はてなキーワード: 整合とは
von Neumann-Morgenstern の期待効用理論は以下の公理に基づいています:
1. 完備性
2. 推移性
3. 連続性
4. 独立性
これらの公理を満たす選好関係は、期待効用関数 U: X → ℝ で表現できます。
確率空間 (Ω, F, P) 上で定義された確率変数 X を考えます。
定義: ∀ X, E[U(X)] ≤ U(E[X])
数学的特徴:
定義: ∀ X, E[U(X)] = U(E[X])
数学的特徴:
定義: ∀ X, E[U(X)] ≥ U(E[X])
数学的特徴:
Pratt-Arrow の枠組みを拡張し、高次のリスク選好を定義できます:
1. 慎重性 (Prudence): U'''(x) > 0
2. 気転 (Temperance): U''''(x) < 0
1. 一次確率優位 (FSD): ∀x, F(x) ≤ G(x)
2. 二次確率優位 (SSD): ∀x, ∫[F(t) - G(t)]dt ≤ 0
Machina (1982) の一般化された期待効用理論では、局所的効用関数 U(x;F) を導入し、非期待効用モデルを包含する枠組みを提供しています。
U(x₁, ..., xₙ) = f(U₁(x₁), ..., Uₙ(xₙ))
ここで、相互効用独立性や加法的独立性などの条件が重要になります。
動的プログラミングの文脈で、Bellman 方程式を用いてリスク選好の時間的一貫性を分析できます:
V(s) = max{U(c) + βE[V(s')]}
1. ランク依存期待効用理論 (Quiggin, 1982)
2. プロスペクト理論 (Kahneman & Tversky, 1979)
- 価値関数: v(x) = x^α if x ≥ 0; -λ(-x)^β if x < 0
拡張TQFTを理解するには、まず高次圏論の概念が不可欠です。
1. n-圏の定義:
- 0-圏: 通常の集合
- 1-圏: 通常の圏
- 2-圏: 対象、1-射、2-射を持つ
- n-圏: n次までの高次射を持つ構造
2. 弱n-圏と強n-圏:
- 強n-圏: これらの性質が等式で成り立つ
3. ∞-圏:
- すべての次数の射を持つ圏
コボルディズムn-圏 Cob(n) は拡張TQFTの中心的な概念です。
1. 構造:
- k-射 (k > 1): (k-1)-射の間の同型類
2. 合成則:
- 垂直合成: 異なる次元の射の合成
- 水平合成: 同じ次元の射の並列配置
Z: Cob(n) → nVec
ここで、nVec は n-ベクトル空間の圏(または高次圏)です。
1. 単位元の保存:
Z(∅) = C(複素数体)
Z(M ⊔ N) ≅ Z(M) ⊗ Z(N)
3. 向きの反転との整合性:
Z(-M) ≅ Z(M)*(双対空間)
5. 高次構造の保存:
k-射の合成が保存される
1. 入力:
2. 構成手順:
- 2次元閉多様体 Σ に対して: Z(Σ) = Hom(1, F(Σ))
ここで F(Σ) は Σ 上の C-彩色された骨格から得られる対象
- 3次元コボルディズム M に対して: Z(M) は M の C-彩色された骨格分解から定義
3. 不変性の証明:
Pachner移動に関する不変性を示す
1. 入力:
球状融合圏 C
2. 構成手順:
- 3次元閉多様体 M に対して: Z(M) = ∑_T w(T)
ここで T は M の三角形分割、w(T) は C を用いて定義される重み
- 4次元コボルディズム W に対して: 同様の和を W の三角形分割上で定義
3. 4次元不変量:
得られる不変量は Donaldson 不変量と関連
1. 定義:
すべての次元(n, n-1, ..., 0)の多様体に代数的対象を割り当てる
2. Cobordism 仮説:
1. 定義:
2. 性質:
- Künneth 公式を満たす
- 位相的不変量を与える
3. 例:
Khovanov ホモロジー、Heegaard-Floer ホモロジー
2. 量子不変量との関係:
Jones 多項式、HOMFLY 多項式などの量子不変量を TQFT の文脈で解釈
3. Witten-Reshetikhin-Turaev 不変量:
Chern-Simons 理論から導かれる3次元多様体の不変量
4. 量子計算への応用:
ChatGpt: この文章は、現実生活で失望に沈む人物が、自身の性格の原因を求め、そこに抗えない自分自身を嘲笑して精神を安定させようとする典型的なパターンを示しています。
文の端々からは、書き手が不本意に"辛い仕事"に就いているか、もしくは無職である等、自身の職業について思い通りになっていない様子が見てとれるため、この点がストレスの主原因と考えられます。
書き手は、ストレスを生み出す要因、つまり自身の欲求と現実の不整合の責任を、自身の生育環境に見出しています。しかし同時に、"たかだかマーチ卒くらいでどうして夢見てしまうのか。" 以降の文には、自覚があってなお、欲求を変えられない自分自身への失望と嘲笑が表現されています。
興味深いことに、この構造は一種の循環論法を示しています。例示すると、自身を脆弱に育てた家庭や環境が悪い→それを自覚してなお克服できない自分が悪い→そのような能力を持てないように育てた家庭や環境が悪い……とループしていきます。
M理論の幾何学を最も抽象的かつ厳密に記述するには、圏論的アプローチが不可欠でござる。
M理論の幾何学的構造は、三角圏の枠組みで捉えることができるのでござる。特に、カラビ・ヤウ多様体 X の導来圏 D⁰(Coh(X)) が中心的役割を果たすのでござる。
定義:D⁰(Coh(X)) は連接層の有界導来圏であり、以下の性質を持つのでござる:
1. 対象:連接層の複体
この圏上で、Fourier-向井変換 Φ: D⁰(Coh(X)) → D⁰(Coh(X̂)) が定義され、これがミラー対称性の数学的基礎となるのでござる。
2. 各対の対象 X,Y に対する次数付きベクトル空間 hom𝒜(X,Y)
3. 次数 2-n の演算 mₙ: hom𝒜(Xₙ₋₁,Xₙ) ⊗ ⋯ ⊗ hom𝒜(X₀,X₁) → hom𝒜(X₀,Xₙ)
これらは以下のA∞関係式を満たすのでござる:
∑ᵣ₊ₛ₊ₜ₌ₙ (-1)ʳ⁺ˢᵗ mᵣ₊₁₊ₜ(1⊗ʳ ⊗ mₛ ⊗ 1⊗ᵗ) = 0
この構造は、Fukaya圏の基礎となり、シンプレクティック幾何学とM理論を結びつけるのでござる。
M理論の完全な幾何学的記述には、高次圏論、特に(∞,1)-圏が必要でござる。
定義:(∞,1)-圏 C は以下の要素で構成されるのでござる:
2. 各対の対象 x,y に対する写像空間 MapC(x,y)(これも∞-グルーポイド)
3. 合成則 MapC(y,z) × MapC(x,y) → MapC(x,z)(これはホモトピー整合的)
この構造により、M理論における高次ゲージ変換や高次対称性を厳密に扱うことが可能になるのでござる。
M理論の幾何学は、導来代数幾何学の枠組みでより深く理解できるのでござる。
定義:導来スタック X は、以下の関手として定義されるのでござる:
X: CAlg𝔻 → sSet
ここで、CAlg𝔻 は単体的可換環の∞-圏、sSet は単体的集合の∞-圏でござる。
この枠組みにおいて、M理論のモジュライ空間は導来スタックとして記述され、その特異性や高次構造を厳密に扱うことが可能になるのでござる。
M理論の幾何学的側面は、量子コホモロジー環 QH*(X) を通じて深く理解されるのでござる。
定義:QH*(X) = H*(X) ⊗ ℂ[[q]] で、積構造は以下で与えられるのでござる:
α *q β = ∑A∈H₂(X,ℤ) (α *A β) qᴬ
ここで、*A はGromov-Witten不変量によって定義される積でござる:
α *A β = ∑γ ⟨α, β, γ∨⟩₀,₃,A γ
数学の世界には無限の可能性が広がっている。無数のパターンやそれらに隠された法則。
三人の応用数学者が、自分の全霊魂を賭けてある難問に挑んでいる。
ドミニク・シュタイナーはベルリンの研究室で、論理的な一連の方程式を前にしていた。彼は数学が絶対的な真理を解き明かすものであり、そこには一切の曖昧さが許されないと信じていた。数式は純粋であり、その解は厳密でなければならない。
その日、彼のデスクに届いた論文は、アレクサンドラ・イワノフからのものだった。彼女はロシアの数学者で、非線形ダイナミクスを用いた社会変革のモデルを研究している。ドミニクはその論文に目を通し、数式の整合性や論理性を冷静に評価した。
パリでの国際数学会議で、ドミニクは自身の研究成果を発表した。壇上に立ち、彼は無駄のない言葉で論理の精緻さを示す数式の力を説明した。彼の発表は冷静であり、数学的な厳密さに基づいていた。聴衆は静かに耳を傾け、数学の普遍性に魅了されているようだった。
発表が終わると、アレクサンドラ・イワノフが手を挙げた。彼女は冷静に質問を始めた。
「シュタイナー教授、あなたの理論は数理的に整合していますが、社会の複雑な相互作用を完全に捉えているでしょうか?非線形ダイナミクスを適用することで、社会変革の予測可能性が高まると考えられませんか?」
ドミニクは一瞬考え、冷静に答えた。
「イワノフ教授、非線形方程式は確かに複雑系の挙動を捉えるには有効かもしれませんが、その安定性が保証されていない場合、結果は信頼できません。数学の役割は、ランダム性を排除し、真理を探求することです。過剰に変数を導入することで、モデルの頑健性が失われるリスクがあります。」
「そのリスクは承知していますが、社会変革は非線形な過程であり、そこにこそ数学の力を発揮する余地があると考えます。複雑系の理論に基づくシミュレーションによって、より現実に即したモデルが構築できるのではないでしょうか?」
ドミニクは彼女の意見に静かに耳を傾けた後、言葉を選びながら答えた。
「社会変革が非線形であるという見解は理解できますが、モデルの複雑性を高めることが必ずしも精度の向上を意味するわけではありません。安定した予測を行うためには、シンプルで確定的なモデルが必要です。」
「シュタイナー教授、イワノフ教授、両方のアプローチにはそれぞれの強みがありますが、私は数学的美学の観点から異なる提案をさせていただきます。リーマン幾何や複素解析の観点から、数式が持つ内在的な対称性やエレガンスは、解が収束するかどうかの指標となる可能性があります。特に、複素平面上での調和関数の性質を用いることで、社会変革のような複雑なシステムでも、特定のパターンや法則が見出せるかもしれません。」
「タカハシ教授、あなたの視点は興味深いものです。調和関数の性質が社会変革にどのように適用できるのか、具体的な数理モデルを提示していただけますか?」
「例えば、調和関数を用いたポテンシャル理論に基づくモデルは、複雑系の中でも安定した解を導き出せる可能性があります。リーマン面上での解析を通じて、社会的変革の潜在的なエネルギーを視覚化し、それがどのように発展するかを追跡することができます。エネルギーの収束点が見えるなら、それが社会の安定点を示すかもしれません。」
「そのアプローチは確かに興味深いですが、実際の社会では多数の変数が絡み合い、単純なポテンシャル理論だけでは捉えきれない動きもあります。その点を考慮すると、複雑系のシミュレーションとの併用が必要ではないでしょうか?」
「もちろんです。私が提案するのは、調和関数を基盤とした解析が複雑系のシミュレーションと補完し合う可能性です。単独のアプローチでは見落とされがちなパターンや収束性を明確にするための道具として捉えていただければと思います。」
三人は、お互いに目配せをすると別れを惜しむかのようににこやかに近付き合い、お互い談笑しながら出口へと歩みを進めた。
一方その日のパリは過去にないほどの快晴で、会議場の外ではどういうわけか、太陽の下で穏やかにほほえむ人々で溢れ返っていた。
科学的実在論の中核的主張は、成熟した科学理論が記述する観測不可能な実体や過程が実在するというものだ。この立場の具体的な論拠を詳細に検討する。
Putnam と Boyd によって提唱された無奇跡論法は、科学の予測的成功を説明する最良の方法は、理論が真理に近いと考えることだと主張する。
1. ニュートン力学では説明できなかった水星軌道の異常を、アインシュタインの一般相対性理論が高精度で予測した。
2. この予測成功は、時空の曲率という観測不可能な概念の実在性を示唆する。
1. 過去の成功理論(フロギストン説、エーテル理論など)が誤りだったことを指摘。
2. 理論の経験的成功と真理性の相関関係に疑問を投げかける。
Worrall によって提唱された構造実在論は、理論の数学的構造のみが実在を反映すると主張する。
具体例:Maxwell の電磁気学からEinstein の特殊相対性理論への移行
1. エーテルという実体は否定されたが、Maxwell 方程式の数学的構造は保持された。
2. この構造の連続性が、より深い実在の反映だと解釈できる。
発展:Ontic Structural Realism (Ladyman, French)
1. 物理的対象を関係の束として捉え、実体概念を完全に放棄。
2. 量子力学における粒子の非個体性や、一般相対性理論における点事象の背景独立性と整合的。
量子力学の解釈は、客観的現実の存在に関する議論の核心だ。主要な解釈とその含意を詳細に検討する。
Bohr と Heisenberg によって提唱されたこの解釈は、測定問題を中心に据える。
1. 波動関数の確率的解釈:|ψ|^2 は粒子の位置の確率密度を表す。
2. 補完性原理:粒子性と波動性は相補的な性質であり、同時に観測できない。
問題点:
Everett によって提唱されたこの解釈は、波動関数の客観的実在性を主張する。
1. 分岐する宇宙:測定のたびに宇宙が分岐し、全ての可能な測定結果が実現する。
2. 相対状態の形式主義:観測者の状態も波動関数の一部として扱う。
利点:
問題点:
Zeh と Zurek らによって発展したデコヒーレンス理論は、量子から古典への移行を説明する。
1. 環境との相互作用により、量子的重ね合わせが急速に古典的な混合状態に移行。
2. 選択された基底(ポインター基底)のみが安定して観測される。
含意:
情報を基礎とする物理学の構築は、客観的現実の本質に新たな視点を提供する。
Susskind と Maldacena による ER=EPR 対応は、量子エンタングルメントと時空の構造を結びつける。
1. Einstein-Rosen ブリッジ(ワームホール)と Einstein-Podolsky-Rosen 対(量子もつれ)の等価性を示唆。
2. 量子情報と時空構造の深い関係を示唆し、量子重力理論への新たなアプローチを提供。
1. ブラックホール内部の時空の成長が、量子回路の計算複雑性の増大と対応。
2. 時空そのものが、より基本的な量子情報処理から創発する可能性を示唆。
客観的現実の存在問題は、現代物理学の最先端の問題と密接に結びついている。量子力学の基礎的解釈、構造実在論、情報理論的アプローチなど、様々な視点からの探求が進んでいるが、決定的な答えは得られていない。
今後の研究の方向性としては、量子重力理論の完成、意識と物理的実在の関係の解明、そして情報理論と物理学の更なる融合が重要になるだろう。これらの進展により、客観的現実の本質に関する我々の理解が大きく変わる可能性がある。
現時点では、客観的現実の存在を単純に肯定または否定するのではなく、我々の認識と独立した実在の可能性を探求しつつ、同時に観測者の役割や情報の本質的重要性を考慮に入れた、より洗練された存在論的枠組みの構築が必要だ。
問.つぎの四角に入るきごうを答えなさい。
2×3□3×2
これなら答えは「=」だよ。
問.つぎの問いに答えなさい。
男の人と女の人が一人ずつ合計2人います。
一人が自分がやったセックスを1回とするとき、合計何回セックスしましたか。
この問いに対して社会は
”物事が生じた順番通り”に物事を解決していくことを要求してくる。
最初に明示されたのは
「男の人と女の人が一人ずつ合計2人」。
次に明示されたのは
よって出てくる数字は「3」。
最初の「2」に次の「3」を掛ける、
つまり
2(人)×3(回)=6(回)
となる。
人間という生き物は不整合や理解しがたい事象に堪えがたい不愉快を感じる生き物。
社会人として会社員生活していたり顧客とかいうバケ者相手に仕事してると
こういった不整合にアホほど噛みついてくる奴らが無数にいる。
お手元に数枚はあるであろうお店の領収書みてごらんなさい?
どのお店のものを見ても「あなたが買った商品×あなたが買った数量」の順に記載してあるでしょ?
あなたはお店に「3」を買いに来てるわけではない。
「コンドーム」を買いに来てそれを結果として「3」ダース買いに来てるんだからそれは当然なことだしそれ以外に考えようがないこと。
「a×bもb×aも一緒でしょ?!」とか喚いてるのは社会人経験がないやつとか
社会人経験しなくても生きていける学者とかそういう奴らばっかり。
「a×bもb×aも一緒」なことぐらい誰でも知っとるわ。
ただ、「a×bとb×aが一緒ではない」ことを知らないのはアンタらだけなんだワ。
恥を知れ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.sankei.com/article/20240808-HNQSWJHANBCKPHK7BRLZ4JHK6Q/
うわきっつー。核は通常兵器と次元が違う前提でありパレスチナにおける被害と日本の“被爆地”は次元が違うというある種の特権的地位は捨てるってこと?まあ捨てるならいいよそれで。空爆食らった国内各都市やガザやドレスデンやらと等しく同じ軍事的被害地であり、被爆地に特殊性は一切なく「核」「核」言わないならそれでいいよ。
核の傘に守られながら被害者ぶってるの、以前から気持ち悪かったしな。
あとネトウヨがパレスチナに肩入れするのは論理的に整合するよな。イスラムには糞フェミニズムや腐ったLGBT思想はないわけで。リベラル欧米が支援するイスラエルとは根本的に相容れない。ネトウヨはエマニエルボロクソ言ってるしなw
ついに来たか…って感じ。根本的な価値観の違いが明確になった。ウヨが増加するはてな上では、欧米よりもイスラム、中国←これら反リベラル的な国と価値観が近い人が多くなった。欧米は人種差別的でありリベラルであり伝統的家族観を破壊する糞。袂を分つ時が来た。とっととアメの核の傘が出れば?で中国と軍事同盟結べ。
因みに欧米の反イスラエル潮流は若者が陥りがちな左翼思想でありイスラムがどれだけ反自由主義的か理解できてないだけだと思う。
厚生経済学の基本定理を多様体の言葉で定式化することにより、経済的効率性と市場均衡の概念を幾何学的に表現することができる。以下にその試みを示す。
厚生経済学の第1基本定理は、「完全競争市場において、すべての市場均衡はパレート効率的である」というものである。これを多様体の言葉で表現する。
消費者の選択空間を多様体 𝑀 とする。ここで、各点 𝑥 ∈ 𝑀 は異なる消費バンドルを表す。消費者の効用関数は、𝑈: 𝑀 → ℝ として定義され、多様体上で滑らかな関数とする。
生産者の技術集合を多様体 𝑁 とし、各点 𝑦 ∈ 𝑁 が異なる生産計画を示す。生産技術は、技術制約関数 𝑇: 𝑁 → ℝⁿ により記述される。
市場均衡は、消費者と生産者の選択が整合する点として、多様体 𝑀 × 𝑁 上の点 (𝑥*, 𝑦*) により表される。この点は、需要と供給が一致し、価格ベクトル 𝑝 により支持される。
パレート効率性は、選択空間 𝑀 と技術空間 𝑁 上の接ベクトル場により定義される。具体的には、任意の改善方向が存在しないことを意味し、接ベクトル場がゼロとなる点 (𝑥*, 𝑦*) がパレート最適である。
厚生経済学の第1基本定理を多様体の言葉で表現すると、以下のようになる:
定理: 多様体 𝑀 × 𝑁 上の市場均衡点 (𝑥*, 𝑦*) は、接ベクトル場がゼロとなる点であり、パレート効率的である。
この定式化により、厚生経済学の基本定理を幾何学的に理解することが可能になる。
市場均衡がパレート効率性を持つことは、選択空間と技術空間の接ベクトル場の観点から、改善の余地がないことを示している。
digraph WelfareEconomics { node [shape=ellipse]; // Nodes for main concepts M [label="選択空間 (M)"]; N [label="技術空間 (N)"]; Utility [label="効用関数 (U)"]; TechConstraint [label="技術制約 (T)"]; MarketEquilibrium [label="市場均衡"]; ParetoEfficiency [label="パレート効率性"]; Cohomology [label="コホモロジー条件"]; // Edges to show relationships M -> Utility [label="スカラー場"]; N -> TechConstraint [label="技術写像"]; M -> MarketEquilibrium; N -> MarketEquilibrium; MarketEquilibrium -> ParetoEfficiency [label="接ベクトル場"]; MarketEquilibrium -> Cohomology [label="整合性保証"]; ParetoEfficiency -> Cohomology [label="ホモトピー同値"]; } |<
同じ実験を何回もやって一番都合のいい結果以外を「失敗」として処分すればいい。
たとえば「ガチャの排出率を確認する実験」と称して、「10連を100回回してみて、その結果と公称されている排出率を比較します」という実験をやるとしよう。
このとき、10連を100回回すという行為自体を100回繰り返すのである。
気の遠くなる作業なので、適当にマクロを組んでスクショを取らせつつ自動化させよう。
同じアカウントでやるとバレる可能性があるので、アカウントを100個作ってそれぞれで100回やる。
あとは最も都合がいい結果が出たアカウントでの結果を排出率と比較して、「1000回回したら大体同じになりました!途中でちょっと偏りが出ている部分もありましたが最終的には収束してますね!」と公表すれば仕事終了だ。
ちょっと時間と手間はかかるが、広告費の一つだと思えばこんなに安いものもないぐらいだろう。
もしその結果手に対してユーザーが都合の悪い結果を出してきたら「おっと、運の悪い人がいましたね。まあ最後には収束しますよ」なんて言えばいいわけである。
理系ではこういう「恣意的な実験結果が作れてしまう」ということを教育するために、わざと実験器具に罠を仕込んで実験をすることがある。
やってもやっても実験ノートに書いてあるような結果が出ないという実験だ。
それに対してアレやコレやと考察させて、実験の精度を上げるのに必要なものを考えさせるのである。
再提出も含めた提出期限が完全に過ぎたタイミング、もしくは間抜けが見つかった所でネタバラシだ。
実験結果をメイキングすることの愚かさ、技術者倫理について有り難いお説教をすると共に、今回の実験器具は何が駄目だったのかを説明する。
これは別に道徳の授業として机上の空論を並べているとかではなく、世の中には10年も20年も整合をしていないメーターが平気で転がっており、それをそのまま信じていたら仕事にならんような現場が腐る程あるのだ。
そういった現場において、「機材を疑ってみる」という着意を養う、そもそも論として「定期的に機材の精度を確認する」という意識をもたせる意味もあるわけだ。
さてさて、世の中には企業がやった「ほんま、オタクの会社さんに都合が良すぎるような結果ドスなあ」と言いたくなる実験結果が腐る程ある。
そもそもの前提自体に恣意的な意図があるものは可愛い方で、パっと見だと会社側に不利な実験を試行回数の力で無理やり突破させようとすることはままある。
最初から鉛筆を舐めさせに来るような会社だっていくらでもある。
今のところ一番科学的背景もしっかり書かれていて参考になる記事
なぜ彼女たちの女子カテゴリーへの出場資格が問題になっているのか?
国際ボクシング協会(IBA)は7月31日に声明を発表し、「認められた」テストにより、ケリフと林が女子競技の資格基準を満たしていないことが証明されたと説明した。IBAによれば、これはテストステロン検査ではなく、遺伝子検査のことだという。
2023年3月24日、IBAは林玉婷選手とイマーヌ・ケリフ選手をIBA女子世界ボクシング選手権ニューデリー2023から失格とした。この失格処分は、IBA規則に定められた女子大会への参加資格を満たしていなかったことによるものである。綿密な審査の結果下されたこの決定は、競技の公正さと最大限の完全性を維持するために極めて重要かつ必要なものであった。
注目すべき点は、選手たちはテストステロン検査を受けたわけではなく、別途認められた検査を受けたことである。この検査は、両選手が必要な資格基準を満たしておらず、他の女子競技者よりも競技上の優位性があることを決定的に示すものであった。
2023年3月24日にIBAが下した決定は、その後2023年3月25日にIBA理事会によって批准された。この決定の公式記録は、IBAのウェブサイトからアクセスできる。
失格処分は、両選手に対して行われた以下の2つの検査に基づいている:
林玉婷はIBAの決定をスポーツ仲裁裁判所(CAS)に上訴しなかった。イマネ・ケリフは当初CASに上訴していたが、途中で上訴を取り下げたため、IBAの決定には法的拘束力がある。
IBAの関係者は別途、両選手がXY染色体を持ち、テストステロン("高T")レベルが高いことを付け加えている。
「高T」とは、女性カテゴリーに属するアスリートについて語るときに、女性の範囲を逸脱したテストステロン値を表現する方法のひとつである。すぐ下の図1からわかるように、男性と女性のTレベルは13歳くらいで分岐します。下の図1と図2の両方から、思春期初期以降は男性と女性のTレベルに重なりがないことが明らかである。ドーピングと男性であることは、成人アスリートが "高T "である可能性のある2つの方法である。
5-ARDおよびPAISのアスリートは、XY染色体補体を持っており、精巣があり、精巣は正常な女性の範囲外のテストステロンを産生し、アンドロゲン受容体はその「高T」を読み取り、処理する。その後、彼らの循環Tレベルは、通常のパフォーマンス向上効果を持ち続けます。
言い換えれば、5-ARDのアスリートとトランス女性および性的に標準的な男性・女性を比較した以下の図3に示すように、男性標準からの変化(外性器の未発達など)は競技パフォーマンスには無関係である。彼女たちが女性の競技に参加するときは、男性の優位性を発揮する。
ひとつは、IOCが信頼性に欠けると主張するIBAのもので、ケリフとリンにはDSDがあり、不適格であるというものだ。つまり、IBAまたはその代表者は、彼らが男性優位の遺伝的男性であると言っている。後者は一般的に、彼らのTが生物学的に利用可能であることを意味し、アンドロゲン不感症ではないことを意味する。
もうひとつは、ソーシャルメディアや一部の報道でトレンドになっている、ケリフとリンはXX染色体、卵巣、すべてにおいて完全に女性であるという、根拠もないコメントである。選手たちの表現型が男性的であるという点は認めるが、多くの女性(彼らはトランス女性を含むと広義に読む傾向がある)が男性的な表現型を持っており、これはその前提を受け入れるだけの問題だと言う人もいる。
3つ目は、IOCの高度に暗号化された声明を注意深く解析すると、IOCの現在の立場であるように思われる。ケリフとリンには男性優位のXY DSDがあるかもしれないが、彼らは生まれたときに女性として識別され、現在もそのように識別され続けているため、女性なのだ。
IOCはここ数日、ケリフとリンへの攻撃を嘆くことに多くの時間を費やしている。本当にひどいことだ。しかし、この不安定な状況は、ほとんどIOC自身が作り出したものだ。スポーツにおけるセックスとジェンダーとの複雑な関係を考えれば、予想されたことではあるが、どうしようもなく複雑なメッセージを送っている。
IOCは6月、大会における選手の表現に性別に基づく表現を使用することを禁止し、女性であることを自認する性別多様性XYアスリートの扱いを明確にするよう求める言語ガイドを発表した。
この言語ガイドは、2021年にIOCがとった、性別が多様なXYアスリートは、男性であるという理由だけで、アリーナで男性優位とみなされるべきではなく、男性のTレベルは、最高の男性と最高の女性の間のパフォーマンスギャップの主な原動力として、科学的によく理解されている役割にもかかわらず、失格とされるべきではないという立場から導かれたものである。
このアイデアは、キャスター・セメンヤやリア・トーマスのようなXYのアスリートに関する論争を、関連する生物学と、それについて話すために私たちが使う言葉を消すことによって、女性カテゴリーから消し去ることだった。
もちろん、IBAがケリフとリンを女性カテゴリーに入れたことをIOCに指摘した時点で、IOCはこのまま逃げ切るつもりはなかった。しかし、IOCは事前に自らの手を縛っていたのである。そのため、IOCの広報担当者の口から語られたことの多くは、「内部事情」と「手品」の組み合わせであると私は思う。
それでも、『Inside the Games』のアレックス・オラー氏による8月2日付の優れた記事は、この質問に対する2つのXY DSDバージョンの答えのうち、どちらかを選んでいる知識豊富な記者たちが間違っていない可能性が高いことを物語っている。Oller氏のレポート全文(およびInside the Games全般)を読むことをお勧めするが、要約すると次のようになる:
形式的には、IOCはケリフとリンのパスポートに記載されている性別を採用している。これはIOCの現在の性別テストと考えることができ、法的な性別を性別および/または女性カテゴリーの資格の代理として使用している。
IOCはまた、ケリフとリンのパスポートに記載されているものが性別と一致していないことを示すものは何も見ていないと述べている。もちろん、IBAの声明はそうではないと述べているが、IOCは、IBAの声明が「恣意的」な手続きによって得られたものであるため、IBAの声明は信用できないとしている。
同時にIOCは、木曜日にケリフが初優勝した後、自らのウェブサイトから、少なくともケリフは-林もそうでないにせよ-T値が高いという表記を削除したことを認めている。その説明のために、T値は関係ない、女性でもT値が高い選手はたくさんいる、と一部で述べている。
T値が高い女性アスリート(多嚢胞性卵巣を持つアスリートを含む)は、T値が女性の範囲外でもなく、男性の範囲内でもなく、女性の範囲の上部にある。彼らの性別は疑わしいものではない。上で説明したように、女性のカテゴリーで競技しようとするアスリートの「高T」は、国際的なスポーツでは、外因性アンドロゲンによるドーピングか、生物学的に利用可能な内因性アンドロゲンによる男性であることを意味する。ケリフもリンもドーピングをしているという事実はない。
余談だが、多くの連盟やIOCが長年にわたってTを性差の代用として使ってきたのは、それが優れたものだからである。法的な性別よりも生物学的な性別を求めるのであれば、パスポートよりも正確であることは間違いない。
IOCはまた、実用的かつ無差別的に正しく判定する方法がないこと、そして科学的にケリフと林が女性であるというコンセンサスが得られていることから、性別判定を断念したと述べている。
ここでのIOCの発言を整合させることは、内部の人間であっても不可能である。専門家に選手のファイルを見させたのか、そうでないのか。もしそうでなければ、科学的なコンセンサスを得ることはできない。
オリンピック・ムーブメントの政治は、少なくとも2つの点で、この物語に大きな影響を与えている。
その第一は、IOCとIBAの戦いである。IBAは偶然にも、ドーピングやウクライナ戦争に対するIOCの姿勢に敵意を抱いている。
もうひとつは、IOCがトランス権利擁護派と協調し、性差に基づく女性カテゴリーを擁護する人々に反対するという政策的選択をしたことだ。ここでIOCはIBAだけでなく、世界陸上や世界水泳といったオリンピックムーブメントで最も重要な連盟とも対立している。IOCとは異なり、これらの連盟は、女性アスリートのための公正さと女性カテゴリーの維持を優先することを決定している。
小説の設定を練るときのフォーマットを作って、割と納得いくものになりました。
創作で悩みがある人の助けになればと思って、具体例や書く時のコツと一緒に公開します。
上から埋めていくと本文を書けるくらいにイメージが固まってきて、心穏やかに小説を書けます。
小説って書くのに時間かかるから、勢いで書くと書いてる間に飽きるし、考えたこととか忘れて投げ出しちゃう。
設定を練ろう!
ちなみに、小説の実力は趣味程度だから、上手な人は優しくアドバイス貰えると嬉しいな。
追記: みんなブックマークありがと!記事に影響を与えたコメントは後ろで謝辞してあるよ。
====以下、フォーマット====
例: ゾンビさんは在宅
例:
感染した人の思考力・感覚レベルが低下してしまう「Zウイルス」が突如流行し、みんなが外出を控えている。
【主人公の自宅】
H道某市、会社から徒歩5分のところにあるマンションの1階。間取りは1K。
ゲーミングチェアと可動式デュアルディスプレイで快適にリモートワークできる。
例:
根黒 幽(ねくろ ゆう)
ちょっと内向的な新社会人。声は暗いが目はきらきら。経理部に配属され、OJTが終わった直後にウイルスが流行し、在宅勤務を余儀なくされた。
例:
【怪しい経費の流れを発見?】
営業経費の仕分け処理をしていたら、このリモートワークのご時世に出張費が昨年の同月と全く同額の営業さんを発見。
【久しぶりの出勤】
街は危ないので武装。
オフィスに着いたところ、営業さんが殴りかかってきて戦闘になる。
例:
Zウイルスに感染した場合はお近くの宗教施設でお金を払うと蘇生してもらえる。
物流はドローンを使って各家庭のベランダまで送ってもらう方式が普及。
土木工事などはお坊さんがお経を唱えてゾンビ避けをしている間にバリケードを作ってから作業する。
例: ほんとは図で書いたほうがいい
根黒→先輩: カッコいい
例:
根黒 OJT修了
【怪しい経費の流れを発見?】
例:
例:
1. ニュースで本日の感染者数を紹介(世界観を簡単に説明するための情景描写)
2. 朝のルーティン(朝食やぼやきなど、根黒の性格が分かるような心情描写)
3. 勤務開始連絡後、レビュー対象の経費申請を先輩から渡してもらう(先輩に対する尊敬や経理の知識に対する不安などの心情描写)
なるほど!
目的とゴールがあると、書くべきイベントの取捨選択に便利だね。ありがとう!
増田はいつも感覚でイベントを取捨選択してそれを書ききったら終わりにしてるんだけど、これがあると迷わないね。
フォーマットの更新版を作ってコツが集まったらまた記事にしようかな。
入れるとしたら舞台設定や登場人物が明確になった後かなという気がする。
ゾンビが人を襲う場合、理由知りたい派なんだよね(ポピュラーに食うからとか、ゾンビの本体は菌なので傷付けて感染させることで疑似的に繁殖してるとか)。
ありがとう〜。
こういう感想を小説書く前に100分の1くらいの労力で貰えるのが設定を書くメリットの一つだよね。
言われてみたら気になったから、世界観詳細の例に追加しといたよ。
趣味に合うと嬉しいな。
ありがとねー。
こっちの方にもコメント反映したよ。
子どもにおもちゃのピアノを買ったら自分がそれを使って曲を作るのにハマってしまい、子どもたちの寝かしつけが終わってから遊んでいる。
作ると言っても人生で音楽を履修したことがないのでコードの意味も分からないし楽譜も書けない。なのでLINEの1人グループの部屋に音階を書いて貼り、演奏アプリや編集アプリもまったく分からないのでおもちゃのピアノを人差し指でぽちぽち弾いたメロディを録音しているだけである。
誰に公開するでもなく(強いて言うならごくたまに配偶者か親に聞いてもらっている)、ただの趣味でしかない。
本当はニコニコやYouTubeにサッと上げてカッコよく決めたいがいかんせんとてもひとさまに聴かせられたものではない。
というのも理由ではあるが、本当のところを言うと、タイトルの通り作っても作っても聴いたことあるようなメロディばかりで、「私が書きました!」なんて言ったらパクリ間違いなしなシロモノしか出来ないからである。
作れたと思ったら好きな曲に激似、これ作ったんじゃなくて下手くそ耳コピじゃん...なんてことはもはや日常、聴いたことない(気がする)曲が出来ても安心できない。Googleの鼻歌検索でオリジナリティをチェック、整合率(?)7%とか10%とかの曲しか出てこなくて安心...かと思いきやその7%とか10%の曲が不思議と良く似ているのだ。自分が作ったと思っている曲に。もう全部模倣だ。無意識に。
だから売れ線の曲を作って世の中を盛り上げてるアーティストは改めて本当に本当にすごい。今ならYOASOBIさんとか米津さんとかだろうか。全部聞いたことない上にキャッチーなメロディ。すごすぎる。
増田はそんなのできないしこれからも誰かに聞かせられるものを作るのは難しそうだけど、でも思いついた短いフレーズにちょっとずつメロディ足していってきちんと曲のカタチになっていくのは楽しいし、あと趣味としても全くお金かからなくてリーズナブルだし(笑)、飽きるまではおもちゃのピアノに付き合ってもらおうと思っている。初期投資もランニングコストもかからずに楽しめるので、はてなー諸兄にもオススメしたい。
※事実関係に関する情報が少ないまま推測で書いているので、的外れならすみません。
「なぜ死んだの?」と娘さんが尋ねるとすれば、それは別に「死因」を聞いているわけではなく、「どうして私にはお母さんがいないのか」という疑念に対する子供なりに合理性のある回答を求めているということだと思います。ことによったら娘さんは、「自分の誕生が母親の死の原因の一つなのでは」みたいな不安をもっているのかもしれません。子供がそんなことを考えるか?と思われる向きには、むしろ子供こそ「あらゆるこの世の事象の原因は自分にある」というある種の全能感を持ちがちであるということを指摘しておきます。夫婦喧嘩を聞かされた幼い子が、自分が原因に違いないと思い込んでふさぎ込むというのはよくある話です。
したがって、必要な「答え」とは、娘さんのそういった不安を取り除くことができる(あるいはそんな不安を抱かせない)答えだと思います。事実に直面するのは、もう少し心が成長し様々なことを客観視して受け止める体制が整ってからでよいでしょう。ただ、事実を隠すにしても、将来事実を知ったとき(あるいは何かのはずみで事実を知ってしまったときに)あまりにも整合が取れないことにならない程度にとどめておくべきだと思います。その意味では、「病気だった」という説明は悪くない答えの一つです。
ただ、そこで危惧されるのは、娘さんが「病気だったのに私を生んだ→それで病気が悪くなって死んだ→じゃあ私のせいで死んだんじゃ…」という思考に陥ることです。ですから「病気」路線で説明するとすれば、「お母さんは、あなたを生んだ後、重い病気にかかった」「後に残すあなたのことを気にかけ、幸せを祈りながら死んだ」「残された自分たちも同じ気持ちだ」といった語り方をする必要があるでしょう。ですが、もし自死に至られる経緯がもっと若いころからの希死念慮などから続くものであり、産後にという説明にあまりにも無理があるようなら、次のような配慮が必要になると思います。「元々長くは生きられない病気だった」「その短い生の中でお父さんと出会い愛し合ってあなたを産んだ」「短い人生をお母さんは一所懸命生きたと思う」…など。ご理解いただけますでしょうか。
なお、娘さんの周囲の大人(親戚、近所、学校の先生など)に対しても、上記のようなことについて根回しや口裏合わせは必要だと思います。親の言葉に納得しなければ、別な大人に答えを求めに行くのは十分考えられることですし、複数から同じ回答が得られれば、ある程度の納得感を得ることができると思いますので。
小学校低学年は、自分の生い立ちについて考察し始め、かつ、物事の道理みたいなものも理解し始める年齢です。「自分のルーツを、合理的に納得したい」という思いを受け止めつつ、適当なウソや作り話でごまかすのでなく、それでいて健全な発達が阻害されることのないよう、全面的な保護でなくかつ剥き出しの事実に晒すのでもない、そんな配慮が求められる難しい年ごろです。ご健闘をお祈りします。
「じゃあビッグバンは神様が起こしたことにすればいいんじゃないの?」
って言う人がいるかも知れないけど、2000年後は違う説が主流になってるかもしれないから駄目。
「無から有を生み、森羅万象を創造した」くらいのふわっとした話ならあってもいいかもしれない。
でも「無なんて存在しないよ」みたいなこと言われたら困るな。
とにかく神様は創造主なのです。それだけ。あまり深く考えるな。
お酒飲めないとかお肉が食べられないとか私自身辛いし絶対人気出ない。
人として守るべきルールに関しては現代では法律があるのでその道のプロに任せよう。
日曜はダラダラしたいし、貴重な休日を半日も持ってかれるのはキツイ。
でもそれっぽい催し物があったほうが盛り上がるし、信徒に義務付けないという条件付きでやってもいい。
基本ネットで一文書き込むくらいでも成立するくらいがいいけど、雰囲気作りのために凝ってもいいと思う。
「神様が何とかしてくれる」なんて期待しながら祈って、何も起こらなかったら裏切られたと思う人が出てきそうだから。
まぁ祈ってもいいけど、基本何も起こらないし、何か起こったら儲けものくらいでやってみてほしい。
・神様は人にそれなりに関心を持ってる、くらいでいい
「神は人を愛している」はちょっと重すぎる。程よい距離感を保ってほしい。
神様は人に(当然これを読んでるあなたにも)それなりに関心を持ってるよ。あくまでそれなりにだけど。
このくらいの関係性なので、祈りは神様に、自発的に何かを伝える、くらいの意味合いになる。
そんなもんでいいと思う。
アファーマティブ・アクションという名の『トロッコ』の下敷きになっている一人であると同時に、
告発の発端となったDMの送り主と同じく、ちゅうしたいしえっちしたい(泣)騒動を当時間近で見聞きしていた一人として、
よくもまあそんなえらそうなことが言えたものだと、かねてより神山翼氏の厚顔無恥なポジショントークを大変苦々しく思っていたのですが、
あろうことか氏が女子学生と不適切な関係にある上にハラスメントの加害当事者である蓋然性が高いだけでなく、
それが事実であった場合に本来その被害者たちの最も心強い味方であるべき(特に同性の)研究者たちが
臆面もなく公然とセカンドレイプを加えているというあるまじき惨状を目の当たりにし、あまりの悍ましさに筆を執らずにはいられませんでした。
研究者といえども所詮一人の人間であり、その高い(ことになっている)論理的思考力をもってしても
認知的不協和を適切な形で解消できるとは限らない、という事情は理解しないでもありません。
しかし、小山(狂)氏へのDM等を通じて今回の件を改めて世に告発した(元)女子学生たちの立場から見た時、
普段は女性の学究環境の改善を声高に叫んでおられる(特に同性の)アカデミアの先人たちが、揃いも揃って、
今まさに実際に不利益を被っている女性であるはずの自分たちを心配し、守り、力になるために立ち上がってくれるどころか、その素振りすら見せず、
あまつさえ印象操作によって加害者を擁護し、稚拙な詭弁によって問題をすり替え、挙句の果てには刑罰をちらつかせて言論を封殺しようとしている様は、一体どのように映るでしょうか。
あるいはこうした人々の振る舞いは、奇しくも以前学内で告発を試みた学生を長時間にわたり監禁・恫喝したとされる教員に女性が含まれることと併せて考えた時、
「女子学生たちは主として男性教員・研究者が『原罪』的に抱えるアンコンシャス・バイアスとやらによって不当な扱いを受けがちであり、
その対策として多少強引にでも女性研究者の数を増やし性別の偏りを均すことは、必要不可欠でありやむを得ない」とする大層立派なご高説と果たして整合しているでしょうか。
「神山氏が本当は潔白であり、悪意をもった何者かによって陥れられようとしている可能性」がゼロではない、と主張するのは結構ですが、
これまで非常に活発に発言してきた神山氏が一転、否認すらせず不自然なほど沈黙を貫いている現状を踏まえたとき、それは
「仮に今回の告発が真実だった場合に、不必要に被害者たちの尊厳を踏み躙り、感情を逆撫ですることになる可能性」や
「今回の告発の真偽にかかわらず、今後もし同様の事態が発生した場合に、最初からその被害者が声をあげる気力を挫いてしまう可能性」と天秤にかけて、
それでもなお積極的に発信・表明するに足ると、本気で信じておられるのでしょうか。
特に、氏の知己を自称しておられる諸氏におかれては、支離滅裂な感想を垂れ流しているような暇があるなら、まず神山氏本人に事の真相を問い質せばよろしいはずで、
それすらしないままご自身の友誼・主観だけを根拠に一方的に告発の信憑性に疑義を呈しておられることの方が、よほど女子学生にとって有害ではないでしょうか。
今回の疑惑に対するアカデミアの一部の人々のこうした反応は、疑惑の真偽以前の問題として到底看過できるものではなく、
「仮に告発が虚偽だった場合に、神山氏並びに関係者の名誉を不当に毀損することになる可能性」を慎重に考慮した上でなお、糾弾を免れないものであると考えます。
彼らがいみじくも『安全地帯からのんびり』指摘なさっておられる通り、万が一告発が全くの捏造であると判明した暁には、
書き手を含む少なからぬ人間が謂れのない誹謗中傷に加担していたことになろうかと思いますが、
そのリスクを負う意義に疑いを挟む余地がないほどに、彼らの振りかざす「正論」の欺瞞は座視しがたいものであり、それゆえ『刺し違える覚悟で』この文章をしたためているというわけであります。
(それに、女子学生・女性研究者の数的不利を補うためなら、無辜の男子学生・若手男性研究者の人生が犠牲になるのもやむなし、とされてきた神山氏のことですから、
今まさに女子学生たちを脅かす理不尽を非難し連帯を表明するためなら、たとえ氏が無実であったとしても、その名誉が一時的に損なわれるくらいのことはきっと甘受してくださることでしょう。)
返す返すも恐るべきことに、上に挙げたような、被害者であるはずの女子学生たちのことを慮っているとは微塵も思えないような仰天発言・行動の主たちの多くは、
平素は女子学生・女性研究者の味方を謳い、女子枠や女性限定公募をはじめとする積極的性差別とそれに伴う犠牲の正当性を主張し、神山氏の高邁な志にも強く賛同しておられたはずの方々です。
傍から見ていると皆様それらとは随分とかけ離れた振る舞いをなさっておられるように見受けられるわけですが、
むしろそれが本性であり、普段のご立派な発言の数々はその実アカデミアに蔓延るとされる不公正に苦しむ女性のためなどではなく、
ファッションとしてお仲間同士で高尚な御託を並べて、単にご自分の承認欲求を満たして気持ちよくなっていただけだった
——という「誤解」を招きかねない言動は慎まれた方がよろしいのではないか、と僭越ながら愚考する次第でございます。
神山氏が関係するものに限らず、今回告発されたお茶の水女子大学におけるあらゆるハラスメントに遭われた皆様の悲しみや怒りは、察するに余りあります。
その上、本来自身を守ってくれるはずの仕組みが張りぼてでしかなく、手を差し伸べてくれるはずの人間が案山子でしかなかったことの絶望に至っては、計り知ることもできません。
そのような苦しみの中でも、まず毅然と立ち上がり相談室へ向かった勇気ある方々、違和を鋭く察知し強力な証拠となる録音の準備を怠らなかった如才ない方々、
数多の困難・逆風に屈することなくOchatやSNSで粘り強く声をあげてくださっている方々を、心から尊敬します。
匿名であることは決して、証言の真正性を不当に減じたり主張を忽せにしたりする理由たりえません。
それを攻撃するのは往々にして自身の立場が保障されているがゆえにその必要がない「強者」であって、
学生(や任期付き研究者)という、単位・卒業・キャリアを人質に取られ「弱い」立場にある我々にとっては、歴とした自衛の手段です。
『下劣な』口撃に怯み惑わされる事なく、このまま堂々と突き進んでください。
どうか、正義がなされんことを。
143条以下を見ると様式については制限があるけど、内容については制限がない
すると公職選挙法は候補者間の公正なルールと方法による弊害(勝手に道路とか乱立させて貼ったりするとか)を防止するための規定なんじゃないかな
内容について規制しないのは政策の主張が選挙の根幹であるし、これを制限すべきでないって考慮もあるのかも
その辺は全体の構造や立法過程、事例判断とか観てないからなんともいえないけど
ただその場合はやっぱり選挙ポスターについては内容が大事で規制すべきでないって元の話と整合的な気がする
その上で猥褻物陳列罪は内容についての規制だけど選挙ポスターの内容とは無関係で、いわゆる間接的付随的制約として及びうるとは思う
ただその場合も選挙ポスターだと猥褻な政策を訴える候補者はけしからんだとかの可能性もあるし、表現の価値も高いと考えると合憲化のハードルは低くないと思う
あと確かに地方の選挙で碌でもない手法のようにも思えるけど、性道徳による規制っていう刑法でも疑問視される行為についてカウンターとして過激な表現によらなきゃいけないのも事実なんじゃないかな
公民権運動では過激な表現が用いられてて、それと同視するわけではないけど、多数派が少数派の表現について見るときには簡単に考えずに規制を行う側は慎重さが求められるんじゃないかな