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2024-10-12

スポーツは見ないのにスポーツ漫画は好き

スポーツ経験があるのに、普段スポーツ中継を全く見ない。でも漫画バスケバレー野球サッカー自転車ものを見ている

試合勝敗選手の動き」よりも「各選手試合中や練習中の感情がどのように動くか」の方が自分にとって興味深い

5年前の朝倉未来、動き良いし強すぎワロタ

https://youtu.be/PK56_km79Og

若さを失って動き悪くなったのか、お金のせいなのかYouTube練習時間を奪われたのか、なんなのか?

藝大出身ヴァイオリン奏者を全く良いと思わなくなった話

といっても、首席卒業クラスの上澄みレベルdisるつもりはない。

あくまアマチュア自分教室先生とか、最近だったら主に配信とかでお目にかかれる、いうなれば「量産型卒業生のお話

自分が習っている先生は3人目(社会人向けレッスン)だけど、幼少から高校まで習ってた1人目と2人目は藝大卒の人。

これが原体験にあって、かつ藝大卒自称する配信者の演奏を見た感じ、ホントにこの学校出身の人って、根本が驚くほど似通っているというか、弾き方に共通点がある。

とにかく


この弾き方のメリットは、普通の人から見たらわかりやすく上手に見えて、すごい!という評価をもらえることだろう。

そして大抵の場合はそれでいいじゃん、いやそれが大事じゃんになると思う。

から自分がこれから書くデメリットは、正直かなり逆張り自覚はある。

でも自分美学というか美意識に沿わないのだから仕方ない。

ということで、上掲の弾き方の問題点を挙げると


もちろん上に書いた弾き方を出発点にして、表現の繊細さを極めるのは不可能じゃないと思うし、それを実現できている人もいるにはいる。

でも、何をどう聴かせたいのか?という根本部分を置き去りにして、最初からやたらと正確さと音の大きさだけを是とする価値観を主軸にするのは、表現として不自然過ぎるでしょっていう。

何より表現を突き詰める過程で、このままでは伝えたいことが伝わらない→伝わるよう正確に弾こう、いや弾けなきゃ気が済まない!というのが本来の上達の流れなわけで、
そういう順序も踏まえずにいきなり正確に弾け!とか、習う方からしたらなぜそんなに厳しくツッコむのか理解できないので、苦痛しかない。

結果、こういう超面倒な技術習得ありきのプロセスに過剰適応できた人しか生き残れないし、そういうタイプの人が、後から細やかな表現を磨くのは並大抵のことじゃないというのは、この学校出身の人の演奏の多くが、
音程だけはやたら正確だけど、それ以外はインパクトだけの大味な表現だったり、細やかさを実現していてもどこかわざとらしい(≒不自然さが抜けてない)音になっていることで証明されていると感じてしまう。

ちなみに自分はそういう価値観に嫌気が差したことや、何より身体に対する負担が大きすぎてこのままでは先がないと判断したことで、より古典的な弾き方に回帰し、音大受験レベルの曲をさらいつつ楽しくやっている。

即ち

  • 弓と手と腕の重さだけで弾く(近代化される以前の、大昔の弓の弾き方)
  • 指板に指が付くことはあっても、弦は指板に付けない(近代化される以前の、大昔の弦の押さえ方)
  • 最初から出したい音をイメージし、そのイメージに沿う音をできるだけ細やかに追求する(イメージできるようになるまで練習しない)

その結果、今は自分の弾き方に近い音を出してる人が多い、桐朋出身ヴァイオリン奏者をいいなーと思うようになった(習ってる先生桐朋出身じゃありません、念の為)。

なお桐朋出身ソリストで、サイトウ・キネン・オーケストラコンミスも務めた故・潮田益子氏は生前

「(桐朋創設者の)齋藤(秀雄)先生から教わったことは、世界中のどこに行っても通用した」

とおっしゃっていて、桐朋すげーと思ったものだ。

というわけで、藝大のヴァイオリンがなんであんなにすごいと思われているのか、意味がわからないという話でした。

絵がうまくなりたい

高校のころから描いたりかかなかったりしてここ3ヶ月くらいは毎日描いてる

お絵かき歴は合計2年くらいか

やっぱり教本買ってひたすら模写すべきか?

いきなり自分絵で練習していたら必ずどこかで人体とか顔のバランスとか破綻してしまう気がする

今は参考書としてスカルプターのための美術解剖学を持ってるんだけど模写が難しすぎて人体が分からなくなったら見る程度

自分に足りないものの1つはインプットだと思う

構図とかのアイディアも出てこないしシチュエーションも出てこない

出てきたとしても上手く絵に落とし込めない絵が描きたい気持ちけが先行してしま

どうやったら絵がうまくなるんだろう

このまま描き続けていいのだろうか

2024-10-11

柔道選手の回想を聞いてほしい 4


トイレ付近水飲み場でT君に声をかけると、「負けちゃいました」と呟いた。

「よくやったな。今はどうだ、悔しくないか?」と聞いたら、T君は「いや、ないです。悔しくないです」と答えたっけ。

これでいいのだ。その人が本当に努力をして、最後までやりきったとしよう。そんな時、悔いの念は湧いてこない。全力でやり切ったからだ。逆に、全力でやれてないと悔いが残る。

結果の良し悪しは関係ない。その人にとっての天命である。どう足掻こうと必然だった。だから、どんな結果であれ、挑戦は終わったのだと、それまでの自分道程を認めることができる。

ただ、悔いの念はないけれど、人によっては……。

先生。今までありがとうございました」

T君の目に涙が溜まっていた。

先生。これ、悔し涙ですかね?」

「多分違う。そういうのはな、あの練習をしてればよかったとか、あの場面でああしてりゃよかったとか、そういう空虚なのとは違う。そうだろ?」

はい。なんか。自分でもわかんないです」

「T君はな。自分を認めることができたんだよ。諦めずに、走り続けてよかったって、そういう自分を認めてるんだよ。そんな自分になれたのが嬉しくって、だから今、お前は涙を流してる」

「じゃあ、先生はなんで泣いてるんですか?」

「これ? ああ、これね。これは……」

ミキプルーンの苗木」と言いかけて俺は、「お前が凄かったから感動したんだ」と伝えた。それで、碌にT君の顔を見ずに振り返って、試合場に帰った。恥ずかしかった。

ここでまた、例の漫画(拳闘暗黒伝セスタス)の場面が脳裏に浮かんできた。確か、試合に負けたセスタスを、師匠であるザファルが鼓舞するシーンだった。おそらく序盤の方だ。未読の人の楽しみが減るから、具体的にどういう場面かは書かない。気になる人は探して読んでほしい。

T君が得たものは大きい。勝っただの負けただの、結果にそこまでの価値はない。一生懸命やって、試合で全力を出し切って、結果を受け止めたんだろ? 高校生でそこまでやれたら十分だよ。

T君よ。今は幸せにやってるかどうかわかんないけどさ。俺、君を教えることができてよかったって、マジで思ってるよ。またどこかで会えたらいいな。

ちょっと休憩してから試合場に戻ると、柔道畳のすみっコのところで、T君とN君が談笑してるのが見えた。N君の肘が、T君の腕のあたりを突いていた。どちらも、にこやかに笑っていた記憶がある。

それから、あのN君だが……周りを寄せ付けない強さで県大会優勝を果たした。手元にある当時の「全国高等学校体育連盟柔道部 研究調査報告」によると、N君は全国大会で4勝して第三位に入っている。



大会が終わって、T君は時間に余裕があるようだった。昼に営業してる隠れたお店で飲み食いして、広島城の通りをブラブラ広島駅まで歩いて行った。T君はずっと田舎ちらしい。目をキョロキョロさせていた。

最後に、福山行の新幹線に乗って帰途についた。T君は、親が福山駅前に迎えに来てるようだった。彼を見送ると、大会の旅程をすべて終えた。

ところで、この日のことで、もうひとつ記憶に残ってることがある。あれは福山駅の構内だった。アパートに帰ろうとして時刻表確認すると、微妙時間帯だった。

アパートまでは、あと二駅だった(高校のすぐ近く)。歩こうか、それともローカル線を待とうか、はたまた……今日はいい気分なので、夜になったら少し吞んでいこうかなど、いろいろ考えていた。

印象的な出来事があった。

結局、国道沿いにある居酒屋で呑もうと思って、一旦自宅に帰ることにした。福塩線ホーム電車を待っていた。すると、そこに中学生女子がひとりで居た。制服姿だった。どこの学校かはわからない。俺、元々は広島市民だしな。ただ、部活大会帰りなのはわかった。日曜日スポーツバッグを持ってるのはそういうことだ。

の子スポーツバッグにストラップを付けてた。2つ。手のひらサイズの大きいやつだ。それが気になった。リラックマのやつだった。

ちょっと声をかけてみた。「ねえ、あなた」と言って、その子がこっちを向いたところで、「それ、かわいいね!」って指さしたんだよ。その茶色い熊と、黄色い鳥のストラップを。

の子は一瞬固まってた。何言ってるかわからない、という様子だった。俺は、もう一度「それ……」と言うと、その子ストラップを見た。「かわいいね」ともう一度伝えたら、その子は目をギョッと開けて、俺の肩口の方を見てきた。顔じゃなくて。

それで、何秒間もずっと目を大きく見開いている。声は出さなかった。よほど驚いたのだろうか。

別の方から、「あの、ちょっとあなた!」という男の声が聞こえた。30くらいの男性だった。恰好はそんなに覚えてないが、ジャージ姿で恰幅があった。何かスポーツをやってそうだった。

その人が、俺に声をかけたのだ。『あーそうか、部活の引率の先生なのかな』と思い、そいつの方に歩いていった。

「俺がどうかしました?」

「いえ、うちの生徒に声をかけていたので。気になって」

「それで?」

「どういう関係かなと」

「全く知らねー間柄ですけど」

「そうですか」

「全く知らない間柄だと、声をかけたらいけないんすか?」

「いえ」

「そんな法律あるんか、オイ?」

「いえ、それは……」

「そんな法律があるんか、答えろやオイ! お前チンピラか」

「いえ、ないです……」

「じゃー、あなた対応って失礼とちゃうんですか? 俺、これでも学校先生だよ。私立だけど。あんたと一緒」

「えぇ、そうなんですか。すいません……全くそうは見えませんでした」

「俺、傷ついたよ。責任とってくれる?」

「いや、その。すいません」

すでに距離が近かった。声色と態度でわかる。こいつは萎縮してる。初めは語気があったが、俺が近づくと萎縮した。ビビった声色になってる。

わかるんだよな。男同士だったら。雄としての『格』の違いが。こいつは自分が格下だと認めていた。自分で言うのもなんだが、普通の男だったら俺が街中を歩いてると道を開ける。

当時、福山駅のあたりの居酒屋で、若い連中がさ。冗談女子店員おっぱいとか、お尻を触ったりしてたんだよ。それで、俺が「兄さん。そういうのはいかんよ」と声をかけると、途端に目を伏せて――何もなかったかのように酒を飲み始める。基本は、犬や猫だってそうだろう。強い雄には道を譲る。そういうものだ。

ひるがえって俺は、またその子に声をかけた。

ビビらせてごめんな。それがかわいいなって、それだけ言いたかった」

「……ありがとうございます

「どこまで帰るの?」

川野辺まで」※よく聞こえなかった

「へー。俺はそれより前の駅だと思う」

「そうなんですか?」

「もし今度、あの先生がいない時にどこかで会ったら、話とかしない?」

「いいですよ!」

約束な」

はい約束です!」

の子と一緒の電車車両に乗ったけど、喋りかけたりはしなかった。空気を読んだ。

アパート付近にある駅で降りると、家でちょっと支度をして、夜になると自転車に乗って遠くの国道沿いにある飲み屋街に出た。書いてるうちに思い出してきた。あれはサンキューランドだっけ。

当時は、お酒を飲んで自転車に乗るのはセーフだった。そういえば、毎年18才の大学新入生が歓迎会お酒飲み過ぎて、毎年死んでたっけな。そういう時代だった。

それから、その子と会うことはなかった。確率的にありえないとわかっていたが、ニアミスくらいはしてるかもしれない。



中学生で思い出した。今これを読んでいるあなたが男か女かはわからないが……中学生セックスしたことはあるだろうか? 俺はある。

あれは、まだ中学二年生の時だった。ひとつ年上の、女子柔道部の先輩がいた。柔道にひたむきな人で、めちゃくちゃ強くてさ。小学生の頃の俺はまったく敵わなかった。中学に上がってからガチ柔道部に入ったので、男女で組み合うことはなくなった。

そんな彼女は、全国中学柔道大会ベスト8に入って、広島市内にある公立の名門高校スポーツ推薦で合格してた。

子どもの頃から柔道が好きだった。朝鮮学校じゃなくて、一般中学校を選んだのもそれが理由だ。その中学校は柔道部が強かった。ハーフの俺でも入部を断ったりしなかった。それが理由だ。朝鮮学校柔道部の方が強かったら、そっちを選んでいた。

その先輩のことが、俺は好きだった。だって自分の道に真剣なんだぜ。ほかの中学生と比べて大人だった。52kg級で背丈は小さいけど、当時の俺だって油断したら投げられてた。

その先輩が中学卒業する年、俺の家に来ることがあった。学校帰りだった。

その日、家族はまだ帰ってなかった。俺の部屋の中で座って、コーヒー飲んだり、マンガの話をしたり(幽遊白書……電影少女……BOY……まだ実家本棚にあるだろうか)、くだらない話をしてた。詳しくは覚えてない。

ある瞬間だった。先輩が、俺の制服の奥襟をふざけて握ったのだ。俺も反動で、奥襟を握り返した(反応するのが癖になってた)。それで、グイっと手を引いたら、先輩の顔が近くにあった。それで……思わず抱きしめてしまった。

先輩は縮こまってたけど、やがて俺の肩を押した。抵抗してた。「先輩、好きです」と言ったけど、「彼氏いるから」だってさ。すると、先輩が無理やり立ち上がって、部屋を出て行こうとした。

まっすぐ追いかけて、先輩が部屋を出る前に腕を捕まえた。ヨイショッと体全体を掴んで、そのまますくい投げのように抱きかかえて、ベッドにまで運んで転がした。

そして、上に乗っかって、先輩の顔を見詰めていた。どんな表情だったかは覚えてない。「好きだ!」と大声で叫んだのは間違いない。

先輩は固まってた。俺は覆いかぶさって、そのままキスをした。手首とか指を掴んで、そこからはアッという間だった。先輩も抵抗はしなかった。ただ、ずっと受け入れていた。最後までいった。

最後までやった後、ベッドの中で先輩の体を抱きかかえて、「彼氏と別れろ!!」って求めた。何度も。何度も。三度は言ったと思う。先輩は悩んでたけど、最後には「はい」って返してくれた。それから口づけをして、ずっと体をくっつけ合っていた。あれは、あの瞬間だけは、本当に受け入れてくれたんだと今でも信じてる。

それから、何度か食事をして、デートにも行った。本当に数回だけど。子どものうちって、こんなもんだよな。

残念ながら、先輩が高校に進んでから柔道試合会場でしか会うことがなかった(当時、携帯電話大人嗜好品だった。子どもが持つものではなかった)。試合場で俺が声をかけると、前と同じように笑ってくれた。

高校からは、柔道をやってる男女の距離は離れてしまう。物理的にも、精神的にも。まるで違う存在になったみたいだ。先輩も俺も、柔道の名門高校に進んだこともあって疎遠になった。でも、どっかでまた告白しようと思っていた。



あれは、先輩が高三になる年の、大会名までは覚えていないが……先輩は、規模の大きいローカル大会に出場していた。全国から有名校が集まってくる。俺も出場していた。

その日先輩は、団体戦の時に、投げられた拍子に首から柔道畳に突っ込んでしまった。それでひどいことになった。

そのシーンを見ていた。相手選手は、先輩を背負いで投げる時に、もうちょっとで投げられるって思ったんだろうな。自分の頭を柔道畳にダイビングさせて、その勢いで先輩を垂直に転がそうとした。しかし、最初に畳についたのは先輩の頭だった。それで、頸部を痛めて試合中に意識を失った。

先輩は、頸椎損傷で意識不明の重体になった。あれは今でも覚えてる。救急隊員がタンカを運んできて、柔道から大急ぎで先輩の体を運び出していくのを。

意識は戻ったが、先輩の体は動かなくなった。脊髄がやられたらしい。もうすぐ高三になるタイミングだった。

柔道はできなくなったし、学校にも通えなくなった。先輩は、公立高校スポーツ推薦で入学していた。柔道できないとなったら肩身が狭いだろうし、そもそも卒業できるか怪しかった。

結局、卒業はできなかったんだっけ。病院から出られないんじゃ、しょうがないけど。俺、その頃は高二だったけど、先輩の病室に月に一度は音連れた。

今の状態のこと、いろいろ話したっけ。首から下の感覚がなくて、手足がまったく動かせないわけじゃないけど、お風呂に入っても温度とか感じないんだってさ。

俺が高三になる頃には、病院から出て車椅子生活できるようになっていた。自宅で療養してたけど、脊髄以外にも問題があるようだった。合併症で、呼吸とか循環とか消化とか、そういう機能にも。

大学進学で東京に出たら、先輩には会えなくなったけど、メールはしていた。今でいうガラケーである。当時は最新鋭の機器だった。中高生が見るようなバラエティ番組で、ケータイPHSコマーシャルが流れていた。先輩とのメール内容は思い出したくない。少しは覚えてるけど。

大学の長期休み帰省時、先輩に会いに行っていた。先輩、いつも普段着で、オシャレができないのを気にしてたっけ。俺はもちろん、そんなことは気にならなかった。ずっと先輩に会いに行っていた。

大学三年生の終わり頃だった。先輩が自宅で亡くなってから携帯電話とか、誕生日プレゼントとか、一緒に撮った写真とか、先輩との思い出ごとゴミに出した。今では取っといた方がよかったと思うこともあるが、やはり捨てといてよかったと思い直す。

せっかくの機会なのでメールを思い出してみるが、本当に部分的である脈絡なくて意味不明だし、記憶改ざんが起こってる可能性大である。お許し願いたい。

いつも大体、俺からメール送信していた。先輩とのメールは何十回も見返したか記憶にこびり付いてる。

「今度帰省する時、お土産なにがいい?」

東京ばな奈」

「あれ、前も食べなかった?」

「また食べたい」

リハビリとかしてるの」

「してない」

「どうして?」

無駄だし」

無駄じゃないかも」

「体が動かない。自分でどうにもできない」

車いすで動くのは? また一緒に外に行こうよ」

「恥ずかしい。あれで外出たくない」

今日学内リーグ戦で優勝した」

「やったじゃん」

「次の決勝リーグで負けたけど」

一年生でそれならすごいじゃん」

「次は勝ちたい。俺がレギュラーなったら、試合見に来てくれる?」

「え。親がお金出してくれるかな」

「出してくれるよ、きっと。だめでも説得する」

「  くんは彼女いるでしょ?」

「いないよ。できたことない」

うそ

「嘘じゃない」

「今年の春、私に結婚したいって言ったの覚えてる?」

「うん」

約束守れる?」

「うん。自活できるようになったら迎えにいく」

「じゃまだからやめた方がいいよ」

邪魔じゃない」

「じゃまだよ」

「俺と結婚するの嫌?」

「ううん。  くんと結婚したい」

「よかった。自分もっと信じて」

ありがとう団体戦がんばってね」

「俺の力だけだと、どうにもなんないけど笑」

「  くん。体がイタイ(>_<)」

大丈夫?」

「痛い(>_<) けどがんばれるかな」

「できるよ」

「呼吸も苦しい」

電話する?」

「できない。息ができない」

「今度の春休みに会いに行く」

「きてほしくないかも」

「なんで?」

「どうしても」

「  の気持ちはわかったけど、また帰省した時に行くから

「歩けるようになりたい」

「なれるよ。絶対

「なれるかな」

「うん」

ありがとうね」

「  。今、何をしたい?」

さわりたい」

「何に?」

「  くんに」

「俺も  にさわりたい」

「ほんとうに?」

「本当だよ」

先輩は自宅で亡くなった。先輩の両親は言わなかったけど、後に自殺だということがわかった。

その時分、大学三年生だった俺は、国内でも国際でも大きい大会があったから、お通夜にも葬儀にも行けなかった。納棺日に間に合わなかった。お骨も拾えなかった。

それから今に至るまで、本当に好きな人っていうのができたことはない。年齢を重ねることで、恋愛する能力が落ちているだけかもしれないが

墓参りはずっと行ってたけど、近年は行ってない。夢の中に先輩が出てきて、「もう来なくていいよ」と言われたのだ。夢の中だったけど、信じることにした。朝起きたら、涙が出ていた。

ありがとう先輩。先輩のこと覚えてる人間、俺が人類最後になれるよう祈っててほしい。

次です(最後

https://anond.hatelabo.jp/20241011192841

柔道選手の回想を聞いてほしい 3


最後公式戦(夏季大会)は印象に残っている。毎年、県内で一番立派な総合体育館で行われる大会だった。梅雨時にある。

団体戦予選は、秋季大会と同じく4校によるリーグ戦だった。上位2校が決勝トーナメントに上がる。

当校の場合は、全国レベル高校と、それに準ずる高校と、平均レベル高校の3校での争いだった。前二者には、それぞれ0-5,0-4という散々な結果に終わった。T君は健闘して強豪校相手引き分けに持ち込んだし、ほかの選手一年前に比べたらずっといい試合をするようになっていた。

だが、勝負世界は厳しい。現実リアルビジネス世界でもそうなのだが、自分が成長しても、ほかのライバルもっと成長している。最後の三試合目は、確か4-1で勝ったのかな。これで、T君の世代にとっての最後団体戦は終わった。各リーグで上位2校だけが勝ち抜いて、決勝トーナメント進出する。当校は第3位だった。これで、本当に終わったのだ。

翌日には団体戦決勝トーナメントがあって、うちの学校と同じ市内のところが優勝した。N君が所属する学校だった。広島県は、伝統的に野球柔道が強い。サッカーもそれなりである

大体のスポーツ広島市にある学校県内最強なのだが、柔道場合は、広島市福山市にある高校県内二強である。いずれも全国に通用する実力を有していた。



記憶に残っている試合の話をする。その翌週には個人戦部門があった。各階級に分かれて戦い、優勝者全国大会に出場する。T君は、81kg級で出場した。

1回戦は、尾道にある高校選手と当たった。確か、今年放送アニメ『ぽんのみち』の舞台の近所にある学校である。俺は、第一試合が始まる前にT君の打込練習に付き合っていた。体を温めておくのだ。体を超動かすスポーツ場合は、事前のウォーミングアップが欠かせない。無論ハードモードである

T君の試合が始まる直前だった。

「勝つとか、負けるとか考えるな。試合邪魔だ。柔道のことだけ考えろ」

と言った。T君は「やり切ってきます!」と言った。

やがてT君が呼ばれて、試合場の前と、開始線の前での二度の礼が終わった。

「始め!」

という審判の声とともに、相手と組み合った。練習で教えたとおり、大内刈りと小外掛けを繰り返しやっていく作戦を採っていた(T君は左利きの左組み。多くの場合ケンカつの組み手になる。鏡写しの組み姿勢)。彼の運動神経だと足技の威力は弱いのだが、技をかけ続けていれば指導は取られない。

相手が技を仕掛けてくると、T君は隙を見て――寝技の態勢に移行した。その時はたしか相手が低くしゃがんで投げる背負い投げに失敗したのかな。

すると、T君は相手に密着しつつ、真横に体重を預けるようにして、釣り手だけで送り襟締めを決めた(相手の背後から横襟を掴んで、手首の尺骨でグイっと頸動脈を圧迫する)。

相手がたまらず仰向けになったところで、両足を絡めた縦四方固めに移行すると、相手は全く動けずに25秒が経過した。一本勝ちである

よく、ここまで強くなったと思った。彼と出会った頃は、紐に巻かれたチャーシュー柔道をしているように思えた。あまりにボテボテとした動きで、才能がないのは明白だった。

だが、T君はここまで寝技を鍛えた。彼にとってのエクスカリバーだった。この頃の彼は、俺と寝技乱取りをしても1分以上は持ちこたえることがあった。

さて、次の試合だが……例の強豪校の子だった(N君)。T君と同じく高三で、改めて見るとスマートな体形だった。背丈はやはり185cmはある。あの細長い足から繰り出すカミソリのような内股で、T君は何度も吹っ飛ばされてきた。

おそらくこの時点で、すでに名門大学からスカウトを受けている(記憶によると、その後明治大学に進学している)。

試合が始まる直前、T君と最後の技の打ち込みをして、最後大内刈りで投げさせてやった。試合場に送り出す時、背後から彼の両肩に手を置いた。肩甲骨のあたりが1年前より逞しくなっている。そのまま、グイっと前に押し出すようにして闘魂を注入した。

試合前の二度の礼の最中、対戦者であるN君の表情を見た。高校三年生とは思えないほど大人びていた。歴戦の兵を見ているようである高校三年間をスポーツに捧げた者の目つきだった。子どもの頃から、数多くの試練を乗り越えてきたのだろう。こういう野獣の眼をしている若人は少ない。

試合場の外には、そのN君の学校の仲間と、あとは監督コーチ陣が控えていた。これといった表情はない。自分の教え子の初戦を観察するのは指導者の基本である。それだけだ。



実は、この時の試合ビデオ撮影している。映像は悪いのだが、できるだけ実況風に説明してみる。わからない単語があった場合は、とりあえずこちらの、

柔道チャンネル柔道用語https://www.judo-ch.jp/terms/

       柔道の技https://www.judo-ch.jp/technique/

をご覧になるといい。

別に不明単語表現があって気にしなくていい。読んでいるうちになんとかなる(と思われる)。以後、試合が終わるまでT君はTと表記する。N君はそのまま。紛らわしいからな。

さて、二度目の礼が終わった直後だった。試合場内ではTとN君が向き合っている。そして、審判が両者を確認する――試合開始の宣言があった。

「始めっ!」

Tは左組みで、N君は右組みだった。

N君は殴り抜くようにして釣り手を取ってきた。横襟のあたりだ。Tも相手の前襟を掴んだが、どこか心もとない。柔道力に差がありすぎて、まともに襟を掴めないのだ。厳しい印象の組み手だったが、後は引き手を握ることができれば……。

次の場面では、同じタイミングで袖を握り合った。中ほどの位置だった。相手ちょっと嫌がったかもしれない。かくして両者の組み手が完成する。ケンカつの組み手である

Tは大内刈りに入ろうとしたが、難しい様子だった。対戦相手と体力差があると、そもそも技のモーションに入ることすら難しい。両者、ジリジリと畳の上で移動を重ねていく。N君が技に入る様子はない。シード枠で第一戦目だった。慣らし運転という印象を受けた。

これは舐めプではない。トーナメントの初戦というのは、綺麗に勝って勢いをつけるものだ。何事も始まり大事である

重心移動を重ねていく両者。ここで、Tが小外掛け、そして大内刈りに入ったが……全く効いていない。もう一度リズムを取って、トン、という畳を蹴る音が聞こえた(ビデオ映像では聞こえないが、俺は確かに聞いた)。Tが足指の裏で畳を蹴り込んで、再度の大内刈りを放ったのである

今後はバッチリ効いていた。左腕で相手の肩を制していたのが大きい。ふくらはぎを刈り取られるようにして、N君が後ろに後退していく。数歩だけ後ろに下がったところで、技が解けて動きが膠着した。

Tは、そこから双手刈りに変化して、相手を押し込んで寝技に持っていこうとする――が、相手は両手を使ってTを上下に振って無効化した。Tの体が揺れている中、N君の大内刈りがしっかと掛かると、真後ろに倒されるのをどうにか我慢した。間合いを取ろうとしたが、遅かった。

N君は、Tの体を引き出して崩しつつ、股下に飛び込んでいた。全身を躍動させて、右脚でもってTの骨盤を跳ね上げた――内股、炸裂。

会場がどよめいた。それくらい、鮮やかな技の入りであることの証明だった。Tの身体が浮いている。が、まだ投げられてはいない。右足をケンケン状態にして抗っていた。歩幅のあるケンケンをしていた。

最後に、ダメ押しとばかり身を捨てたN君に巻き込まれる格好で、畳に落ちていく。

「……!」

主審動作は、会場全体の視線に応えるかのようだった。右腕を緩やかに振っている――ノーポイントだ。背中がついてないので当たり前だが。

会場の反応を気にする素振りもなく、それから寝技の攻防を見守っていた。Tが上からN君を攻め立てるが、「待て」がかかる。

次の組み手でもそうだった。お互いに十分な位置で組めているとは思うが、相手の圧に押されて、Tは身動きが取りにくい。N君は、けん制気味の大内刈りで攻めていた。タイミングを合わせて内股を狙っている。

ある瞬間だった――N君が内股を仕掛けた。すると、Tの動きがおかしかった。ジャンプするようにして真横に飛んだのだ。相手の振り上げた足がぶつかって、コロンと畳を転がった。背中がついている。

「技あり!」

N君にポイントが入った。背中はついていたが、勢いがなかった。

その後も厳しい展開が続いた。Tは相手とガッシリと組み合った後、てんで効かない大内刈りを繰り返していた。そして、N君はそれを上回る勢いで足技を仕掛けてくる。

Tは、それからも真横にジャンプするような動きをすることがあった。対するN君は、いい位置の組み手を取って大内刈りを仕掛けている。大内刈り→内股に繋げるのが狙いだ。

Tは正面から大内刈りを受けるも、後ろに飛んで腹ばいになって回避した。「待て」がかかった。その後、Tに指導(※ノーポイント)が与えられた。

「始め!」

ここで、N君が奥襟を掴もうとしてきた。奥襟というのは文字通り、横襟よりも奥になる。あなたが今着ている衣服で言うと襟首である

Tは抵抗を見せるも、最初は横襟を掴んでいた敵人の右手は、ついに奥襟に差し掛かった。Tは体を後ろに下げつつ……なんと、内股を放った!

N君の奥襟を取る力を利用しようとしたのだろう。ただ、懐には入れていたが全く効いていない。発想はよかったが、素の柔道力の違いがこういう所に出る。威力が無さすぎて、N君の方が戸惑っているように見えた。

今は、互いに横襟を握り合っている状態だ。ケンカ四つなのは変わりない。さっきとは、うって変わって静かだった。N君は小刻みに大内刈りを繰り返している。投げる気はない。けん制だ。Tも、何かを狙うかのように釣り手を小刻みに動かしている。

N君が、釣り手を下方向に絞ったかと思うと、Tの胸をいきなり突いた。一歩下がることになり、また前に踏み出そうとする。その時、Tの胸を小突くようにしてまた大内刈りを放った。Tは嫌がって、猫背気味に距離を突き離した。そして、背筋を真っ直ぐに戻した直後である――直立姿勢。一瞬の静止。

N君は脱力している。俺はつい、「あ……」と言った。技に入る準備ができている。もうダメだ。直観である

一瞬だった。N君は釣り手と引き手を利かせつつ、軸足としての左足で、Tの股下に飛び込んだ。体を密着させつつ、右足を高らかに振り抜いた――内股、一閃。

「技ありいいぃーーーーッ! ……抑え込みッッ!!」

審判の声が響いた。

彼らを視認すると……TがN君を横四方固めで抑え込んでいた! とともに湧いてきたのは、会場からのどよめきと、賛辞の拍手だった。

「なにしとる、N。まだ逃げられる! 右に回転せえ、手を、手を突っ込め!!」

N君の高校監督が、試合場の外から怒号交じりのアドバイスを送っていた。不完全ではあるものの、N君は確かに抑え込まれている。

何が起こったのか。一応、撮影したビデオ画面をベース説明すると……あの時、N君が振り上げた右足は、Tの身体を跳ね上げることな空振りし、宙をひと回り以上して畳に落ちていったのだ。返し技――内股すかしである

Tがやったのは、まず一番に跳ね上げられるであろう左足を、真後ろに隠して回避するという古典的な内股すかしだった。あとは、N君が内股を空振りして自らの威力で吹っ飛び、空中を一回転半して腹ばいで畳の上に落ちた。そして、Tが電光石火の早業で抑え込んだ。以上である

「てら、全力で体重乗せんだよ。あと半分、半分!」

 ※あと10秒抑え込んだら合わせて一本

気が付くと、横四方固めはガッシリ入っていた。N君の動きは著しく制限されている。しかし、彼も体力は相当ある方だ。寝技が解けないならばと、背筋で跳ねるのを繰り返すことで、徐々に移動して……試合場外への脱出成功した。

審判の「解けた!」の宣言の瞬間、試合場の端から抑え込みタイマーのブザー音が聞こえた。これは……!?

「待てー、待て……!」

審判の声は焦っていた。

開始線に戻った両者。ここで主審が、副審のところに行って協議を始めた。N君の学校監督コーチ陣は、ギラついた目で審判団を睨んでいた。タイマーを見ると、残り試合時間は1分半だった。

戻ってきた主審は、「技あり」のジェスチャーを取った後で、上方向に手を振った。ノーポイントに訂正する、という意味だ。

残念だった。あれは内股すかしだったが、投げ方は確かに変だった。N君が技に失敗して、自分で体勢をコントロールして腹ばいに落ちたようにも思えた。

正直、一本でもよかった。今の柔道では、スーパー一本といって、技の威力ありすぎて腹ばいに落ちた場合、一本になるルールがある。当時もその概念はあったが、ルールブックに明文化されているわけではなかった。

その後、併せて審判は、T君が寝技で抑え込んだことによる「技あり」の宣言をした。

「始め!」

N君は即座、猪突の勢いで駆けた。右手でTの奥襟を奪いに行こうとするが――パシン、という音がすると、なんとTが相手柔道着の背中を掴んでいた――奥襟の、さら真下の部分である

N君は、前傾姿勢になった。彼もTの奥襟を掴んではいるが、動きはない。静止している。

「なにをしよおる、はよう技に入れ!!」

相手校のコーチ狼狽していた。

わかっていない。N君は動かないんじゃない、動けないのだ。Tの腕力は本物だったようだ。

「ようだ」というのは、俺がTと乱取りしていて、背中を取らせたことは一度もないかである

体捌きも、総合的なパワーも、ありとあらゆるテクニックも、俺の方がずっと上だった。よって、奴のパワー(ベンチプレス160kg,背筋280kg以上)を体感する機会はなかった。

とにかく、N君は前傾姿勢のまま動けないでいる。その状況で、Tは不意に大外刈りに入った。N君のふくらはぎに刈り足が当たって、ケンケン状態で後ろに下がった。

Tが大外刈りをやめると、すぐさま、今度は連続して内股に入るのだった。釣り手で背中を掴んだまま、大腰みたいにしてN君の体が浮いたが……やはり柔道力が足りない。そのまま両者、畳に沈み込んだ。

いや、違う! Tはこれを、寝技を狙っていた。寝姿勢に入った途端、N君の片腕を取りつつ、巻き込むようにして後ろ袈裟固めに入ろうとする。N君はさらに体を転がして回避した。防御姿勢になる。

Tは亀状態になったN君の上に乗ると、帯を掴んだ。すると、体を捨てる重心移動によって亀状態をひっくり返した。そのまま縦四方固めに持っていこうとする。

再び、N君は腹ばいになって逃れるも、ここでTは――中腰の姿勢になり、両腕で相手柔道衣を握った。胴衣の腕の部分と、下袴の太腿部分をそれぞれ握っていた。そのまま、立ち上がってN君を両手で宙づりにすると――畳の上にゴロンとひっくり返した。

「抑え込み!」

タイマーカウントが始まるが、抑え込んで十秒もしないうちに解かれてしまった。試合の残り時間は、あと30秒ほどだ。

いい作戦だった。まともに立ち技勝負してN君に勝てるはずがない。先ほどの背中を掴んだ組み手は本当によかった。寝技にもっていくための算段のひとつである背中を掴んだ後は、なんやかんやで相手を動かし続ければいい。

背中を掴むのに成功してからは、立ち技ガンガン打って、早々に寝技に引き込んで、審判の「待て」がかからないように動きまくるのだ。それで時間を稼ぐ。

彼は、これを狙っていたのか。作戦だったのか? そんなことは……あるかもしれない。まぐれはこんなに続かない。彼の脳裏にこの流れがあったのだ。

主審は、選手2人が開始線の前に立つと、柔道衣の乱れを直すようポーズを取った。

そして、N君に対して指導を与えた。一瞬、彼の表情を見たが、恐れを感じていた。眉のあたりが強張っている。恐怖を感じる時の表情だ。これから自分がどうなるかわからない、そういう恐怖を感じている。

会場がどよめいていた。大番狂わせのニオイを感じ取っている。

「始め!」

N君は脱兎のごとく、Tの奥襟を取った。対するTが背中に手を回すよりも早く、伝家の宝刀、内股に入った――不十分な組み手だったが、Tの股下に入った足がガッシリ効いている。浮かないようにするだけで精いっぱいだった。

「ヤアァァーーーーーーーーーーッ!!」

N君は咆哮を上げつつ、内股から大内刈りに変化した。自分の後ろに投げる技から、前に投げる技への連続――完璧タイミングだった。

「終わった……?」と思ったその瞬間、Tは自らの体をコマのように回転させて、腹ばいになって畳に落ちた。寝姿勢で向き合って、怒涛の勢いでN君を組み敷いたかと思うと、縦四方固め……? いや、違う。それはフェイントであり、腕がらみ(アームロック)を極めようとしていた。審判が真上から様子を見ている。関節技が極まるか極まらいか、際どい局面だった。

刻一刻と、時間が経過していく……Tの作戦が功を奏したのだ――試合終了のブザーが鳴った。

「それまで!」

ここまで四分。実時間で約十分。お互いによく戦った。ポイントは同点である。この場合は、主審×1と副審×2による旗判定で勝敗を決する。

試合用のタイマーが置いてある長机から審判員が手慣れた動作紅白旗を取った。元の位置まで戻ると、主審は、副審を見やってアイコンタクトを取った。全員、どちらに旗を上げるか決まったようだ。N君が赤旗で、Tが白旗だった。

紅白2本の旗を手前に持ち上げる審判員――白い旗が2本だとTの勝ちである。会場の一角は、静かだった。かくいう俺も心臓バクバクだった。僅かな時間のはずなのに、長く感じられる。

「判定ッ!」

赤2本、白1本という事実を確かめ主審は、溜め息を吐きながら白い旗を仕舞うと――N君の方に勝利の手を掲げた。

この試合を見ていた観客は、ほぼ全員が選手2人に拍手喝采を送っていた。スタンディングオベーションである。いい試合だった。勝ち負けとかどうでもよくて、とにかくいい試合だった。

俺はしばらく其処に立っていたが、T君の後を追いかけてトイレの方に向かった。

次です

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柔道選手の回想を聞いてほしい 2


柔道部顧問になって二年目の話をする。

この年度の末で学校教諭を辞めている。ラストイヤーである。思えばあっという間だった。上の秋季大会の後も、大なり小なり大会があったが、目立つ成果はなかった。

実力というよりは、柔道部全体の精神力、やる気、気合いの問題だった。センスがありそうな子はいたが、『本気』になり切れない。なぜかはわからないが、若者特有の殺気に満ちた闘志というか、「目の前の相手を殺してやる」という滾(たぎ)りが見られない。

特に、格上相手に戦う場面がそうだった。勝つとか負けるとかじゃなく、全力でぶつかってみせようという気概を感じない。

そんな中で、T君はじわじわと実力を伸ばしていた。この頃だと、ベンチプレスは140kgを上げるようになっていた。

ベンチプレスの記録と柔道の強さは直接関係ない。念のため

柔道の動きはボテボテとした感じだったが、それでもサマになってきていた。高校から柔道を始めた関係で、高一の頃が特に弱かったらしい。当時は、毎日のように先輩や同級生から千切っては投げられていたという。

シゴキ以外にも、いろいろあったようである。当時の先輩連中からは相当イジられていたらしい。T君の同級生柔道部員が、確かこんな内容を回想していたっけ。



≪~練習時間中~≫

「おいチクビ。何を寝とる。はよ畳の上から立て!!」

「今、こいつに筋肉ドライバーしてやったら、首めっちゃ抑えて転がっとるしwwwww」

「いつまで畳で寝とんなや。早う起きんとチクビねじ切るどっ!」

「チクビ君さあ。今度の公式大会の時に、絶対シャイニングウィザードしてよ。武藤敬司好きなんやろ」

 ※本当にやって反則負けになったらしい

プロレス好きなんだって?これからダブル大外刈りするから付き合ってくれ」



彼が弱かった頃は、部内でもやられたい放題だったようだ。しかしこの頃、高三の手前になると、彼は部内で№1になりつつあった。皆、彼に一目置くようになっていた。当時、部のキャプテンだった100kg超級の子乱取りをしても吹っ飛ばされない。

それでも基本的には、いじられキャラだった。先輩からも後輩からもいじられていた。しかし、彼はどんな時でもリアクションを欠かさず、スマイルで彼らに応えていた。

そういえばT君は、毎日必ず昼休み柔道場に来て、一人で弁当を食べていたっけ。一人飯には理由がある。弁当を食べた後に、ヤツは筋トレを始めるのだ。ベンチプレスを始めとして、腹筋に、背筋に、あとは自転車ゴムチューブを柱に括り付けての打ち込み練習、あとはシャドー柔道か。さすがにカマキリ相手にしてないと思うが……。

休み柔道場に行った折、彼を何度も見ている。ベンチプレスが一番好みのようだった。自分自身が成長する実感とでも言えばいいのか、月ごとに最高記録が上がっていくのが面白かったのだろう。

柔道界の公式回答としては、高校生に器具を用いた本格的な筋トレをさせるべきじゃない。この時期(小中~高校生)は、技術に磨きをかける時期だ。ベンチプレスその他で測れる筋力は、試合ではそんなに使わない。柔道に本当に必要なパワーというのは、柔道をすることでしか身に付かない。すなわち組み手の練習とか、立技・寝技乱取りを通じてしか、そのスポーツ必要な『体力』は見に付かない。

しかし、T君には時間がない。彼にとっての柔道は、おそらく高校で終わりである時間がなさすぎる。だったら、ひたすら筋トレに励む道があってもいいんじゃないか。当時はそんなこと考えながら、昼休憩中のT君のトレーニング風景を眺めていた。



高三の四月時点で、彼の体重は約78kgだった。一年前はボンレスハムのような体形だったが、スマートになっていた。何より、当時のT君は部内で一番やる気があった。何事にも一生懸命だった。鍛えがいがある。

さて、高三最後公式戦は六月だった。ここまでには仕上げたい。幸い、四月にあった市内大会では、彼は5位入賞果たして大会出場を決めていた。順々決勝では、昨年の秋季大会で当たった強豪校の選手に内股で一本負け(空中一回転半させられた)だったが、そこから2回勝って5位になった。

それから大会までの約二か月、T君を鍛えまくった。

柔道場での立ち技乱取りでは、納得いくだけの投げを打てるまでひたすら稽古を続けた。T君に対し、組み手の位置自由にさせて、技も全部受けてやる。その代わりクオリティは一切妥協しない。俺が納得いくまで休憩すらさせない。

「おい、T。苦しくっても、苦しそうな顔すんな。相手にバレんぞ。ビビってるとな、わかんだよ。相手によ~!!」」

すると、唇を引き締めるようにしてT君は、距離を取ってこちらの様子を伺っている。

ああ、これは。技に入るのを狙ってるな。相手高校生だとすぐにわかる。

「技に入るのを狙うな。狙わなくていい。(お前の反射神経だと)無理だから!! とにかくたくさん、技をかけろ。連続しろ連続ちゃんと技は繋がるから。お前の感性でいいんだよ。考えるな、感覚でやれ」

実際、高校レベル試合だと技が下手くそでもいい。とにかく数。連続性が大事だ。

ただやはり、T君は運動神経が鈍いようで、へっぽこな大内刈りに小外掛けや、ボテボテとした払い腰しかできなかった。ヤツが俺に珍しく内股をしかけると、「ポフッ」という効果音とともにヤツが弾かれる。そんなレベルだった。素人未満である

「今のお前の柔道、ほかの選手乱取りやってるのと違うじゃん。俺用の柔道か~、そのへっぽこなのはよ~」

T君の柔道は、俺と乱取りしてる時はモードが違ってる。まるで、何かの専用の練習でもしてるようだった。

ヤツはまた内股をしかけてくるが、全然効いてない。運動神経とか、技に入る姿勢問題じゃなくて、組み手が下手くそ(≒柔道着の握る位置おかしい)なのだ。いいところを掴めてない。せっかく自由に組ませてるのに。

ただ、T君に組み手争いを教えるには、もうタイムオーバーである。「思いっきりイイと感じるところを掴め!」くらいしか教えていない。

だが、連続して技を掛け続ければ可能性が見えてくる。うまく相手が転がれば、彼が得意とする寝技に移行するラインも見えてくる。

ヤツと乱取りしている最中、よく檄を飛ばしたっけ。

「オーイ、てら。何止まってんだよ! 動け、動け。変数作れ。チャンスがないと思ってんの、お前だけだよ」

彼はヘロヘロになって大内刈りを放つのだが、俺に効くはずもなく。間隔を取って、釣り手と引き手(※柔道用語適当にググってほしい)を上下ブンブン振り回したなら、ジャイアントスイングみたいになって、T君が畳をゴロゴロ転がっていく。築地市場の床面を滑っていくマグロのようだった。

「オーイ、俺お前よりも軽いんやぞ。吹っ飛ばされてどうすんだよ」

T君が立ち上がると、顔が真っ赤になっていた。熱中症の人でもこうはならないだろう。それくらい真っ赤だったよ。

ゆっくりと俺に近づいてくると、釣り手の方でパンチするみたいに組み手を取ろうとしてきた。それを弾いて、逆に奥襟を取り返してやった。すると、ヤツも負けじと奥襟を取ってくる。

「力比べで俺に勝てるか」と思ったが、ヤツも結構強かった。睨み合ってたが、T君の耳が真っ赤になってるのを見た。

この頃になると、彼の耳は潰れていた。餃子耳というやつだ。努力の証である。大半の柔道選手餃子耳にならない。本気で寝技練習した証である

こんな光景を見ながら、ある漫画セリフを思い出していた。 技来静也が描いた漫画作品の、確かこの場面だったはず。



……呼吸(いき)を乱すなセスタス 恐怖心を意志の力ねじ伏せろ 怯えは判断(よみ)を狂わせる 恐れは疲労を増幅させ 病魔の如く五体を蝕む 眼を逸らすな! 敵の刃を見極めよ 胆力こそ防御の要だ 殺意と向き合う勇気を持て

拳闘暗黒伝セスタス 2巻より





T君に必要なのはこの心境だった。

だって中学生高校生の頃は、練習が恐ろしいことがあった。寝技最中に、殴られ、蹴られ、締め落とされ、「殺される」と思ったことが幾度となくある。だが、試練を乗り越えるだけの胆力を身に付けないことには、いつまで経っても二流以下である

こういう感覚は、今時のZ世代みたいなやつがあるじゃん。ああいう子達には伝わらないんだと思う。「○○が上手になりたい、強くなりたい」って? 本当にそうなりたいなら、命くらい投げうってみせろ。

2024年現在だって野球でもサッカーでも、バレーでもテニスでもゴルフでも、スケボーでもブレイキンでも、将棋だって囲碁だって、その道で超一流の奴はな、自分の命かけてその道を歩んでんだよ。

さて、T君との練習の続きである

立ち技が終わると、次は寝技だ。T君が強敵相手に勝とうと思ったらこしかない。それくらい、彼の運動神経絶望的だった。立ち技の才能がない。当時のT君が「生まれつき運動神経が切断されてるんです」と言ったら、信じたかもしれない。

柔道場の端にある、寝技乱取り開始を示すタイマー(ブザー)が鳴ると、俺はさっそく横四方固めでT君を押さえつけて、右拳の先を太ももに突き立てた。するとT君は痛がって、俺の腹を突いて逃れようとする。

「お前、俺に力で勝てんの、勝てんの? 勝てないでしょ!? 頭使わんと、ほら。前に教えたやろ? 逃げ方を……」

四方固めで抑え込まれ状態のT君は、腕をなんとか両者の間に差し込んで、背筋で跳ねて逃れようとした……それが正しいやり方だったら、そのまま逃がしてやる。それで、また瞬間的にヤツに覆いかぶさって、抑え込みに持っていくのだ。T君は逃げる。ひたすらそれを繰り返す。

俺の抑え込みから逃れたとしても、T君がこっちに向かってこず、亀の姿勢になろうとすると、すかさず両手で奴の柔道着の胴と太腿を掴んだ。

「よいしょっ」と持ち上げると、奴の体がひと時宙づりになった。そのままクルリとひっくり返して、横四方固めでまた抑え込んだ。今の選択はアウトだ、敵前逃亡である。この寝技練習では、攻撃行動以外は認めない。

寝技になると、T君がたまに覚醒する。俺の動きがわかってたみたいに、例えば、真上から抑え込もうとした俺の膝をピンポイントで蹴っ飛ばして、転がして、そのまま上に乗ってしまう。

俺は両足をヤツの足に絡めてガードするのだが、巧みに外して、抑え込みに持っていく――縦四方固めが完成した。

いいねいいねー!!」

こんな具合で、いい動きをした時には認めてやる。褒めるんじゃない、認めるのだ。そいつのパワー、気概、実力を。褒めるってのは、親が子どもにやるものだ。コーチ選手って対等な関係だろ。

T君は膂力(りょりょく。腕の力)があるうえに、寝技センスがあった。寝技というのは、ガッチリ決まると体力差に関係なく勝利できる。当時まだ20代半ばだった俺の体力はT君をはるかに上回っていたが、それでも抑え込みから脱出できないことがあった。

ただ、悲しいかな。彼にあるのは寝技だけだった。立ち技は本当にダメだった。まったく才能がなかった。

せっかくパワーがあるのに、釣り手で相手の奥襟や背中を掴むことは皆無であり、いつも前襟だった。運動神経がないから、せっかく神業的なタイミング大内刈りや払い腰に入ることができても、相手を投げるに至らない。遅すぎるのだ。

ただ、彼はよくやっていた。性格キャラクターはいじられ系芸人のそれだったけど、リアクションはよかったし、部員みんなから好かれる存在だった。そういう雰囲気をもった人間だった。



時期は半年ほど戻る。

いつぞやの試合でT君を内股で吹っ飛ばし名門校選手と、ラーメン屋で同席したことがある。T君と俺と、あの選手N君が一緒になったということは、おそらく試合の帰りだったのだろう。

あれは、福山駅の駅舎の外に入っているラーメン屋だった。名前は忘れた……なんとか吉だったはず。そこで、T君にラーメンをおごってやろうとして、カウンター席がいっぱいで4人掛けのテーブル席に通された。

そしたら、おかみさんが来て、「相席でもいいですか?」と言うのだ。それで待っていたら、N君ともう1人の柔道高校生が向かいテーブルに付いた。2on2の相席Styleである

そのN君だが、痩せ気味で精悍な顔つきをしていた。体形は相当細身で、背丈は185くらいか。T君と同じく81kg級選手である。もう1人は、100kg超級とおぼしき超アンコ体系の子だった。棟田選手以上の丸々とした感じだ。

2人とも、耳は完全に潰れていた。どちらも社会人に近しい貫禄があった。眼光が鋭い。スポーツ特待生で高校入るような奴って、雰囲気からして違ってる。

俺の耳もやはり潰れている、大学卒業して釈迦デビューするにあたり、手術で直すという選択肢もあったが、餃子耳の方がハクがつくと考えていた。T君の耳は、この時潰れかけだった。

会話、どんなだったかな。そうだ、N君がT君に話しかけてきたんだ。

それでT君も、ラーメンを待ちつつ水を飲んで彼と話をしてた。

思い出せる範囲だと、こんな会話だった。覚えてない箇所は端折っている。

「なあ、君。オレと試合したことない?」

「うん、あるある一年生の時と、こないだの秋の新人戦で」

「君さ、いつから柔道やってるの」

高校入ってやっとるよ」

「そうなんだ。やっぱりこの辺の学校は、そういう子が多いのかな」

わからんけど。N君はいから柔道しとんの?」

「4才から横浜で始めた。高校からこっち」

「えー、すごいやん」

「親に無理やり。両親とも柔道してて」

「それで、ここまで強くなれたんや。すごいね

努力たからな~」

「内股めっちゃすごいやん。カミソリみたい。サクッと相手が飛んでくよね。マジですごい」

伝家の宝刀な。あれだけは自信ある。けど、強いヤツは世の中にいっぱいいるし。俺もまだまだよ」

自分、N君には一生敵わないな。多分。こないだの試合、内股で空中5回転しとらんかった?」

「(テーブルを叩きながら)してた、してた!! なあ~」

 ※隣の高校生が関心なさそうに頷いていた

もっと勢いが強かったら、会場の窓ガラスを突き破って護国神社に落ちとったよ」

ハハハハ、お前、面白いな~!!」

「え~、うそ~。そんなに面白い?」

このあたりで、俺のイラつきを察したのか、N君の隣の高校生が彼を小突いた。

「T君さ。今度オレと試合するのいつになるかな」

「冬に県に繋がる個人戦がなかった?」

「それ、無差別級だけだろ。あの大会は、ベスト8までは全部うちの高校が占めるし、そこまで登ってこられる? それにベスト8が決まったら、例年それで市大会は終わり。解散。1位から8位の順位はうちの監督が決める」

「えー、そういう仕組みなん?」

ここで、隣の高校生がN君の肩を叩いた。

「そう、そういう仕組みな。次の試合は春しかない。あと1回だけのチャンス」

「うん、当たるの楽しみにしてる」

「言ったな!? 次に試合する時は、空中8回転だから

「そんなんされたら、自分死ぬし!! ボンレスハムだし、チャーシューだし、畳をバウンドちゃうよ」

「楽しみにしてる」

ここらへんの場面で注文したラーメンがきた。それで、あとは皆黙々とラーメンとか餃子を食べて、解散した。

あの店は、とんこつラーメンアレンジ系が美味かった。当時はよく利用してた。もう軽く十年以上は行ってない。残りの人生で行くこともないのかもしれない。

※書いてるうちに思い出した。福山駅前の八十吉ラーメンである

ただ、あの頃のT君とは、できれば一緒に行きたくないな。財布的な意味で、

当時、たまに2人きりでご飯をおごってやることがあったけど、あいつ、ラーメン替え玉4杯+チャーハンから揚げ+餃子5人前とか食べ切っててビビったわ……食欲が凄まじい。ラーメンが4杯で終わりなのは、その頃にはスープが無くなるからだ。

俺はその半分しか食えなかった。食欲においては、完全に俺の負けである事実だ。認めるしかない。

そんなこんなで、最後公式戦までの日々は風のように過ぎていった。



この匿名ダイアリーを書くにあたり、約二十年前の記憶を思い返している。正確じゃない部分はあろうけど、そこまで間違った内容でもないはず。一部ではあるが、当時の記録媒体を基にして書いてることもある。

あの日々は、けっこう幸せだった。柔道部の成績は悪かったけど、気合いが入った部員も出てきていた。そういえば、あの時そういう行為をした女子マネージャー(妹)も、あれから特にトラブルはなかった。これまでどおりの、柔道部顧問マネージャー関係だった。いや……ごく稀にプライベートで会うことがあったか

何度か変なことがあった。双子の姉の方と柔道場の入口で談笑してると、妹の方がやってきて一緒に話に入ったのだ。不自然タイミングで。無理やりに近い。それは、姉じゃないもう一人のマネージャーと話してる時もそうだった。

ちなみに姉の方は、マネ子に比べると若干明るい性格だった。俺ともT君ともほかの部員とも仲良くやってた。天性のコミュニケーション能力があるタイプだった。底抜けに明るいわけじゃないけど、不思議安心感のある、温かみのあるキャラクターだった。

マネ子の態度は、上記を除いては普通だった。何か月かに一度は、俺も含めた部員みんなにお菓子を作ってくれたし、バレンタインデーには手作りチョコレートくれたし、大会前には率先して雑用を命じてほしいと志願したし、俺の誕生日ネクタイピンをくれたこともある。

私学だし、まあいいかと思ってもらってた。あの子の財布は大丈夫かなと思ったが、月のお小遣いが一万円と聞いて納得した。友達と遊びに行く時などは、母親から別途お金がもらえるらしい。医者の娘は違うな……と、月四千円の小遣いで寮暮らしをしていた高校時代に想いを馳せたっけ。

別に、妹の方とまたセックスしたいとは思わなかった。「したい」という欲求はあったけど、でも教師としての責任感が勝ったのだ。 訂正;間違った記憶だった

ただ、俺という人間は、やはり異常だったと思う。ちょっと性欲が強いのは間違いない。そちらの方には正直だった。あとは~~子どもの頃に柔道陸上をしてたのだが、絶対にうまくなりたい! という情念が強くなりすぎて、体を痛めて指導者に怒られることがあった。夢や目標に対しては猪突猛進だった。

性欲、性欲……と、今思い返してみて、人としてよくなかったと思えるものを最低3つは思い出すことができた。ひとつだけ、あれはまだ5才か6才の時か。両親が忙しい家庭だったので、日常の世話は祖母が見てくれていた。いつも、祖母実妹と一緒に寝床についていた。

いつからだろうか。動機は定かではないが、まあ原初感情とでも言おうか。夜に寝床にいる時、暗闇の中で祖母と一緒に寝ている時に、祖母衣服を脱がせていた。「ねえ、ばあちゃん。服、服脱いで」と無邪気に笑って、祖母の服を脱がせていた。それで裸にする。

そして、お互いに裸になって、抱き合って布団の中で眠るのだ。抱き合うだけじゃなくて、ほかにも明らかに色々してたけど、やはり幼子とはいえ異常な行動だったと思う。

妹に対してもそうだった。妹に対しては、ほぼ毎日のように服を脱がせていた。妹は「いいよ」と言ったこともあったし、「いやだ」と言うこともあったけど、お構いなしに服を脱がせた。祖母が近くにいても関係なかった。とにかく脱がせて、納得いくまで裸で抱き合っていた。原初感情だった。

愚かなことだった。反省している。でも、あの時の感情は本物だった。あの時、まだ小学生ですらなかったけど、俺は「女を抱きたい」と確かにそう思っていた。リアルだった。

次です

https://anond.hatelabo.jp/20241011192839

柔道選手の回想を聞いてほしい 1


増田の人に聞いてほしいことがある。昔の記憶だ。

子どもの頃から俺はおかしかった。別に、変な子どもとか言われたことはない。むしろ褒められることの方が多かった。学校の成績はイマイチだったが、運動芸術の成績はよかった。

自己紹介必要最小限にしたい。今は四年制大学スポーツを教えてる。幼少期から柔道をやっていた。中学校全国大会で結果を出して、スポーツの名門高に進学して、同じく名門大学に進学して、卒業後はパチンコ機器メーカー入社(スポンサー契約)してプロになった。

柔道プロ制度はない。あくまで「それ」で食ってるという意味

それが、もう20年以上前だ。人生はあっという間である

回想を始めたい。パチンコメーカーの次の転職先を主題に据えて話をする。

新卒入社した、そのパチンコメーカーとの契約期間は3年だった。最終年度になると、次の道を考えないといけない。一応、次期も残れるだけの実績は出したものの、新しい、次のステージに挑戦しようと考えていた。柔道は、野球サッカーに比べると現役でいられる時間が少ない。体をたくさん動かす分、選手生命が短いのだ……。

当時は、全日本の強化選手(A指定)だった。合宿にはフルで参加していて、オリンピックに出場する連中とも交遊があった。あの頃は、井上康生全日本主将を務めていた。彼が不在の時は俺が副として動くこともあった。ウザいかもしれんが、ちょっとくらい自慢させてくれよ。こういう場で文章を書く機会は滅多にないんだから

※ところで、この日記はとても長い。ゆっくりまれることを推奨する。

次のステージについて悩んだ結果、選んだのは……学校先生だった。大学時代に保健体育教諭の免状を取っていた。いざという時に潰しが効くようにと、大学時代のコーチが勧めてくれた。今でも感謝してる。

どこの学校にしようか思案したところ、やはり地元がいいと思った。出身高校柔道部の監督相談したところ、広島県の東の端っこにある高等学校指導者を探しているということだった。

さっそく面談アポを取り付けてくれて、その高校の現監督と面会すると、すごく驚いてた。まさか強化選手高校教師転向するなんて思ってもみなかったんだろう。

トントン拍子に話は進んで、その翌年度から、俺はその高校の保健体育の教諭(兼柔道顧問)として赴任することになった。

指導者としてのミッションは『古豪復活』だった。その高等学校は、昭和40年代まではすべての体育会部活インターハイ活躍していた。

だが、『何か』があって進学校路線へと方針転換し、スポーツ推薦枠を徐々に減らしていったところ……平成に入る頃には、ほぼすべての部活が市内大会ですら勝てない状況になっていた。それでいて、進学校路線にも失敗していた(学内の最優秀者の進学先が広島大~関関同立くらい)。

そんな状況で、柔道部を立て直すのが俺に課せられたミッションだった。正直難しいと思われたが、チャレンジする価値はあると思っていた。



とまあ、そんな経過で柔道顧問としてキャリアスタートを切ったものの、部内はひどい状況だった。柔道部も地区大会まりとは聞いていたが、冗談抜きでレベルが低かった。心・技・体以前の問題である

部員の多くが高校から柔道を始めていたし、運動センスが抜群の子はいなかった。そして、柔道の何を教えても、どれだけ丁寧に教えてもダメだった。心構えは、まあいいよ。徐々にハートを鍛えていけばいい。ただまず、基礎体力の時点で問題があった。

例として、ベンチプレスだと80kgを上げられる子が1人しかいなかった(それは乳首が大きい子で、皆からあだ名苗字2字分+チクビだった。当時は高二)。ほかの子は概ね40~60kgといったところか。マトモな高校選手であれば、体重70kgくらいの子でも……ベンチ100kgは難しくとも、訓練すれば半年以内に達成できる。

800m走にしてもそうだ。なんと、150秒を切れる子が1人もいなかった。ゼロである(参考までに、当時26だった俺の記録がほぼ130秒。高校の頃は118秒がベスト)。

こんな状況で、この部員達約15名(+女子マネ3人)を、最低でも中国大会まで導かねばならないという……正直、難しかった。柔道プロとして言わせてもらうと、不可能に近い。

難しいのはそれだけじゃない。どれだけ心構えを説いても伝わらなかった。なんというか、やる気とかいレベル以前に、人としての器量というか……そういうのが圧倒的に足りてない。

困難な物事でも、ひとまず取り組んでみるとか、目標達成のために努力を積み重ねるとか、そういう志をもって挑んだ経験がないのでは? と感じるような子ばかりだった。

柔道の子だけじゃない。学校全体でそうだった。本校は、「中高一貫教育により、6年間を通して自ら考え、自ら動き、目標へと達するだけの力を陶冶できる人間を育てる――」と入学パンフレットで謳っていた。そんな生徒は皆無だった。惜しい子はいたのだが。

校則は厳しかった気がする。月イチの全校集会の後、生徒らが体育館前でクラス単位で並ばされて、髪型制服など、生徒指導担当教師陣が細かいチェックを行う。俺の出身校も、服装マナーは厳しい方だったが、ここまでではなかった。

こちらの高等学校偏差値は、40~45くらいだった。そこまで高い方ではないが、かくいう俺も、中学高校テストは平均50点未満しか取れなかった。里香なんかは14点だったこともある。国語濃緑濃緑すら怪しかった……。

柔道青春を捧げていた。それ以外はどうでもよかった。勉強の成績は最低だったけど、高校大学も、ほかのスポーツ特待生と一緒に先生方の温情で卒業させてもらった。

でも、確かにバカだったけどさ。当時、柔道関係書籍は年に五冊以上は読んでたし、毎月発行の『近代柔道だって、全ページの隅々まで目を通してた。

何が言いたいかというと、向上心である。たとえ下手くそでも、誰かに馬鹿にされようと、負けまくったとしても、そんなの関係ない。もっと上に行きたい、勝ちたいという気持ち向上心がない若者未来なんてあるか。

俺は油断していた。百年以上もの伝統がある高等学校だったら、多くの生徒はきっとポテンシャルがあるに違いないと高を括っていた。見通しが甘かった。

それでも一生懸命に教え続けた。暖簾に腕押しだったけど。指導を続けたのだ。怒りを我慢する場面は多くあった。指導者として悔しい思いもした。

当然、結果は出せなかった。他校との合同練習も、ローカル大会公式大会の結果も散々だった。おおよそ、彼ら柔道部員はこんな調子だった。

試合の度に勝敗分析シートを作るよう求めたが、半数は作らない

・提出があっても、ほとんどが小学生中学レベル

・合同練習では中学生に普通に負ける

公式大会直前の練習に来るのは部員の6割

テスト間中柔道場に基礎トレに来るのは1人だけ

 ※ベンチプレス80kgのチクビの子最後設備の測定限界の160kgまでいった。

  彼は柔道ではなくウェイトリフティングの道を歩むべきだった。

俺のストレス有頂天だった。我慢できないところまで来ていた。

なぜ、こいつらはやる気がないのだろうか。成績がいいとか、地頭があるとか、機転が利くとか、そういう能力の話ではなくて――"生きる力"とでも言えばいいのか。そういうのがなかった。



ストレスを抱えていた折、ついにやってしまった。あれは秋頃だったか。県大会があったのだ。高三が引退した後、最初にある十一月の新人大会だった。

大会は二日間あって、初日団体戦予選だったと記憶している。当校の成績はひどいものだった。リーグ戦があって、出場校が4校ずつに分かれて戦うのだが、普通に全敗だった。最初に戦った学校は、数年に一度は全国優勝者を出すほどのレベルだった。全員もれなく数十秒以内に瞬殺された。

チクビの子は、四十秒くらいは戦えていた。対戦相手は、彼と同じ高校二年生で、81kg級のスラッとした体形の選手だった。俺の記憶だと、ケンカ四つでガッチリと組み合った後、チクビの子バタバタ大内刈りをしかけた。全く効いてなかった。

その直後だった、内股で吹っ飛ばされていた。相手の右脚が彼の股下に入ったのを捉えた次の瞬間、その肉体が空中二回転半して畳にめり込んだ。

かに戦った2校も、全国レベルに準ずるところだった。そのうち1校は、毎年安定して県内ベスト4に入る伝統校だった。もうひとつは、偏差値70の私立高校で、全国有数の進学校である。なんと、この学校は週に2回しか柔道練習をしないらしい。それでいて、団体戦個人戦も、毎年ほぼ県内ベスト8に入る成績だった。

この2校には、当然コテンパンにやられた!……いいところがほとんどなかった。三部トーナメント行き確定である。一日目の全試合が終わった後、怒りの気持ち我慢しつつ部員全員に静かな檄を飛ばした。惨めな気分だった。

成果があったといえば、上のチクビの子(T君)が1回だけ勝った。体重相手の方が重かった(T君は当時85kg、相手は100kg級)。人生で初めての指導者としての喜びだった。

彼は寝技が得意だった――厳密には、運動神経が絶望的だったので寝技しか残ってなかった。寝技には運動神経は関係ない。ほぼ努力で上手になる道ができる。相手と密着している分、計算がしやすいのだ。立ち技だと、コンマ数秒の遅れで技の威力に変化が生じる。

毎日練習では、何度も何度も得意のパターンを繰り返した。俺が何回抑え込んでも、関節を極めても、締め技をかけても、決して諦めなかった。送り襟締めや袖車締めで落とした(※頸動脈の圧迫で意識がなくなる)回数は50回を超えている。

夏場にあった合同合宿だと、T君が他校の選手寝技で抑え込まれている時、竹刀背中や太腿を何十発もぶん殴ったっけ……「どうしてそこで力を抜くんやっ!?」と何度も指導した。

T君はそれに応えた。土中から這い出たばかりのカブトムシとか、成虫になろうとして藻掻いているハナムグリ芋虫みたいだった。精いっぱい、本気で動き回っていた。とにかく、妥協だけは絶対しないように教えた。

振り返ってみると、彼に柔道を教えていた期間は一年半もないんだな。たったそれだけである。ヤツは諦めなかった。妥協することはあったけど、俺の指導最後までついてきた。

そりゃあ、T君が情けない試合をした後だと、ブン殴ったことが何度もあったよ。鈍くさいし、柔道はボテボテしてるし、平々凡々の才能だった。でも、あいつはスゴイ奴だったよ。柔道を選んでなければ、別の道でインターハイに出ていたかもしれない。



さて。県大会一日目が終わって、部員一同は広島市にある古びたホステル宿泊することになっていた。ただ、女子マネ×3と引率教師である俺は別のホテルになった。

一応は、監督意見だった。この3人は一年生で、最初の泊まりなので配慮必要ということだった。最初宿泊が、あの年季が入ったボロホステルというのは、確かに……と俺も感じた。

女子マネ3人のうち、2人は双子だった。二卵性だから顔はそこまで似てない。お医者さんのご子息と聞いていた。このうち妹の方(マネ子とする)は、相当マジメな子だった。よく気が利くし、頭の回転が早いし、学業成績は最優秀である学内では清楚キャラで通っていた。実際、練習前には必ずお茶くみをしてくれる。

ほかの2人にしても、こんな弱小柔道部のマネージャーを半年も続けてる時点でひた向きだと思う。普通だったら辞めてるよ。半年間でほとんど勝ててないんだから。県大会個人戦だって、誰一人として出場できなかった。

責任を感じていた。柔道部が結果を出せない原因は俺にだってある。それが申し訳なかった。それで、姉妹のうち妹の方だけ、俺の宿泊部屋に呼んで話をすることにした。

この不甲斐ない状況について話を聞いてみると、彼女も思うことがあるようだった。会話をしたのは数十分である

マネ子の意見

・たしか柔道部は勝ててない

・でも私たちが選んだ道だから。途中でやめない

・新入生への部活説明の時に、柔道部が一番楽しそうだった

私たちサポートできるところはぜんぶやりたい

先生が話を聞いてくれてうれしかった

マネ子は、半分涙を流していた。こんな子がマネージャーで本当によかった。

ところで、俺がいた高校柔道部は、全国でも上から数えた方が早かった。いわゆるガチのところである女子マネージャーなど存在しようがない。いや、男子校から本当に存在しようがないのだが。

気が付くと、マネ子の髪を撫でていた。それから何を思ったのだろうか、そのままグイっと彼女の頭を、俺の肩のあたりまで引き寄せた。変な雰囲気になってた。マネ子は無抵抗だった。左手で胸のところまで引き寄せると、暖かい感触があった。

の子の顎を右手の指先で持ち上げるようにして、キスをした。抵抗はなかった。ベッドの上に押し倒して、後は流れだった。体のいろんなところをキスしながら触っていったけど、本当に無抵抗だった。たまに、俺の肩を猫の手でちょんと押すくらいだった。そのままずっと、ペッティングみたいなことを続けた。

このくらいの年齢の子って、あんまり柔らかくはない。女の子はやわらかい、といった世間イメージは正しくはない。柔らかいのは大人の女性である未成年はそこまで柔らかくはない。

などと思いながら、ちょっとずつ服を脱がしていった。その時のマネ子は、体操服のような簡素恰好だったのを覚えている。すぐに脱げた。

胸は大きくない。でもきれいな形だと思った。お互い、完全に裸になる前に明かりを消した。それから、肢体のいろんなところに触れたり、舐めあったり、くすぐったりした。マネ子は、俺に合わせて動くこともあったし、微動だにしない時もあった。全体的に反応は微かだった。

ひどいことをしている認識はあったが、それでもセックスの相性はよかったと思う。彼女は、最初の方は緊張してたけど、少しずつほぐれてきて、会話をしても大丈夫になった。お互いに唇をすぐ近くまでもってきて、囁くように会話をした。

マネ子は気分が乗ってきたみたいで、行為最中にいろんなことを言ったり、いろんな体位をやってくれた。最後の方はイチャイチャとしていた。会話を思い出してみる。

「ねえ。せんせー。ゴム持ってます?」

「持ってる。財布の中」

「なんで持ってるんですか笑 彼女さんいるんですか?」

「いないよ」

「えー、だってH慣れてるじゃん」

「慣れてないよ。下手くそだろ」

「……ほんとですか?」

「うん、本当」

うそだー」

「本当だよ」

マネ子にまたキスをすると、態勢を変えて、ベッドの中で真上に乗っかった。

顔を近づけて、両手でマネ子の頬に軽く触れて、しばらくずっと舌を絡め続けていた。舌を抜いた時、彼女がまっすぐ延ばした舌先で唾液がうねるみたいに躍動した。それからマネ子にまっすぐに乗っかって行為をした。俺はマネ子を知ったのだ。

行為が終わると、この子は暗闇の中で俺の眼をずっと見つめていた。俺はそのままベッドを出て、もう一度、財布のところまで歩いていった……。



次の日の朝、初めてあの子を見たのはホテルの朝食をとるスペースだった。ビジネスホテルよりは少し立派なバイキング方式だったっけ。

マネ子は、別に何でもないって顔をしてた。当時の俺は若かった。罪悪感はそこまでなかった。マネ子は本当に普通の様子で、俺や、マネ子の姉とも普通に会話をしてた。

の子たちとの朝飯を済ませてから、サッとチェックアウトをして、みんなを(広島市内の実家から借りてきた)自家用車に載せて会場に向かった記憶がある。

大会二日目は、これまでの中で最大の成果だった。リーグ戦で全敗した関係で、三部トーナメント行きになったのだが、なんと……ここで優勝してしまったのだ!! 嘘ではない、事実だ。ノーシードからきっちり4回勝って、優勝トロフィーを手にした。

T君が活躍したのもあるが、ほかの選手も本気で頑張っていた。あれだけ練習したというのに、リーグ戦での完全敗北が響いたのだろう。心に火がついたといっていい。三部トーナメントの出場校について、選手の半分ほどが白帯だったのもある。

柔道場合、一試合時間野球サッカーといった団体スポーツに比べて短い。試合必要なスペースも100㎡以下である。このように、各校の試合回数をできるだけ多くする配慮ができるのである

ここでいったん切る。

次です

https://anond.hatelabo.jp/20241011192838

anond:20241009212957

言っちゃ悪いが、お前が嫌いなのはゲーム努力」じゃないね

お前が嫌いなのは、ただの「負け」だね。自分で言っている。対人ゲームが嫌いだと。

努力せずに勝てるのが好きで、努力したけど負けるのが嫌いなんだよ。失敗したく無いんだろ? 

 

ゲームを下に見てるからだと自己分析してるけど、それは自分への言い訳で、事実とは違うだろうね。

だって、だったらゲーム以外で努力したのか? 受験勉強合格ランク以上を狙ったのか? スポーツ部活全国大会を目指したことは? 仕事で1位の成績を取るために頑張ったり? 音楽で今できない曲をできるまで毎日練習をしてるのか?

賭けていい。やっていない。身近だからゲームの話をしただけで、ゲーム以外に特筆するようなことは人生において何もしていない。

 

いや、別にいいんだよ。

負けるのが嫌だし勝つための努力は嫌だから競争に参加しない、それは普通のことだ。現代っ子だよ。リスク嫌い。コスパとかすぐ言う感じ。

ただ、下等か上等かで言えば、お前が下等で、ゲームであろうが努力してる奴が上等だ。恥ずかしい話だ。だからネットに、堂々とこんなことを書くんじゃない。

アンパンマンたいそうをネットに影響されて練習するも、

なんかむなしい…😟

2024-10-10

少子高齢化インフラ公共サービス破綻した30年後にもっと必要になるのは?

それは自衛力。要するに暴力

から今のうちに武器作って練習しといたほうがいいし、地域コミュニティの一員になって群れるようにした方がいい

関東近郊で住むなら千葉だね。千葉生産力があるし、暴力にも強い。

guitar proにグリッサンドがなかった

グリッサンド記号を入れようと思ったらなかった

スライドでやれということらしい

まあ、どの音からどの音まで滑らせるのか、みたいなのがグリッサンド記号だと指定できなない?か…

とりあえず、スライドで書いてみたけど、これはこれで違和感があるな…

いや、ググってみたら、グリッサンドで音指定できるみたいだな

なんでグリッサンド記号、入れられないんだろう…😟

ちなみに、なんでグリッサンド入力したいかというと、セーラームーンムーンライト伝説のアノ出だしでまず必要になったからです

練習として、知ってる曲、弾ける曲、の楽譜を作ってみよう、と思ったら、いきなりグリッサンドがないという…😟

そういえば、ベンチャーズのテケテケで降下するのは、楽譜でどう書いたらいいんだろうか…😟

anond:20241009203139

参考サイトありがとうございます!!

読みましたが音楽の成績2の私にはさっぱり^^;

理論理解するのはピアノより難しそう。

実は本も理論勉強が始まったところで知能が足りず投げ出してしまい、

簡単な曲(ハッピーバースデートゥーユー)を練習してます><

あと飽きてきたので簡単版TrueLOVEに挑戦しようとしてます(今のところFが無理そう)。

本当は理論理解してから曲に挑戦する方が良いんですかね?

anond:20241009200941

ガチ感謝です!

なんとなく理解出来た気がします。

パワーコードはまだ聞いたことが無いですが

取りあえずこのまま練習して良さそうなので安心しました。

ちなみに皆さんはギター教室とか通ったんですか?

それとも部活かかしら?

2024-10-09

anond:20241009214409

寝転がってるだけでいいから膣で快感を感じる必要はないよ

男が膣の中でイクのにトレーニング必要なのよ

トレーニングしてないとイケないから大抵の男は未成年のうちに同級生とかで練習するわけ

ゲームやってて、成長というもの意識した瞬間に楽しくなくなる。

格ゲーとかならまあ技術の向上を感じる瞬間とかがあるんだろうけど。それこそスポーツと並べてeスポーツなんて呼ぶ所以なんだろうし。

でもおれは対人ゲーム嫌いだからやらない。練習を積み重ねた上達の喜びを得るんなら、もっとゲーム以外の題材にぶつけたい。多分ゲームを下に見てるから。心を奥底から震わせてくれる度合いについてあんまり期待してないというか。

ゲームで遊ぶという体験にはもっと手軽な気晴らしや面白さを期待してる。

例えばモンハンやるとして、現状で一番の強敵をヒイコラ言いながら倒す。そいつから素材を剥ぎ取って、強力な武器を手に入れる。

これで強くなったと思うのも束の間、更に強い敵が現れる。せっかくの武器もすぐさま心許なくなる。

最初モンスターを狩る体験に夢中であんまり気付かないけど、それは次第にマンネリ化してくる。

すると、おれは何のためにモンスターを倒して何のために強くなってるんだろうと思えてくる。

半ば惰性で狩りを続けてるのはなぜなのか。

今ままではボタンを通じた操作をして、何らかの行動をすることそのものが楽しかったはずだ。

今は倒し、強くなり、また倒す中で、次第に自分相手インフレ化していく「成長」に楽しみを見出しているのかもしれない。

おれはその瞬間にクッキークリッカーを感じて楽しくなくなる。

この「成長」に快感を覚えてゲームをしているのだとしら、なんと賽の河原いたことか。人参を括り付けられたロバみたいだ。

縛りプレイかにあんまり楽しみを見いだせないし。まあそもそもゲームというか遊びそのものが縛りプレイではあるんだけど。

MGSだってステルス迷彩無限バンダナが欲しくなるのは、ステルスプレイで溜め込んだフラストレーションを好き放題やって解き放ちたいからだ。少なくともおれはそう。

それなのに、それを手に入れるには今まで以上の高度なステルスプレイ要求されたりする。PWかTPPは確かそうだった。

なんという倒錯か。手に入れる頃にはそんなアイテムがなくてもさほど問題なくなってる。意味ねえじゃねえか。

暴れまわるのはご褒美の余興でしかないということか。まあ最初からチート無双したらゲームなんて面白くないとか言う人おるけど。おれはあんまそうは思わん。ひとしきり好き放題やって飽きたらまた制約をつければいいだけなんだし。

anond:20241009201734

傾向としては初心者カポタストを使うことが多いです。

以下に、その批判根拠を挙げてみましょう:

1. 技術的な制限回避

初心者は難しいコードや転調を避けるためにカポタスト使用することが多いです。プロは通常、様々なキーコードフォーム習得しているため、カポタストなしでも対応できます

2. 練習代替

カポタストを使うことで、異なるキーでの練習機会を逃してしま可能性があります初心者はこの便利さに頼りがちですが、プロは様々なキー練習を重ねています

3. 音楽理論理解不足

カポタストを使うことで、キーコード進行の理解を深める機会を失う可能性がありますプロは通常、これらの理論を十分に理解しています

4. 演奏の柔軟性の制限

カポタストに頼りすぎると、即興演奏や急な変更に対応する能力制限される可能性がありますプロは通常、このような状況にも柔軟に対応できます

5. 楽器特性活用不足

カポタスト使用すると、ギター全音域や開放弦の響きを十分に活用できない場合がありますプロはこれらの特性を最大限に活かすことができます

結論として、カポタストは確かに有用ツールですが、初心者がその便利さに頼りすぎる傾向がありますプロ使用限定的で、特定目的がある場合使用することが多いと言えるでしょう。

anond:20241009104004

元増田だけど、んで結局

①例えば1フレット目の2弦から押さえるCコード別に普通なの?

②あと音楽番組だと真ん中へんを弾いてるけど、あれはエレキアコギとかの違いなんやろか?

目線が遠いからできれば近くのフレット使って練習したいんだけどなぁ

ホント初心者なのでカポは使いません(そもそもよく知らない)

イっちゃってる経営者の手前には逆方向にイっちゃってる社員がいる

自分会社経営者になり人を雇用することになって思うのは

ヤバイ社員20人に1人程度だけど確実にいるし入ってくる

そういう奴らの手綱を握るには、毒をもって毒を制すとしなければなかなか難しい

何度注意しても客に挨拶しないクソ社員には気狂い絶叫朝礼で挨拶練習させないといけないし

あの手この手でサボってくるクソ野郎に対しては監視カメラとskyseaとGPSマイクでがんじがらめに監視しないといけない

 

だって別にそんなことしたくないんだわ

でもそのぐらいしないと店員が客に挨拶しない店ができあがるし、サボリーマン給料払って倒産する会社なっちまうんだわ

おれもニコニコ楽しくみんな仲良く毎日を過ごしたいよ

誰か助けてくれよ

 

ちなみに、Youtubeとかで自称経営者採用面接のコツとか語ってるけど

「人をよく見て社風に合わない人は絶対採用しないようにしていますニコッ」とかは絶対に嘘だと思う

人を穏便に叩き出すノウハウ確立されてるだけだと思う

anond:20241009094116

うん? お前、例え失敗してるで。

限られたスコープにしたのはお前側やん。

 

元々の増田「これステマになんとかならんのか?」

俺「ステマにはならんで。ざっくりAみたいな考え方で」

お前「ざっくりAじゃ間違いだろ。」

俺「まあざっくりでええじゃん。A’あるし」

お前「お前はステマをざっくり定義しすぎ」←notステマの話しかしてないないが?

お前「お前はスコープを狭くしている」←ざっくりさを否定したのお前だが???

 

たぶんお前の頭の中はそんな間違ってないんだろうけど、論理日本語にする練習しよう。

anond:20241009092334

「長期では(最終的には)正攻法練習した方が伸びる」という増田

批判側のスタンスで「一年マスター行くには違う」って言う感じ

ネットだとよくあるけどかなり不思議だよね

元の話と目標設定変えたらなんも繋がってないし、元増田も取りあえずはぼっといた方が勝てるって話は十分してるのに

anond:20241008071451

キンバリー使って、ぼったくり連携セットプレイの手札を増やし続けることでマスターまでなんとかあがった人間としては

相手の人が強くてまじめに戦ったら30%しか勝てないので、40%で勝てるであろう運ゲーします!みたいな発想になっちゃう。

まじめに30%を研究し続けていけば1か月後には45%勝てるようになってる。40%のほうはやり続けても40%のまま。

これは一部真実で一部間違いだと思う

ジャンケンの手札増やすことで勝率は上がる

けど、その伸びは正攻法の人より幅が少ないんだろうな

でも正攻法で伸びる人って、元々ゲームうま男なんだと思うんだよね

トレモのインパクト返し練習でも3割くらいしか返せない俺みたいな人間が、

1年続けても中パンからのヒット確認できない俺みたいな人間が、正攻法で挑んでいたらマスターになれただろうか

反復練習で精度を高めて、こういう時はこれやるって予め決めておいたセットプレイをやる

そういう戦力の高め方が自分には合っていたように思う

孫子兵法ってなんなん?

孫子兵法」を分かりやす説明してみるな!

孫子兵法(そんしのへいほう)」言うたら、昔の中国戦略書やねん。戦い方やけど、単なるケンカ戦争の話ちゃうで。ビジネスでも勉強でも役に立つ考え方やから、知っといて損はないんや!

勝つための基本の考え方

1. 戦わんでも勝つのが一番ええ

孫子は「戦わんでも相手に勝つんが一番賢い」言うてるねん。たとえば、クラス友達ケンカになりそうなとき、話し合ってお互い納得して解決できたら、それが一番やろ?無駄エネルギー使わんと済むし、相手との関係も壊れへん。

2. 自分を知って、相手も知る

自分を知り、相手を知れば百戦危うからず」っちゅう言葉があるんや。これは、自分の強みも弱みも、相手のこともよう知っとくことが大事やってことや。たとえばテストとき自分がどこが得意でどこが苦手か知って、そこをどうカバーするか考えることが大事やね。相手が難しい問題ばっか出す先生やったら、それに備えて勉強作戦を立てるんや。

3. 準備はちゃんとしとく

「兵は拙速を聞かず、巧遅を聞く」とか言うけど、これは準備をちゃんとしとかなあかんってことや。たとえば、部活試合でも、ちゃん練習てへんといざって時に力が出えへんやろ?準備不足やと、ほんまに勝つのは難しい。

戦う場所を選べ!

地の利を得る者は勝つ」言うて、戦う場所とかタイミングめっちゃ大事やねん。たとえば、走るのが得意な子がかけっこで勝ちやす場所を選ぶんは賢いやろ?逆に、自分が不利な場所勝負せなあかん時は、無理して戦わん方がええかもしれへん。

チームワークも大事や!

一丸となって戦うことが重要」ってのも、孫子の教えや。たとえば、クラスの発表会とか、みんながバラバラに動いたらうまくいかへんやん?でも、みんなで力合わせて作戦練ったら、いい結果が出やすいんよ。

まとめ

孫子兵法は、単に戦争で勝つためのもんちゃうねん。日常のいろんな場面でも使える考え方や!「無駄な争いは避けて」「自分相手ちゃん理解して」「準備はしっかりして」「タイミング場所を見極めて」「チームワークを大事にする」――これさえ頭に入れとけば、きっと学校生活友達関係でもうまくいくで!

2024-10-08

ユーフォ3期見たけど

オーディション結果に対する不満の部分で

自分努力不足を棚に上げて(以下略)」

そりゃお前は楽器自前だし、個人レッスン受けてるし、自宅でも練習できるからいいけどさあ・・・

真由も楽器もってるからそういう環境なのかね。

真由と久美子のサシのオーディション麗奈がわかってて引導渡すのもなかなかですよね

ストリートファイター6で弱キャラ使うことの不健全

anond:20241007040855

はてブ見てたら解説したくなったので書かせて。シーズン終盤のMRは1950くらい。テリーMR1800くらいまでいけた。

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ゲームやってない人って弱キャラで頑張るのかっこいいみたいな価値観あるよね。やってる側からすると弱キャラ使い本人以外が弱いキャラ使うの正当化してるの結構グロテスクに感じる。

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キャラで頑張るってのはゲーセン時代オンライン対戦が主流でなく友達と遊ぶのがメインだった時代の遊び方なんだよね。

昔は自分が強くなったらすぐに結果に表れた。相手が固定メンツから少しでも腕の差が出来たら10連勝だってざらだったでしょう。

んで相手が目の前にいる状況で強キャラ使って勝ち続けても何だか居心地悪いしじゃあちょっと弱いキャラでも使ってみるかってなるのは当然よね。

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でも今の時代は違う、今はランクマッチが主流だから自分が強くなったら相手も強くなる。賽の河原をずっとやり続けるような状態

めちゃくちゃく練習して寝る間も惜しんで調べものしてでも勝率はずっと50%

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キャラの強さ×プレイヤーの強さがランクなわけだ。

プレイヤーとして強い人が弱キャラ使ったらどうなる?ほかの強いとされるキャラ使いの中の人自分より下手な人と当たるわけよね。

自分より下手な相手だけどキャラ性能押し付けられたときは負けて相手の変な手癖見つけた時は勝てる。みたいなことも多くなる。

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たまに遊ぶ程度ならそういうのも楽しいと思うけど毎日毎日それを数時間やり続けるのつらいと思うよ。

キャラやりこんで俺だけが使ってるコンボ超反応で華麗に勝ちまくるなんてないんだよね。

攻略の遅かった昔とはゲームの取り組み方が違ってコンボセットプレイなんかの情報は知っててあたりまえ、そのうえでどこで差をつけるか?ってなってる。

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そもそもキャラはなんで弱キャラかっていうとやれることが少なかったりセオリー通り戦ったらずっと息苦しい戦いさせられるからキャラなんだよね。

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格ゲーってやってない人からみたら反射神経とかめちゃくちゃ必要そうに見えるよね?

でも実は反射神経はあまり関係ない読みあいが多いのよね。

特に一番展開の早そうに見えるであろう至近距離のやりとりとかはプロでも見てから反応してるわけじゃなくて、相手選択肢自分選択肢を整理してぶつけ合う感じのゲームポーカーみたいな感じ。あるいは高速なポケモンバトル。

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んでこの至近距離は完全対応することはできない人類平等からじゃんけんに例えられたりすることが多いんよね。

んでじゃんけんに持ち込むまでの過程だったり、いかに割のいいじゃんけんに持ち込むかってところで上手い下手が生まれる。

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で弱キャラは往々にしてこのじゃんけん周りが弱い。

から相手が知らない時だけ通用するじゃんけんになってないじゃんけん」や「もうどうしようもないか自分から不利なじゃんけんを仕掛ける」みたいなことを多用したりしないといけないわけね。

実はグーとチョキしか出せないじゃんけんになってないじゃんけんを仕掛けて「こいつなら知らないだろ」、「うまい人には通用しないけど頼む!」みたいな感じになる。

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もちろんこういう要素は強キャラにもあるんだけど、弱キャラにはこれしかない、みたいな場面が往々にして出てくる。

相手の人が強くてまじめに戦ったら30%しか勝てないので、40%で勝てるであろう運ゲーします!みたいな発想になっちゃう。

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40%勝てるならそっちが正解じゃんって思う?

でも30%のほうの選択肢はやり続けていけば上手くなって勝率あがるんだよね。

まじめに30%を研究し続けていけば1か月後には45%勝てるようになってる。40%のほうはやり続けても40%のまま。

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キャラは格上相手にまじめにやっても勝率40%です!運ゲーしても 勝率40%です!みたいな感じが多いか自然と上達できる方を頑張れるんだよね。

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もちろん「格上を倒す力」や「勝負強さ」みたいなのも必要なんだけど自力があっての隠し刀というか…

運ゲーギャンブルみたいな戦い方をしている人を否定する気は全くないんだけど毎日時間もやっている趣味だったら自然と「どうせなら強くなりたい」とかそういうモチベーションになってくる人が多いと思うんだよね。

ちょっと違うけどたまにやる趣味フットサルなら小学生みたいなわちゃわちゃゲームしてても楽しいだろうけど、毎日毎日練習してるのに何年も小学生サッカーやり続けるのはつらいみたいな。

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強い人だったら弱キャラ使ったりして遊びなよ!みたいなのはもうめちゃくちゃずれてると思う。現役でやってるひとでそんなこと言ってる人なかなか見ない。

強いキャラを強く使うのも実力だと思ってみんなやってる。世間的には弱いとされてるけど強いと思って使ってます!みたいな人はいるしそれで結果出せればそりゃかっこいいけどそれは本人は弱キャラだと思って使ってないしね。

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 勝率について

マスター勝率データを参照している人多かったけど公式の全体勝率を見てもキャラの強さはあまりからないよ。

マスター帯はイロレートってシステム採用していて適正レートになってから勝率は強キャラも弱キャラ50%近くに落ち着く。

直近の修正キャラ相性は変わったか?適正レートになるまでにやめる人がどれくらいいるか?とかサブキャラとしてお試しで使ってる人がどれくらいいるか?とかそういう要素のほうが大きい。

例えば超絶強いキャラがいたとして、そいつが弱体化されてそこそこ強いキャラになってしまったらその月の勝率50%を切る。そこそこ強いのに。もともとのレートよりは適正レートが下がるからね。

参考にしていいのはキャラ相性くらいかと思う。

デッキパーティー組む系のゲームなら勝率というか使用率がかなり参考になるだろうけど格ゲーバースシリーズみたいな参加人数少ないゲーム勝率はかなり条件に気を使わないと参考にならない。

ちなみにこんなに語っといてあれだけどスト6はキャラ差そこまでひどくはない。そしてザンギちょっと前まで準最強格で今でも普通に強い方のキャラです。

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