…。淀殿ももちろん出てきます

で、シンプルドラマかとおもいきや人物感情は繊細に描かれていて、マリコ様(第二の主人公たるこの人が暗いか雰囲気が暗い)とか、マリコ様の夫の文太郎浅野忠信演じる荒くれ武将の甥っ子あたりの複雑な思いに「んんん・・」となりながら観るのが良かった。

プロットのご都合感やシンプルさと、「それはそれとして人間感情はしっかり描きますよ」感は、なんかアメリカっぽい。アメリカ小説を読んだりしてて時々感じるのだが「話自体を難しくすると幅広い層の人が楽しめないから・・」という配慮はあるような気がする。スタトレ(TVドラマの方)をみてても思うが、わりと”視聴者共感させてヒーローを作ること”を大事にする文化はある気がする。

みんな演技が上手いし、全体的に自然な演技という印象。安針(家康の部下のイギリス人船乗り)も若者らしさが溢れててある意味一番フツーでよかったし、若いクリスチャン役の人がいい味だしてた。

ちょっと設定にやりすぎ感があるものの、浅野忠信キャラもとても味があってチャーミングだった。(ラムジーボルトンだけど。)

太郎役の人(阿部進之介)がイケメンすぎるし、マリコ様も美しいが、藤様役の若い女優さんもいかにも日本人らしい風貌で美しい。

日本庭園とか衣装も美しくてさすがハリウッド

演技的な一番の見どころは、真田広之西岡徳馬の二人のシーンかもしれない。このシーンで「このドラマみて良かったな」と思った。

まとまらないけど総じて素敵なドラマで観てよかったです。

スオミの話をしよう』は何故つまらないのか(ネタバレあり)

映画スオミの話をしよう』を観た。稀代の脚本家三谷幸喜氏がメガホンを取ったとは思えないほど、つまらない作品だった。何故、これほどつまらないのだろうか。端的にいえば、寒川しずお以外の人物像に説得力がないかである

もっと説得力がない人物像は、主人公スオミである。何故スオミ結婚を繰り返すのか。何故、多重人格のように出会う男に合わせて性格だけでなく、話す言語さえも完全に変えることができるのか。なぜ、身代金要求狂言誘拐を起こしてまで生まれ故郷ヘルシンキに行くための資金を捻出しようとしたのか。

本来、これらの問いに対して観客を説得するようなエピソードを描くべきだった。しか脚本は「そういう設定」といって長澤まさみ氏の演技力で観客を説得しようとし、失敗した。寒川しずお以外の他の登場人物も同様である

なぜ、設定と演技力による人物像の説得に失敗したのか。その理由は、スオミ人物像を連想させるステレオタイプが十分に確立されていないからであろう。例えば、本作品で唯一、人物像に説得力がある寒川しずおはエキセントリックな有名詩人だが、エキセントリックな有名文学者というステレオタイプ文学史フィクションを通して十分に確立されているので、設定と坂東彌十郎氏の演技力だけで観客を説得することができた。しかスオミのような人物ステレオタイプは、史実にもフィクションにも見出すことができない。

この映画比較すると、ドラマ地面師たち』はエピソードによる説得と、ステレオタイプに乗っかって設定と演技力だけで行う説得を優れた形で組み合わせている。辻本拓海がなぜ地面師になったのか、石洋ハウス青柳隆史は何故港区土地を喉から手が出るほど欲しいのか、これらの経緯を説明するエピソードを描いて視聴者を説得している。他方でハリソン山中場合、『羊たちの沈黙』のハンニバル・レクターなどの極めて高い知性と身体能力を持つ超人的な快楽殺人者というステレオタイプに乗っかって、設定と演技力だけで視聴者を説得することにも成功している。

個人的には、フィクションには説得力重要と考える。フィクションなのだからエキセントリックな有名文学者超人的なシリアルキラーだけでなく、人間のような意思を持つおもちゃ超能力者など物理的に存在しえない人物さえ設定で盛り込むことができる。しかし、これらは観客に対して説得力を持たなければならない。その方法は、既に確立されたステレオタイプに乗っかって設定と演技力で観客を説得するか、エピソードを描いて「だからこの人はこういう風になったのです」と説得するか、これらのいずれか(又は両方)をしなければならない。

2024-09-22

anond:20240922071351

仕事が頼みやすいっていうのは

本人の仕事スキルよりも

仕事上のやり取りのスムーズさの方が

評価対象だって

もはや常識だと思ってた

 

仕事上のやり取りがスムーズからって理由

ドラマでもアニメでも

ヘボい脚本家いっぱいアサインされて炎上してるっていうのにw

2024-09-20

任天堂権利を主張すると業界が萎縮するって言ってる人を見てると思い出すもの

セクシー田中さん騒動とき原作者に口出しされると脚本家自由に書けないって言ってた連中

2024-09-19

anond:20240919114349

NHK自体ドキュメンタリーとして発達障害者精神障害者積極的にとりあげているのだからエンタメの一分野であるドラマにまでする必要はない。

現在発達障害者精神障害者が生きている(減る見込みもない)以上、どうしても一面的見方になった上で脚本家が矢面にたたされるようなドラマフィクション)化は検討するまでもなくアウトだ。

2024-09-17

そういやアカデミー賞ポリコレ化ってどうなったの?

調べたら面白かった

https://job.cinra.net/article/column/oscarsrule/

 

抜け道とは、どんなものか。スクリーンのなかで条件を満たせない場合は、スクリーンの外でクリアする方法があるのだ。

 

たとえば、監督脚本家プロデューサー美術監督衣装デザイナー撮影監督メイクアップアーティストヘアスタイリスト、キャスティングディレクターなど主要な部署トップのうち、最低2人が、マイノリティ人種女性、LGBTQ、障がい者であることは、その条件の1つ。

 

くだらなくて草

最近実写BL多すぎ

実写化まじで無理

そもそもBLだけじゃなくて全部の漫画実写化が無理

実写化ってなんの意味があるの?せっかく何かを表現できるんだからオリジナル映像作品作ればいいじゃん

これは純粋に疑問なんだけど、人が作ったお話をなぞるか変な改変してて監督脚本家楽しいの?

あ、でもその人たちが大好きな作品映像化する場合なら2次創作的な感じで楽しいのかもね

それならちょっと意味が分かるかも

私が見なければいいだけだと思って、見ないようにしてるけど映画館とかで宣伝流れてると最悪最悪

実写BLが今頻発してるのって

・若手の俳優を売りやす

相手役もイケメンから女性ファンが嫌がらない?

とかそのあたりが理由なのかな

2024-09-15

anond:20240915111358

そもそも賛否両論ってそれだけじゃないんだけどね

虎に翼が最初絶賛だらけなのに後半から不評が増えてるのは、単純にドラマとして面白くなくなった(と感じている人が多い)からなのに

先進的な思想が気に食わない保守派が叩いてるだけなんですよ」って宣伝しようとしているのが卑怯だなあ、と

子供と夕飯代わりに菓子食べるシーン、脚本家的にはそういう意図なんだろうというのは分かったが

それならそもそも何で家政婦雇わないのかが分から困惑した

「元々寅子の知り合いの元女中で、現在孤独を持て余し社会との繋がりを求めていてタダでもいいから働かせてほしいと言っている」

という超絶都合良い「稲」というキャラを設定しておいて何故か週1しか雇わない

別に毎日ちゃんと金払って雇っても良いくらい稼いでる設定だろうし、史実でも住み込みで家政婦雇ってるのに

そこを変えたのは、むしろ「何がなんでも他人に頼らず母親家事しなければならない」というメッセージ(少なくとも「寅子はそう思い込んでいる」という設定)か?と思ったよ

それでやっぱり家事回らなくなって菓子食べてごまかすって、やってる事が矛盾していて意味分からん

普通に素直に史実通りに稲を毎日雇って「母親家事する事に拘らなくていいんだ、頼れるものは頼れ」ってメッセージにした方がよっぽど現代に即した話になったんじゃね?

それが嫌ならむしろ菓子なんか食わせないで「寅子はスーパーウーマンなので仕事家事も一人で完ぺきにやりました!」にしとけよリアリティゼロだけどさ

当時小学生の娘にも相当家やらせてないと回らないはずだし実際寅子の帰宅前に家事やってる描写もあって(包丁なんかも使わせてたよな)、

それを母娘が協力して生活する良き風景かのように描いて、ヤングケアラーかよそれ賞賛するの気持ちわりいなと思ってたけど

その後寅子の再婚後に義祖母ボケた時は、新潟時代は頑なに雇わなかった家政婦毎日雇って夜は寅子&夫が義祖母介護してるという状況にしておいて

「娘がヤングケアラーになってるのを描きたかった」って言ってた時も疑問しかなかった

娘、ヤングケアラーと言えるような事なんかやってたかあくま家事介護は家政婦がメインでやってる中少し手伝ってただけだろ?

母子家庭で母はフルタイムで働いている中、母の代わりに家事をやらされる小学生の娘」はヤングケアラーではないけど

「両親&家政婦がいて昼間は家政婦、夜は両親が家事介護やってる状況で少し手伝ってる高校生の娘」はヤングケアラーなんです!ってさあ

自分が前に描いてた状況忘れて思い付きでヤングケアラーネタぶち込みたかっただけだろこれ

他も社会問題()を思い付きでぶち込んだっぽい浅い描写だらけ、金曜に唐突問題解決するパターン連発、登場人物が何考えてるか意味不明だらけになって、

からまらなくなったと言われたり叩かれるようになったのに

それはスルーで「保守派が叩いてるだけー」で誤魔化し通すんだろうな

anond:20240915111358

脚本家が悪い、というより脚本家に頼りすぎなんじゃないか

もっとハリウッド式に複数脚本家などからなるシナリオグループを組んで時間を使ってしっかり揉んでその成果物映像化したほうがいいんじゃないか。見た視聴者からすぐツッコミが入るような箇所はそれでずいぶん減るだろう

脚本家といってもそのほとんどは橋田壽賀子倉本聰みたいなスーパー存在じゃないんだから巨大な機械のネジの一つと割り切ったほうが良い

虎に翼にキレるオタクパヤオにキレるオタク

ぼざろの脚本家フェミだったなんて!

ジブリ監督女性声優使わないなんて!

みたいな、勝手に裏切られた感出してキレてんの笑える

無産の一消費者ときクリエイターバカにしてんじゃねーぞゴミクズ

2024-09-13

突然猛烈にキレる『火病

韓国人原作作品って登場人物が突然猛烈にキレる『火病』って現象があるんだけど、日本アニメもわりかしあるから脚本家全員韓国人なのかも知れないな。

2024-09-11

anond:20240911104535

どう見てもよねが一番好きでしょ

最初から男装女性」を出したい、ってのは構想にあったようだし

はてな党派性脳だとすぐサヨクガー言いたがるけど、多分脚本家はそういうのこそ興味ないと思う

原爆裁判適当史実コピペ判決文で終わったし、それよりボケ老人に振り回される寅子の方を書きたがってた

過去からしてもセクマイにはものすごく興味あるっぽいが(「男装女性」を出したいのもそれもあるだろう)、

別にサヨクガーではなくただの女性作家あるある

逆に「普通の男女の恋愛」を描くのは苦手なのかな、と思う

あと「普通女性」の事も大切にしますよとアピールして平凡な主婦の花江を出してるけどこっちは実際は興味なさそう

(寅子、よね、花江の3人がメインなんだそうだが、脚本家思い入れが偏ってる)

展開的にも花江は専業主婦であることに引け目や劣等感持ってるけどだからと言って働けるわけでもなく諦めたまま年食ってて

本当に「リアルな平凡主婦」でしかなくこのままで終わりそうで、救いがないんだよなあ

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